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ユスティアの手助け
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「この筆……もしかして、貴方の? あっちに落ちてたんだけど……」
ユスティアはそう言って、持っていた筆を差し出してきた。ふと自分の手荷物を見ると、筆入れは半開きとなっていた。どうやら自分は、ここに逃げてきた時に落としていたらしい。
「……あ、ありがとう」
「どういたしまして。ところで、貴方も川辺の景色を描きに来たの?」
「ま、まあ……そんなところだよ」
見知らぬ令嬢に“借り”を作ってしまったと思い、自分はぶっきらぼうな応えを返した。しかし、そんな俺の態度を彼女はまるで気にしていないようだった。
「ふふ、そうなのね。私も一緒にここで描いても良いかしら?」
「だ、ダメだ! それは全然にダメ!!」
「? どうして?」
「それは……!」
手に持っていたスケッチブックを後ろ手に隠そうとした矢先、自分はうっかり手を滑らしてしまった。そして不運なことに、先ほど魚たちを描いたページが開いた状態で、スケッチブックは地面に落ちたのである。
自分の絵を見て、ユスティアは驚いたように目を丸くしていた。
「……これ」
「……っ、笑うなら笑ってくれよ。下手なのは自分でも分かりきったことさ」
「お魚、とっても可愛いわ!!」
「……え?」
スケッチブックを拾い上げながら、ユスティアはそう言ったのだった。
「これは小さいお魚たちが、みんな同じ方向を向いて泳いでる姿でしょう? 頑張って泳いでるのがすごく伝わってきて、すっごく素敵だわ!」
「……嘘だ、無理に褒めなくていいよ」
「嘘じゃないわよ。だって、本当に可愛いもの!」
こちらが圧倒されるような勢いで、ユスティアははっきりと断言した。正直まだ彼女のことを信じられないものの、少しだけなら気を許しても良いと思えてきたのだから不思議なものだ。
しかし、彼女だってどこかのタイミングで豹変するかも分からない。甘い考えを振り切って、俺は言葉を続けた。
「……でも、これはダメだよ」
「何で? どうして?」
「こんなの出したら……みんなに笑われる……っ」
突き放すつもりで口を開いたのに、ユスティアの優しげな雰囲気につられて、そんな本音が口からこぼれ出たのだった。
上流階級の人々は、体裁を何よりも重んじることは幼いながらに分かっていた。他者につけ込まれないように、見栄を張ってでも弱いところを見せてはいけない。つまり、この写生大会でも笑い者になるのは避けねばならないのだ。
「……だったら。私と一緒に、もう一度描いてみない?」
「え?」
「私、絵を描くのは大好きなの」
そう言って、ユスティアはにっこりと笑いかけてきたのだった。
+
「絵を描く時、どんなところが難しいの?」
「……うーん、どこまで描いたら良いか分からないところと、魚だと泳いですぐ目の前からいなくなるところ……とか?」
川辺にレジャーシートを敷いて、自分とユスティアは昼食のパンを食べながら話していた。本当ならばモニカたちと食べる予定だったが、どうしても戻る気になれなかったのだ。
「なるほど。それならお花とか、ひとつの物だけを描く方が良いかもしれないわ。植物なら逃げないし、大丈夫よ」
「そんなんで、いいのかな?」
「ええ。だって、何を描くかは自由ですもの」
自分を助けても何の得にもならないのに、ユスティアは色んなアドバイスをくれた。そして会話を重ねるうちに、自然と自分は彼女に心を許し始めていたのだった。
「そう言えば、私はユスティアって言うんだけれど、貴方のお名前は?」
「……っ」
ユスティアの問いかけに、俺はつい言葉を詰まらせた。なぜなら、大国の王子と知られたならば、彼女が態度を変えてくるのでは、と思ってしまったからだ。
「……な、名乗るほどの名前ではない……から」
そう言って、俺はキャスケット帽を目深に被り直したのだった。
当時、俺は自分の髪色が嫌いだった。どこに行っても注目されるのが嫌で、髪を隠すために外ではいつも帽子を被っていたのである。
加えて、肌が痒くならないように、皮膚との摩擦が少ないシルクのブラウスを着ていた。ちなみにシルクは、婦人服に使われることが多い素材である。そんな珍妙な格好をした子供が王族であるなんて、彼女も夢にも思わないだろう。
そんな失礼な態度をとっても、ユスティアが怒ることはなかった。
「ふふ、分かったわ。じゃあよろしくね、帽子くん」
そして俺たちは、昼食後に絵を描き始めたのだった。
+
「ここは、こうやって描いていくといいかもしれないわ」
「なるほど」
ユスティアの手ほどきにより、俺は順当に絵を書き進めていた。
彼女の教え方が上手かったこともあり、クオリティは格段に上がっていた。もっと言えば、自分だけで描いたものと同じ画材で描いたとは思えない程であった。
「じゃあ、私もそろそろ色を塗り始めようかしら」
指導をひととおり終わらせてから、ユスティアは自分の作品に取り掛かり始めた。見ると、スケッチブックには美しい風景が広がっていたのである。
「……わあ、凄いや」
「あら、ありがとう」
素直に褒め言葉を口にすると、ユスティアは照れたように笑った。やがて彼女は、慣れた様子で色塗りを始めたのである。
「絵、そんなに好きなの?」
「ええ。景色を切り取って自分の‘‘色’’を加えて描いていくのが、とっても楽しいの」
彼女の色。それは暖かな色であることはすぐに分かった。実際の景色よりも、ユスティアの描く世界は温かみがあり、どこか可愛らしいものだったのだ。
やがて、俺たちは互いに絵を完成させた。そして自分はユスティアに名を明かさぬまま、彼女と別れたのだった。
ユスティアの手助けもあり、俺は花の絵を無事に提出できた。人生最大の危機を乗り切れたのは、間違いなく彼女のおかげであった。
家に帰ったあと、俺はすぐさまユスティアのことを両親に話した。そして、彼女にまた会いたいと言ったのである。
その後、ユスティアがラフタシュの伯爵令嬢であること、ハリーストに親戚がいるので、その縁で写生大会に参加していたことが分かった。そして両親は、自分がまた彼女に会えるよう、準備を進めてくれた。
しかし。その最中、信じられない報せが飛び込んできたのだ。
ユスティアは一切絵を描かなくなり、家に引きこもっている。そして、とても人に会える状態ではないほどに、彼女は酷く落ち込んでいるのだと。
+次は11:12に更新予定。
どうしてもユスティアのことが忘れられないリシャルド。そんな彼が、起こした行動とは……?
お楽しみに♡
ユスティアはそう言って、持っていた筆を差し出してきた。ふと自分の手荷物を見ると、筆入れは半開きとなっていた。どうやら自分は、ここに逃げてきた時に落としていたらしい。
「……あ、ありがとう」
「どういたしまして。ところで、貴方も川辺の景色を描きに来たの?」
「ま、まあ……そんなところだよ」
見知らぬ令嬢に“借り”を作ってしまったと思い、自分はぶっきらぼうな応えを返した。しかし、そんな俺の態度を彼女はまるで気にしていないようだった。
「ふふ、そうなのね。私も一緒にここで描いても良いかしら?」
「だ、ダメだ! それは全然にダメ!!」
「? どうして?」
「それは……!」
手に持っていたスケッチブックを後ろ手に隠そうとした矢先、自分はうっかり手を滑らしてしまった。そして不運なことに、先ほど魚たちを描いたページが開いた状態で、スケッチブックは地面に落ちたのである。
自分の絵を見て、ユスティアは驚いたように目を丸くしていた。
「……これ」
「……っ、笑うなら笑ってくれよ。下手なのは自分でも分かりきったことさ」
「お魚、とっても可愛いわ!!」
「……え?」
スケッチブックを拾い上げながら、ユスティアはそう言ったのだった。
「これは小さいお魚たちが、みんな同じ方向を向いて泳いでる姿でしょう? 頑張って泳いでるのがすごく伝わってきて、すっごく素敵だわ!」
「……嘘だ、無理に褒めなくていいよ」
「嘘じゃないわよ。だって、本当に可愛いもの!」
こちらが圧倒されるような勢いで、ユスティアははっきりと断言した。正直まだ彼女のことを信じられないものの、少しだけなら気を許しても良いと思えてきたのだから不思議なものだ。
しかし、彼女だってどこかのタイミングで豹変するかも分からない。甘い考えを振り切って、俺は言葉を続けた。
「……でも、これはダメだよ」
「何で? どうして?」
「こんなの出したら……みんなに笑われる……っ」
突き放すつもりで口を開いたのに、ユスティアの優しげな雰囲気につられて、そんな本音が口からこぼれ出たのだった。
上流階級の人々は、体裁を何よりも重んじることは幼いながらに分かっていた。他者につけ込まれないように、見栄を張ってでも弱いところを見せてはいけない。つまり、この写生大会でも笑い者になるのは避けねばならないのだ。
「……だったら。私と一緒に、もう一度描いてみない?」
「え?」
「私、絵を描くのは大好きなの」
そう言って、ユスティアはにっこりと笑いかけてきたのだった。
+
「絵を描く時、どんなところが難しいの?」
「……うーん、どこまで描いたら良いか分からないところと、魚だと泳いですぐ目の前からいなくなるところ……とか?」
川辺にレジャーシートを敷いて、自分とユスティアは昼食のパンを食べながら話していた。本当ならばモニカたちと食べる予定だったが、どうしても戻る気になれなかったのだ。
「なるほど。それならお花とか、ひとつの物だけを描く方が良いかもしれないわ。植物なら逃げないし、大丈夫よ」
「そんなんで、いいのかな?」
「ええ。だって、何を描くかは自由ですもの」
自分を助けても何の得にもならないのに、ユスティアは色んなアドバイスをくれた。そして会話を重ねるうちに、自然と自分は彼女に心を許し始めていたのだった。
「そう言えば、私はユスティアって言うんだけれど、貴方のお名前は?」
「……っ」
ユスティアの問いかけに、俺はつい言葉を詰まらせた。なぜなら、大国の王子と知られたならば、彼女が態度を変えてくるのでは、と思ってしまったからだ。
「……な、名乗るほどの名前ではない……から」
そう言って、俺はキャスケット帽を目深に被り直したのだった。
当時、俺は自分の髪色が嫌いだった。どこに行っても注目されるのが嫌で、髪を隠すために外ではいつも帽子を被っていたのである。
加えて、肌が痒くならないように、皮膚との摩擦が少ないシルクのブラウスを着ていた。ちなみにシルクは、婦人服に使われることが多い素材である。そんな珍妙な格好をした子供が王族であるなんて、彼女も夢にも思わないだろう。
そんな失礼な態度をとっても、ユスティアが怒ることはなかった。
「ふふ、分かったわ。じゃあよろしくね、帽子くん」
そして俺たちは、昼食後に絵を描き始めたのだった。
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「ここは、こうやって描いていくといいかもしれないわ」
「なるほど」
ユスティアの手ほどきにより、俺は順当に絵を書き進めていた。
彼女の教え方が上手かったこともあり、クオリティは格段に上がっていた。もっと言えば、自分だけで描いたものと同じ画材で描いたとは思えない程であった。
「じゃあ、私もそろそろ色を塗り始めようかしら」
指導をひととおり終わらせてから、ユスティアは自分の作品に取り掛かり始めた。見ると、スケッチブックには美しい風景が広がっていたのである。
「……わあ、凄いや」
「あら、ありがとう」
素直に褒め言葉を口にすると、ユスティアは照れたように笑った。やがて彼女は、慣れた様子で色塗りを始めたのである。
「絵、そんなに好きなの?」
「ええ。景色を切り取って自分の‘‘色’’を加えて描いていくのが、とっても楽しいの」
彼女の色。それは暖かな色であることはすぐに分かった。実際の景色よりも、ユスティアの描く世界は温かみがあり、どこか可愛らしいものだったのだ。
やがて、俺たちは互いに絵を完成させた。そして自分はユスティアに名を明かさぬまま、彼女と別れたのだった。
ユスティアの手助けもあり、俺は花の絵を無事に提出できた。人生最大の危機を乗り切れたのは、間違いなく彼女のおかげであった。
家に帰ったあと、俺はすぐさまユスティアのことを両親に話した。そして、彼女にまた会いたいと言ったのである。
その後、ユスティアがラフタシュの伯爵令嬢であること、ハリーストに親戚がいるので、その縁で写生大会に参加していたことが分かった。そして両親は、自分がまた彼女に会えるよう、準備を進めてくれた。
しかし。その最中、信じられない報せが飛び込んできたのだ。
ユスティアは一切絵を描かなくなり、家に引きこもっている。そして、とても人に会える状態ではないほどに、彼女は酷く落ち込んでいるのだと。
+次は11:12に更新予定。
どうしてもユスティアのことが忘れられないリシャルド。そんな彼が、起こした行動とは……?
お楽しみに♡
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