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令嬢、堕ちる

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 エドヴァルドと一番最初に踊るのは、やはりルナーティカ。彼女もダンスを踊り慣れてきたらしく、二人の息はぴったりである。ダンスホールの真ん中で踊る主役達を見咎める者は、誰一人としていなかった。

 カルダニアの王宮で開かれた舞踏会で、私はそんな二人をぼんやりと遠目で眺めていた。

「折角のダンスのお誘いを断ってごめんなさい、グロウ様」

「いえ、たまには気が向かないこともあるでしょう。お気になさらず」

 私を隣でエスコートするグロウは、そう言ってくれたのだった。

 一曲目が始まる時、グロウは私をダンスに誘ってくれた。しかし私は、首を横に振ったのである。あの二人の傍で踊ることを、身体が拒否してしまったのだ。

 身分の高い者からのダンスの誘いは、断ってはならないのが暗黙の了解だ。しかし、グロウが私を責めることは無かった。

「見て……またご一緒してるわ。グロウ様と、メイベル様」

「本当ね。でも私、お似合いだと思うわ」

「ふふ、それもそうね」

 楽団の演奏に紛れるようにして、そんな話し声が聞こえてきた。グロウにも聞こえたのか、彼は少しだけ口角を上げて笑ったのだった。

「その耳飾りも、とてもお似合いです」

 二つ目の耳飾りを壊してしまったため、私の耳には彼から貰った三つ目のイヤリングが揺れていた。

 地金が銀色であり、花の形をした耳飾り。花びらの部分には黄色の色石が埋め込まれており、中心には虹色に光る石が付けられていた。

「実はそのイヤリング、黄色の石はただの魔法石ですが……真ん中の石はダイヤモンドなのです」

「え……?」

「職人に頼んで、特別に作ってもらいました」

 カルダニアではプロポーズの際、男性が女性にダイヤモンドを贈ると聞いたことがある。当然、グロウもそのことは知っているだろう。

 彼は私を大切に思ってくれている。それは、疑いようのない事実であった。

「この返事はいつでも構いません。まだ私達は、友達に過ぎませんので。ただ……」

「?」

「友達以上の仲になったとしても、私達はきっと上手くいくと思います」

 グロウはそう言って私に笑いかけてきたのだった。その笑みは、確信に満ちたものであった。

 周囲は私達のことを認めている。グロウの両親も、魔力持ちに対して理解があるのは確実だ。それに彼は、私の欲しい言葉をくれるに違いない。

 ……しかし。

「ごめんなさい、グロウ様。貴方の気持ちには応えられないわ」

「……え?」

「確かに貴方と結ばれたならば、幸せになれるかもしれない。でも私はきっと、貴方を深く傷つけてしまうから」

 気付けば、楽団の演奏は一曲目の中盤に差し掛かっていた。この曲が終わるまで、エドヴァルドはルナーティカと離れることができない。だから、今が頃合いだろう。

 最期に貴方の姿を見れて良かったわ、エドヴァルド様。

「じゃ、私はこれで失礼します。さようなら、グロウ様」

「ちょ……っ」

 グロウは何か言いかけたものの、それを無視して私は広間から走って出ていったのだった。

 結局メイベルに生まれ変わっても、私は心の中を変えることは何一つできなかった。きっとこれからも嫉妬心を滾らせては、感情の赴くままに他人を傷付け、苦しめるだけだろう。

 ならば私は、死ぬことを選ぼうではないか。

 回廊を駆け抜けて王宮の外へと飛び出すと、長い下りの石階段へと辿り着いた。王宮は小高い丘の上にあり、庭園に行くには階段を降りなければならないのだ。当然、そこから転がり落ちたならば無傷では済まされない。

 階段の最上段から、私は思い切り飛び降りたのである。

 さよなら、アルビナ。貴女の好きには、もうさせないわ。

 しかし地面から足が浮いた瞬間、後ろから私の名を呼ぶ声が聞こえてきたのだった。

「メイベル様!!」

 振り向くとそこにいたのは、エドヴァルドであった。

「……っ!!」

 どうして、と私が言うより先に、彼は躊躇いなく階段から飛び降りた。そして私の手を引き、腕の中に閉じ込めたのである。

 エドヴァルドに抱き締められたまま、私は地面へと落ちた。彼に守られたことにより、身体はほとんど無傷であった。

 これ程に長く感じた一瞬が、果たしてこれまであっただろうか。彼の胸に顔を埋めたまま、しばし私は呆然としていた。

 そしてエドヴァルドの苦しげな呻きを聞いて、ようやく我に返ったのである。

「エドヴァルド様!?」

「……っ、危なかった」

 幸いにも命に別状は無いようだが、エドヴァルドの顔や手には擦り傷ができてしまっていた。月明かりだけが頼りの暗がりでも、血が流れているのがすぐに分かる程であった。

「お怪我はありませんか、メイベル様」

 しかしそんな状態でも、エドヴァルドが口にしたのは私を気遣う言葉であった。

 遙か遠くで、楽団の演奏が聞こえる。つまりは、まだ一曲目の最中である。何故彼がここにいるのか。私はまるで理解が追いついていなかった。

「……っ、エドヴァルド様、どうして、ここに?」

「貴女が広間から出ていくのが見えたので、追いかけてきました。間に合って良かった」

「そんな……っ、ルナーティカ様を置いて来るなんて……後でどんな罰があるか……」

「つまらない約束を守って貴女を失うくらいなら、罰を受けてでも貴女を守る。当然でしょう?」

「でも……っ」

「メイベル様」

 何か言うより先に、エドヴァルドは私をきつく抱き締めた。それは優しい抱擁というよりも、捕縛に近いものに感じられた。

「一度だけ、私はユリウスに対して酷く怒ったことがあります」

「え……?」

「それは貴女の気持ちを理解しようとしないことに対する怒りだと思っておりました。しかしそんな綺麗な感情ではないとようやく理解しました……貴女が牙をむいた時に」

「え……?」

「その根底にあるのは、彼に対する醜い嫉妬心に他なりませんでした。義兄はどんな態度をとっても恋慕、怒り、悲しみ……貴女のあらゆる感情を向けられる、ただ一人貴女の注意を引く存在だった。それがずっと羨ましかったのです」

 何も言えずにいると、エドヴァルドは黙って首元のネクタイを緩めた。すると私が付けた傷跡が、白い肌には生々しく残っていたのだった。

「しかし、今は違う。貴女が執着心を向けるのは彼ではなく、自分である。それが嬉しくて仕方がないのです」

 それはエドヴァルドが胸の内に秘めていた黒い感情であり、私が初めて触れるものであった。恐ろしいはずなのに、私は彼を遠ざけようとは全く思わなかった。

 むしろ彼のことを、今までにない程に愛おしく感じ始めていたのだ。

 黒色の絵の具に他の色を混ぜたならば、他の色は黒に潰されて消えてしまう。

 しかし今の私達は等しく黒であり、黒と黒が混ざり合っている状態なのだろう。

 ……そして互いの嫉妬心の裏に隠れている感情も、きっとまた同じ。相手に対する強い恋心なのだ。

「一人で置いていかれるのは、もう嫌なのです。貴女を失うくらいなら、死んだ方がましだ」

「……エドヴァルド様」

「私の願いはただ一つ。どうかこれから先もずっと、貴女の傍に居させてください。共に堕ちていくならば、それが本望です」

 一緒に幸せになろうと言って愛を誓う男女は、この世界にいくらでもいるだろう。しかし、不幸になる時も共に居たいと言える者は、果たしてどれだけいるのだろうか。

 しかし、私の答えはもう決まっていた。

「私の気持ちを受け入れてはくれませんか? ……メイベル様」

 蜜花に吸い寄せられた蝶のように、私はエドヴァルドと唇を重ねた。
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