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第三幕(最終章)真実追究編

55 終焉の聖戟 

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「メフィスト、降りて来い。俺が相手してやる!」
「クラウン・アルヴァートにヴァイオレッタ・ロゼ・カインズベリー。かつての英雄クロスロードと聖女ミネルバを見ているかのようです」

 メフィストは恐らく、ワタクシ達の魂を視て会話をしている。天高くに浮かんでいるにもかかわらず、男にも女にも聴こえる悪魔の声はワタクシの頭蓋へ共鳴するかのように、ワタクシの脳内へ直接語りかけているようだった。

「まぁ、そう焦らないで下さい。吾輩も外の空気は久し振りなんです。前回滅ぼした時は外に出る機会はありませんでしたから。五百年振りの外界を堪能したいという吾輩の気持ちを察して下さい。少し話をしましょう」

 脳内に語り掛けるメフィストの声。自身の欲望を満たすために世界を、そして、時空をも渡る悪魔。契約した人間の魂や悪魔に魅了された人間の欲望を喰らう事で、この世界に居座っているらしい。

 悪魔の声は優しく、脳内へ滑り込んでいく。一瞬でも気を抜けば、ワタクシの思考を全て呑み込んでしまいそうな悪魔の囁き。

 ただ雄弁に昔語りをする悪魔。だが、背後には、『こっちへおいで、こっちへ来るととっても愉しいよ? 快楽のまま一緒に気持ち良くなろう?』と、欲望へ誘ういざなう言霊ことだまが籠められているようだった。

 このまま奴のペースに呑まれてはいけない。そう思った矢先、ワタクシの横に立つ王子が動く。

女神の聖剣ミューズセイバー――聖戟せいげき月夜の審判ルナリス・カタルシス!」

 天上まで昇る光は天高くに浮かぶ悪魔の下へも届く。が、クラウンの放った光の柱が消滅した後、何事も無かったかのように、メフィストはただただ宙に浮かんでいた。

「どうしたんですか、そんなに怒って? ただ吾輩は話をしていただけなのに」
「何を言っているの? 話ながら洗脳の魔力を混ぜていたのはそっちでしょう? メフィスト」

 メフィストへ向かって微笑むワタクシ。メフィストも上空で静かにわらう。暫しの沈黙……そして、それまで表情のなかった悪魔の顔が歪んだ。

「フ。矮小な人間如きが、高尚な存在である吾輩に歯向かうとは。どうやらもう一度死にたいみたいですねぇ」

 刹那、黒き雷が、王子の身体目掛けて天上より放たれる。しかし、蒼き瞳を光らせたワタクシがドーム状の結界で王子とミランダヴァイオレッタ、そして、モブメイドの肉体を包み、雷より身を護る。結界と轟雷がぶつかる衝撃で、中庭の樹々も噴水も女神像も、全てが吹き飛び、周囲は一瞬にして灰燼と化してしまう。

「その程度の結界で、何処まで持ちますかね?」

 続け様に放たれる黒い雷。中庭が、城の景色が変わっていく。衝撃に立っている事がやっと。聖女の結界に亀裂が入った事で、上空へ浮かぶメフィストが腕を振り下ろす。

「さぁ、冥界へ落として差し上げますよ。――獄鳴雷迅インフェルノ・トールス!」

 立ち込める暗雲に轟く雷鳴。城ごと全てを無に帰そうとするメフィストの一撃。しかし、地形を変えてしまう程の雷撃が、地上に放たれる事はなく……。

「何故、何故発動しないのです?」

 もう一度腕を振り下ろすメフィスト。が、雷撃はワタクシ達へ届かない。訪れる静寂を打ち破るかのように、メフィストの眼前、漆黒のをはためかせた男が顕現する。

「俺様がお前の魔法を封じたからな!」
「貴様!? 時を渡った男か……なっ……その翼……まさか!?」
「嗚呼、そのまさか・・・だよ? 俺様が契約した者は、女神ミューズではなく、悪魔アスタロト・・・・・だよ」

 ジルバートの契約していた相手が悪魔? でも彼は確かに生前わたしの幼馴染だったカイトであり、ワタクシ達の味方として現れた人物に間違いはなかった。ワタクシ達が考えるよりも早く、ジルバートがワタクシの傍へと降り立つ。 

「今まで黙っていて済まなかった。俺様は選ばれた者ではない。だから時を渡るためにはこうするしかなかったのさ」
「でも、ジルバート……それって……」
「いや、大丈夫だ。心配ない」

 悪魔と契約した者はその願いが成就した際、魂を喰われる。きっとメフィストじゃなくても同じ結末を迎えるのではないか? ワタクシの心配を余所にジルバートは再び大空へと舞い上がる。やがて、脳内にジルバートの声が響く。

『俺様が魔力を封じている間に、聖女の力で奴を浄化しろ! 時間がない、急げ!』

 考えている時間はない。ジルバートが作ってくれた絶好の機会なのだ。ワタクシと王子は黙って頷き、聖なる力を籠め、聖剣を高く掲げる。

「私の魔力も使って下さい。ヴァイオレッタ様 (ワタクシの魔力も使って、モブメイドちゃん)」

 ミランダヴァイオレッタ様がワタクシの手に自身の手を重ねる。聖剣が放つ光がより一層輝きを増す。その時だった。脳内にジルバートとは別の声が響く。

『お姉様ーーー、どうやら間に合いましたわ。聖女候補ミレイ侯爵令嬢様を連れて参りましたわ』
『わたしには分かります。本物の聖女様・・・ですね。聖なる魔力を通じ、貴女様へ直接語り掛けています』

 声の主は、セイヴサイド領の神殿へ向かっていたフィリーナ王女と、聖女候補ミレイ令嬢だった。フィリーナ王女がやって来た時には既に、彼女は、クイーンズヴァレー領に蠢く悪しき力にいち早く気づいたんだそう。神殿直轄の聖騎士団を引き連れやって来た彼女は、聖騎士団とトロールを対峙させ、今、直接ワタクシの脳内へ魔力を通じて話し掛ける事に成功していた。

『え? お姉様が聖女だったの!? 凄い、凄いわ、ヴァイオレッタお姉様!』
『フィリーナさん。いま通信へ割り込んで来るのはちょっと……』
『え? あ、そうだった。ヴァイオレッタ様ぁあああ。今からミレイ様が、そっちへ聖なる力を送るから、悪魔の浄化へ使って欲しいって!』

「待って、そんな事が出来るのミレイ様?」
『ミレイって呼んで下さい。勿論可能です。私は正式な継承者ではなくても聖女候補の一人。私は、同じ母を持つ者ですから、きっと大丈夫です、お姉様・・・

 まさか、彼女の母親もシスターホワイトベル? つまり彼女は……ワタクシ……いや、わたしの妹?

 温かな魔力がワタクシの中へと流れ込んで来る。シスターと同じ、慈愛に満ちた温もり。いつの間にか、ヴァイオレッタの艶やかな紫色の髪が美しい銀髪へと変化し、いつものドレスは純白の聖衣へと変化していた。背中に天使の翼を生やしたワタクシは、王子の背後へ回り込み、王子の翼となって、上空へと舞い上がる。

「馬鹿な……目覚めたばかりの聖女如きが、女神ミューズの力を此処まで引き出せる筈が……」
「ワタクシを想ってくれる、ワタクシを支えてくれる全ての者が居る限り、あなたに負ける事はないわ」

「くっ、嘗めるな人間!」

 ジルバートへ手を翳し、彼を弾き飛ばし、封印の呪縛を強引に解くメフィスト。が、悪魔の抵抗虚しく、既にクラウン王子が両手で聖剣を握り、真っ直ぐに悪魔へ向かって振り下ろしていた。

「終わりだ。終焉の聖戟フィーニス=ラグナロク!」
「馬鹿ナァアアアアアアアアア!」

 断末魔と共に、悪魔の魂が光と共に浄化されていく。天上へと光が伸び、立ち込めていた暗雲全てが蒼穹そうきゅうへと塗り替えられていく。天上から降り注ぐ光は地上に残っていた全ての魔物を浄化し、昇天させていった。

「終わったのね……」
「嗚呼」
「ヴァイオレッタ様、やりましたわ (モブメイドちゃん、やったわね)」

 地上に降りたクラウンとワタクシを出迎えるミランダヴァイオレッタ様。ワタクシの姿も元の紫髪とワインレッドのドレスへと戻っている。ジルバートの背についていた翼も消えており、彼はワタクシ達と少し離れた場所へ一人立っていた。

 彼はモブメイドであるわたしを救うため、自ら時を渡ったんだ。悪魔と契約してでも果たしたかった願い。ワタクシは背を向けたままの彼の手をそっと握る。

「ジルバート……」
「……何も言うな」

「ありがとう、カイト」
「……」

 彼が、その言葉に応える事はなかった。

「ヴァイオレッタ様! モブメイドが……」
「うぅっ……」

 ミランダヴァイオレッタ様へ呼ばれて気づく。モブメイドの身体が淡い光に包まれていたのだ。光に包まれた肉体は今にも消えてしまいそうで……。

「ミランダ! しっかりしなさい」
「もう無理よ。メフィストに魂のほとんどを持っていかれた。私はもうこれで終わり」

「そんな、生きていれば、またやり直せるわ」
「私は一度世界を滅ぼした。私の魂一つじゃあ足りないくらいだわ」
「ミランダ! 駄目よ、ミランダ!」

 モブメイドの身体ごと光に包まれ消滅する。次の瞬間、ワタクシが見ていた景色も真っ白に包まれる。何も見えない中、脳内に彼女の声が聴こえて来る。

『メフィストが消滅した。つまり世界の理は書き換えられるわ。モブメイドちゃん、あなたも呪縛から解放されるわ』
「それってどういう……?」

『さようなら、〇〇〇ラ』
「え?」

 一瞬だけ、ミランダの笑顔が見えた気がして、光に包まれたわたしの意識はそこで途切れたのだった。
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