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赤い愛痕
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「……色、大分とれたかしら」
軽く染めただけだったのでシャンプーで何度も洗ったことにより、髪はほとんど元の色に戻っていた。恐らく乾いたらキシキシになっているだろうが、とにかく元に戻したかったのである。
しかし、髪の元の艶が戻るには時間がかかるだろう。先程のヒソヒソ話を思い出すだけで、また泣きそうになっている自分がいた。
王宮のゲストルームに逃げ込んだ私は、浴室で入浴していた。
主催者がお茶会を抜けることはできないため、モニカは王宮のメイドを一人私の元へ寄越してくれた。そしてメイドは、ゲストルームは好きに使って良い、欲しい物があれば何でも申し付けるようにとのモニカからの伝言を伝えてくれたのである。
取り敢えずお茶会が終わってしばらくするまで、私は部屋から出たくなかった。そして泣き腫らした酷い顔になっていたので、入浴することにしたのだった。
温かい湯に浸かったのもあってか、気持ちはだいぶ落ち着き始めていた。入浴剤の花の香りが、植物園の瑞々しい花々の香りによく似ているからかもしれない。
アルビナだった時は、それほど花が好きという訳ではなかった。花が好きになったのはメイベルになってからのことである。
前世から変わったことはいくつかあるけれども、結局私は悪のまま……なのね。
気付けば私は、ため息を吐いていたのだった。
入浴を終えて、私は用意されていたルームウェアに着替えた。特段やることも無いので昼寝でもしようかと思った矢先、部屋のドアがノックされたのだった。
モニカが様子を見に訪れたのだろうか。しかし時計を見ると、まだお茶会の終了時刻前である。不思議に思っていると、やって来たのは意外な人物であった。
メイドが開けた扉の前に立っていたのは……。
「替えの耳飾りをお持ちしました。メイベル様」
そう言って、グロウは笑いかけてきたのだった。
+
「私も何度か壊したことがあるので、そろそろかなと思いまして。どうぞ」
グロウは私に、新しい耳飾りを差し出した。以前渡されたものとは違い、それは銀色で、小さな花の形をしていた。金色とは違い、今のままでも違和感なく着けられたのだった。
「やはり銀色の方がお似合いですね。持って来てよかった」
「……ありがとうございます」
部屋から出なかったのは、お茶会に戻りたくないからだけではなかった。耳飾りを着けずに外に出たら、何が起きるか分からず不安だったというのもある。グロウは、それを察してくれたのかもしれない。
とはいえ今ここにいるならば、彼はお茶会を抜けてきたということになる。私は恐る恐る、彼に問いかけた。
「その……グロウ様。お茶会は……?」
「ああ、モニカ王女殿下に了承いただいて抜けてきました。エドヴァルド王太子殿下にも、お伝え済みです」
「……そう、ですの」
「それに。貴女の悪口で盛り上がっている話し声を聞いて、紅茶が不味くなりましたので。……本当に腹立たしい」
グロウはメイドが用意した紅茶を飲んでからそう呟いた。淡々とした静かな物言いではあるものの、そこには怒りが滲んでいた。
自分のために、彼は怒ってくれている。私は密かにそのことを嬉しく思い始めていた。
彼は私の味方なのだと。
「そう言えば。グロウ様はいつ、ご自分の魔力に気付かれたのですか?」
お茶会の終了まで、時間はまだまだ余っていた。そこで私は、彼にそんな問いを投げかけたのだった。
「実を言うと……一番最初に私の魔力に気付いたのは、私ではなく両親でした」
昔を思い出すような遠い目をして、グロウは語り出した。
「ハイハイができるくらいの年頃の時、私は掴んだ玩具やものをよく壊していたそうです。それを不審に思った両親が知人に相談した結果、魔力があると判明したのだとか」
「……へえ」
「ちなみに私達が着けている耳飾りを作ってくれたのも、その人です。彼自身は魔力を持たないのですが、魔力を抑えるアクセサリーを作る職人なのですぐに私の魔力に気付いたそうです。耳飾りを着けるようになってから、私がものを壊すことはめっきり減りました」
しかし、とグロウは言葉を切った。
「子供が耳飾りを着けていると、悪目立ちしてしまいまして。それが嫌でなおかつ病弱だったこともあり、幼少期は家で過ごすことが多かったですね」
彼の言葉を聞いて、私はなるほどと納得した。
宰相閣下が我が家に訪れたのは何度か見たことがある。しかし、グロウと会ったのはグラス交換をした日が初めてだったのだ。
「皆と違うのが、嫌で嫌で仕方がありませんでした。……だから」
「……あっ」
いつの間にか、彼は指を絡めるように私の手を握っていた。触れ合った手のひらからは、魔力により呼び起こされた熱が感じられたのである。
慌てて手を引っ込めようとすると、それより先にグロウは続けた。
「貴女という仲間を見つけて、とても嬉しかった」
可愛がるように指の先で私の手の甲を撫でながら、グロウは言った。
「メイベル様」
「……っ」
「他の色に染めなくとも、貴女はそのままの姿で十分美しい」
そこまで彼が言ったところで、私の顔周りに、ふわりと温かな風が吹いた。すると、濡れていた髪が綺麗に乾いたのだった。
触れてみると、不思議なことに軋みもなく、私の髪は染める前の状態に戻っていたのである。
「魔力の扱いに慣れていくと、こういう手遊びも出来るのですよ」
「……ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして。それと……」
「?」
「私からすれば、貴女は魔力を持つ化け物などではありません。魅力的で大切な、ただ一人の‘‘女友達’’です」
言葉の上では、彼は女友達と言った。けれどもそれは、愛の告白に他ならなかった。
欲しい言葉をくれる彼と、それを聞く私。それは、かつてのイヴァンとアルビナの関係によく似ているものであった。
「……と、知らぬ間に随分と長居してしまいましたね」
壁掛け時計を見て、グロウは言った。気付けば、お茶会の終了の時刻となっていた。今から身支度を始めれば、客達と顔を合わせずに帰れるだろう。
「それでは、今日はここで失礼します」
私の手のひらに熱を残して、グロウは部屋を出て行ったのだった。
+
「メイベル様!!」
私が身支度を始めようとしたタイミングで、エドヴァルドはゲストルームへとやって来たのだった。どうやら食堂から走って来たようで、彼は息を切らしており、額には汗が滲んでいた。
「遅くなって、申し訳ございませんでした」
「気にしないでくださいな。今日は彼女に、捕まらなかったのですか?」
本来ならば、心配して駆けつけてくれた彼に言うべきことは他にあるはずだ。けれども、私は無意識にそんなことを口走っていた。
「ええ。話しかけられる前に逃げてきました。今日は夜会ではありませんので」
そう言って、エドヴァルドは悪戯っぽく笑ったのだった。
じゃあこれが夜会だったら、ルナーティカと話してから私に会いに来たということ?
そんな理不尽極まりない苛立ちが、私の胸の中に渦巻き始めていた。自らの気持ちを抑えるように、私は大きく深呼吸したのだった。
けれども湯がすぐには冷水にならないように、私の怒りが消えてくれることはなかった。それどころか、ルナーティカと話す彼の姿を思い出し、どうしようもない嫉妬心は募るばかりであった。
彼は……エドヴァルドは、私のものなのに。
そう思った瞬間。真新しい耳飾りにヒビが入る音がしたのだった。
「……メイベル様?」
「……ん、エドヴァルド様」
部屋に私達だけしかいないのを良いことに、エドヴァルドに抱きついた。彼は私を腕の中に抱き入れてくれたものの、そんなことではもう物足りなくなっていた。
あの女に奪われないように、彼が私のものである‘‘印’’を付けなさい。
そんな心の声に従うように、私は背伸びしてエドヴァルドの首の後ろに手を回した。そして……。
がぶり。
「ーーーっ!?」
「え、あっ……!?」
突然の痛みに顔を歪める彼。その首筋には、赤い血が一筋流れていた。私はエドヴァルドの首に、噛み付いてしまったのである。
それは私が彼に負わせた傷であり、初めて与えた愛痕であった。
軽く染めただけだったのでシャンプーで何度も洗ったことにより、髪はほとんど元の色に戻っていた。恐らく乾いたらキシキシになっているだろうが、とにかく元に戻したかったのである。
しかし、髪の元の艶が戻るには時間がかかるだろう。先程のヒソヒソ話を思い出すだけで、また泣きそうになっている自分がいた。
王宮のゲストルームに逃げ込んだ私は、浴室で入浴していた。
主催者がお茶会を抜けることはできないため、モニカは王宮のメイドを一人私の元へ寄越してくれた。そしてメイドは、ゲストルームは好きに使って良い、欲しい物があれば何でも申し付けるようにとのモニカからの伝言を伝えてくれたのである。
取り敢えずお茶会が終わってしばらくするまで、私は部屋から出たくなかった。そして泣き腫らした酷い顔になっていたので、入浴することにしたのだった。
温かい湯に浸かったのもあってか、気持ちはだいぶ落ち着き始めていた。入浴剤の花の香りが、植物園の瑞々しい花々の香りによく似ているからかもしれない。
アルビナだった時は、それほど花が好きという訳ではなかった。花が好きになったのはメイベルになってからのことである。
前世から変わったことはいくつかあるけれども、結局私は悪のまま……なのね。
気付けば私は、ため息を吐いていたのだった。
入浴を終えて、私は用意されていたルームウェアに着替えた。特段やることも無いので昼寝でもしようかと思った矢先、部屋のドアがノックされたのだった。
モニカが様子を見に訪れたのだろうか。しかし時計を見ると、まだお茶会の終了時刻前である。不思議に思っていると、やって来たのは意外な人物であった。
メイドが開けた扉の前に立っていたのは……。
「替えの耳飾りをお持ちしました。メイベル様」
そう言って、グロウは笑いかけてきたのだった。
+
「私も何度か壊したことがあるので、そろそろかなと思いまして。どうぞ」
グロウは私に、新しい耳飾りを差し出した。以前渡されたものとは違い、それは銀色で、小さな花の形をしていた。金色とは違い、今のままでも違和感なく着けられたのだった。
「やはり銀色の方がお似合いですね。持って来てよかった」
「……ありがとうございます」
部屋から出なかったのは、お茶会に戻りたくないからだけではなかった。耳飾りを着けずに外に出たら、何が起きるか分からず不安だったというのもある。グロウは、それを察してくれたのかもしれない。
とはいえ今ここにいるならば、彼はお茶会を抜けてきたということになる。私は恐る恐る、彼に問いかけた。
「その……グロウ様。お茶会は……?」
「ああ、モニカ王女殿下に了承いただいて抜けてきました。エドヴァルド王太子殿下にも、お伝え済みです」
「……そう、ですの」
「それに。貴女の悪口で盛り上がっている話し声を聞いて、紅茶が不味くなりましたので。……本当に腹立たしい」
グロウはメイドが用意した紅茶を飲んでからそう呟いた。淡々とした静かな物言いではあるものの、そこには怒りが滲んでいた。
自分のために、彼は怒ってくれている。私は密かにそのことを嬉しく思い始めていた。
彼は私の味方なのだと。
「そう言えば。グロウ様はいつ、ご自分の魔力に気付かれたのですか?」
お茶会の終了まで、時間はまだまだ余っていた。そこで私は、彼にそんな問いを投げかけたのだった。
「実を言うと……一番最初に私の魔力に気付いたのは、私ではなく両親でした」
昔を思い出すような遠い目をして、グロウは語り出した。
「ハイハイができるくらいの年頃の時、私は掴んだ玩具やものをよく壊していたそうです。それを不審に思った両親が知人に相談した結果、魔力があると判明したのだとか」
「……へえ」
「ちなみに私達が着けている耳飾りを作ってくれたのも、その人です。彼自身は魔力を持たないのですが、魔力を抑えるアクセサリーを作る職人なのですぐに私の魔力に気付いたそうです。耳飾りを着けるようになってから、私がものを壊すことはめっきり減りました」
しかし、とグロウは言葉を切った。
「子供が耳飾りを着けていると、悪目立ちしてしまいまして。それが嫌でなおかつ病弱だったこともあり、幼少期は家で過ごすことが多かったですね」
彼の言葉を聞いて、私はなるほどと納得した。
宰相閣下が我が家に訪れたのは何度か見たことがある。しかし、グロウと会ったのはグラス交換をした日が初めてだったのだ。
「皆と違うのが、嫌で嫌で仕方がありませんでした。……だから」
「……あっ」
いつの間にか、彼は指を絡めるように私の手を握っていた。触れ合った手のひらからは、魔力により呼び起こされた熱が感じられたのである。
慌てて手を引っ込めようとすると、それより先にグロウは続けた。
「貴女という仲間を見つけて、とても嬉しかった」
可愛がるように指の先で私の手の甲を撫でながら、グロウは言った。
「メイベル様」
「……っ」
「他の色に染めなくとも、貴女はそのままの姿で十分美しい」
そこまで彼が言ったところで、私の顔周りに、ふわりと温かな風が吹いた。すると、濡れていた髪が綺麗に乾いたのだった。
触れてみると、不思議なことに軋みもなく、私の髪は染める前の状態に戻っていたのである。
「魔力の扱いに慣れていくと、こういう手遊びも出来るのですよ」
「……ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして。それと……」
「?」
「私からすれば、貴女は魔力を持つ化け物などではありません。魅力的で大切な、ただ一人の‘‘女友達’’です」
言葉の上では、彼は女友達と言った。けれどもそれは、愛の告白に他ならなかった。
欲しい言葉をくれる彼と、それを聞く私。それは、かつてのイヴァンとアルビナの関係によく似ているものであった。
「……と、知らぬ間に随分と長居してしまいましたね」
壁掛け時計を見て、グロウは言った。気付けば、お茶会の終了の時刻となっていた。今から身支度を始めれば、客達と顔を合わせずに帰れるだろう。
「それでは、今日はここで失礼します」
私の手のひらに熱を残して、グロウは部屋を出て行ったのだった。
+
「メイベル様!!」
私が身支度を始めようとしたタイミングで、エドヴァルドはゲストルームへとやって来たのだった。どうやら食堂から走って来たようで、彼は息を切らしており、額には汗が滲んでいた。
「遅くなって、申し訳ございませんでした」
「気にしないでくださいな。今日は彼女に、捕まらなかったのですか?」
本来ならば、心配して駆けつけてくれた彼に言うべきことは他にあるはずだ。けれども、私は無意識にそんなことを口走っていた。
「ええ。話しかけられる前に逃げてきました。今日は夜会ではありませんので」
そう言って、エドヴァルドは悪戯っぽく笑ったのだった。
じゃあこれが夜会だったら、ルナーティカと話してから私に会いに来たということ?
そんな理不尽極まりない苛立ちが、私の胸の中に渦巻き始めていた。自らの気持ちを抑えるように、私は大きく深呼吸したのだった。
けれども湯がすぐには冷水にならないように、私の怒りが消えてくれることはなかった。それどころか、ルナーティカと話す彼の姿を思い出し、どうしようもない嫉妬心は募るばかりであった。
彼は……エドヴァルドは、私のものなのに。
そう思った瞬間。真新しい耳飾りにヒビが入る音がしたのだった。
「……メイベル様?」
「……ん、エドヴァルド様」
部屋に私達だけしかいないのを良いことに、エドヴァルドに抱きついた。彼は私を腕の中に抱き入れてくれたものの、そんなことではもう物足りなくなっていた。
あの女に奪われないように、彼が私のものである‘‘印’’を付けなさい。
そんな心の声に従うように、私は背伸びしてエドヴァルドの首の後ろに手を回した。そして……。
がぶり。
「ーーーっ!?」
「え、あっ……!?」
突然の痛みに顔を歪める彼。その首筋には、赤い血が一筋流れていた。私はエドヴァルドの首に、噛み付いてしまったのである。
それは私が彼に負わせた傷であり、初めて与えた愛痕であった。
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