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令嬢、駆け出す

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 ドレッサーの鏡の前に座り、映った自らの顔を覗き込む。そこにいるのは赤い目をした悪女アルビナではなく、ただの一貴族の小娘メイベルだ。しかし、その心の中に渦巻くものは、暗澹とした嫉妬の感情である。

 姿形は変わっても、内面は何一つ変わっていなかった。そのことに、とうとう私は気付いてしまったのである。

「……酷いクマですこと」

 ルナーティカと話した日から、私は一度も外出していなかった。出先でエドヴァルドと彼女が二人でいる光景を目にしたら、発狂してしまいそうに思えたのだ。もっと言ってしまえば、ルナーティカに掴みかかってもおかしくはない状況に陥っていた。

 しかし、ずっと引きこもっている訳にもいかない。今日は午後から、ハリーストの王宮でお茶会が開かれるのだ。国内外の多くの貴族が招かれた大規模なものであり、かなり前から参加が決まっていたのである。

 父上や兄上は、体調が優れないならば欠席しても良いと言ってくれた。しかし、今回はモニカが初めて主催者を務める特別な会であった。招待状に参加と返信した手前、当日に欠席するのは失礼なことだ。親友の晴れ舞台を見届けるためにも、私は参加することに決めたのである。

 ふと壁掛け時計を見ると、もう昼前となっていた。そろそろお茶会の準備をしなければならないので、私はドレッサーの引き出しからイヤリングを取り出した。

 グロウから貰った耳飾りには、ガラスが割れたようなヒビが入っていた。ルナーティカへの激しい感情により魔力が溢れ、それをギリギリで抑え込んだが故にこうなったのだろう。

 壊れかけのアクセサリーを身に着けるのは、本来ならば避けるべきことだ。しかし、今の私はこれが無ければ何をするか分からない。割れ目も模様に見えなくはないと思い、私はイヤリングを耳に着けた。

 鏡の前で、耳飾りを着けた自分をじっと見つめる。地金が濃いイエローゴールドであるため、今の自分にはやや浮いて見えるのだった。それは恐らく肌が黄色ではなくピンク寄りであり、髪色も明るいブラウンだからだろう。

 肌の色はファンデーションで調整出来るものの、化粧をしても耳飾りの違和感が消えることはなかった。

 ……どちらかと言えば、暗い髪色の方が似合うのよね。

 そう。アルビナのような、コーヒー色の髪とか。

 いっそ、悪に染まってしまった方が心も身体も楽になれるのだろうか。そんな思いが芽生えたのだった。

 そして思い立ち、私はドレッサーの椅子から立ち上がったのである。

+

「メイベル……って、その髪どうしたのよ!?」

「あら、そんなに驚かなくても」

 お茶会の会場である大食堂に行くと、すぐさまモニカが話しかけてくれた。しかし彼女は、私を見てとても驚いたようだった。

「びっくりするわよ、だって、髪……染めたの?」

「ええ。少し気分を変えてみたくて」

 そう。私はお茶会に来る前に、髪を染めてきたのである。我が家の植物園に植わっているハーブの中で、毛染めに使えるものがあるのを思い出したのだ。すり潰してから髪に塗って洗い流せば、髪は暗い茶色へと見事に染まったのだった。

「ドレスやジュエリーも髪に合わせてみたのだけれども……変かしら?」

 私はいつもは着ないボルドーのドレスを着ていた。それもあり、耳飾りだけが浮くこともなく、統一感のある装いとなったのだった。

 赤系統のドレスに、金製のジュエリー。これは、アルビナであった時に好んでいた組み合わせであった。

「ううん、とても素敵だし似合ってるわ。でもね……」

「?」

「何だかいつもより大人びていて、遠い存在になっちゃったみたいだわ」

 そう言ったモニカの顔は、ほんの少し寂しげであった。

 メイベルは彼女からすれば昔からの知り合いだけれども、アルビナは顔も知らぬただの他人だ。モニカの言葉を聞いて、私は胸がチクりと痛むのを感じた。

「って、私ったら。ごめんね、変なこと言って。お茶会、楽しんでいってね」

「ええ、ありがとう。じゃあまたね」

 モニカに別れを告げて、私は自分の席へと着いたのだった。

+

 やがてモニカの始まりの挨拶を皮切りに、お茶会は始まった。ケーキスタンドの皿の上には、可愛らしい一口大のケーキが何種類も並べられている。どれも美味しくて、モニカのこだわりを感じるものばかりであった。

 席の近い人々と歓談しながら、私はちらりと周囲に視線を向ける。今日のお茶会は、エドヴァルドとルナーティカも参加しているのだ。

 モニカが気を利かせてくれたようで、二人はかなり離れた席に座っていた。まだ私とエドヴァルドは友人なので、隣に座ることは叶わない。けれども、ルナーティカと彼を引き離せて安心している自分がいた。

 しかし。

「今日は‘‘あのお二人’’、ご一緒ではないのね」

 紅茶を一口飲もうとした矢先、そんな一言が遠くから聞こえてきたのだった。 

 そこまでは良かった。けれども、その後聞こえてきた会話が、私を地獄へと突き落としたのである。

「珍しいですわね。近頃、殿下とルナーティカ様のお二人でいらっしゃるところをよくお見かけしていたのですが……」

「おっしゃる通りですわ。てっきり、お二人はもう婚約してらっしゃるのかと思ってましたもの」

 エドヴァルドの隣にいる存在は、私ではなくルナーティカだと、皆が思っていたのだ。

「しっ、そんなこと言うと聞こえてしまいますわよ。仮にもモニカ王女殿下のご友人ですのに」

「あらやだ、私ったら」

 しかし、悪夢のような会話が終わることはなかった。

「見て……あの髪色。染めたのかしら?」

「本当だわ、もしかして殿下の気を引くためにお洒落に気合いを入れてきたのかしら?」

「ふふ、それにしてもあれは無いわよ。だって、御髪に艶がなくて全然美しくないもの」

「ね、ルナーティカ様と大違いだわ」

「……うるさいわね!!」

 ルナーティカと大違い。その言葉を聞いた瞬間。私は立ち上がり、そう叫んでいた。

 食堂は静まり返り、周囲の視線が一斉に私に集まる。そして私は、食堂の出口まで走り出したのだった。

「メイベル、どうしたの!?」

「メイベル様!?」

 後ろからモニカやエドヴァルドの声が聞こえてきたが、それすらも無視して私は部屋を飛び出した。そして知らぬ間に、涙が零れて止まらなくなっていたのであった。

 辛い、苦しい。

 全部貴女のせいよ、ルナーティカ。

 貴女のせいで、私は……。

 自分の中に渦巻く激しい感情を、抑えることができない。このまま食堂に戻れば、私はルナーティカの胸ぐらを引っつかむに違いない。

 顔を下に向けると、金色の破片が絨毯に落ちていくのが見えた。

 それは、粉々に砕け散ったイヤリングの残骸であった。
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