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前章
Side I 6
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「と、透さん…」
自然に呼ぼうと思ったのに、ドがつくほど不自然な震えと尻すぼみの声が出た。
皿を洗う内海さんは一瞬こちらを向いたけど、
なに、と何事もなかったかのように視線を皿に戻しながら返す。
それでほっと胸をなでおろした。
名前で呼んでもいいらしい。
「部屋、どう? 見つかりそう?」
「それがなー…、ΩNG物件が多いんだよ。トラブルが起こるとよくないっつって…」
きれいな顔をしかめて、透さんが続ける。
曰く、Ω専用の物件はオートロックだったりセキュリティがしっかりしているところが主で、
つまり家賃が高いのだという。
そうはないところも借りられなくはないが、
ヒートの時に匂いが漏れるのを考慮すると迂闊に決められない。
「おれから言い出しておいてなんだけどもう少しここにいさせてほしい」
「俺的には大歓迎なのでそれはいいんだけど…」
「お前理性強いよなぁ。ヒート中じゃないとはいえ、結構クるだろ、匂いが」
「そりゃ、あなたを大事にしたいからね…」
「ふ、男前発言」
きゅっとコックをひねってタオルで手を拭く。
7月も半ばを過ぎた。
ヒートまではまだあるはずだが、前回のように周期が狂うことを考えると早めに手を打ちたい。
食事のときだけリビングで顔を合わせていたのが、
最近は並んでテレビを見ることも増えた。
…いや、当社比で、だが。
一般の同居人ですらもう少し時間を共にするとは思うけど、俺にとっては偉大な前進だ。
お互いの部屋は(正しくは透さんの部屋が、だが)不可侵なままだが
それでもだいぶ同棲に慣れてきていた。
透さんは、結構早い段階で俺を怖がらなくなった。
いや、内心でどう思っているのかはわからないけれど、
少なくとも俺は当初のような刺さらんばかりの警戒心を感じることはなくなっていた。
それが素直に、嬉しい。
けれどたまに思うことがある。
ソファに寝転がるその肢体の筋に、丸い尻の膨らみに、
長い髪から除く大きな瞳に、…チョーカーで隠されたうなじに、
俺は、理性を飛ばさずにどこまでいられるのだろうか。
かなり危険な均衡だった。
少しの匂いと、気の迷いで、ぐらりと傾ぎそうになる。
そうなったら終わりだ。
俺が後悔するくらいならいいが、この人が傷ついたら耐えられない。
全うに口を利くようになってから確信したが、透さんは口調や態度のわりに繊細で優しい人だ。
たぶん本当に俺を刺すとかできないだろう。
気づけ薬は奥歯の裏に仕込んでおくとして、それすら役に立たないときの非常装置をどうしたらいいか。
俺は透さんに一度も触れたことがない。
透さんも俺の額に湿布を貼ったとき、湿布越しに触れたくらいだ。
その薄皮一枚の境界線が決壊するのが怖い。
それでも一緒にいたいというわがままを通すためにどうしたらいいか毎日考えている。
俺たちは本能で引き寄せられた。
だからなのか結構気が合うと思っている。
生物としてのリズムなのか、性格の噛み合わせなのか、わからないが。
とにかく透さんといるのはひどく居心地がよかった。
こんな穏やかな気持ちになる人がこの先現れるとは思えない。
それならば、彼の恐怖や傷ごと抱えて一緒にいるための努力がしたい。
本当は同棲解消も嫌だけれど彼を守るためならば仕方がないと納得できる。
「おれ明日病院行くから飯先食ってて」
「え、大丈夫?」
「うん、薬もらいに行くだけだし」
いや、だって、この間ももらいに行ってなかったっけ。
「透さん、薬の量多くない…? 俺がいるせい…?」
「元から多いんだよ。虫よけ。お前のせいじゃない」
オロつくなよ、と笑われたが、俺の気は重かった。
抑制剤は強力であればあるほど体をむしばむ。
自然に呼ぼうと思ったのに、ドがつくほど不自然な震えと尻すぼみの声が出た。
皿を洗う内海さんは一瞬こちらを向いたけど、
なに、と何事もなかったかのように視線を皿に戻しながら返す。
それでほっと胸をなでおろした。
名前で呼んでもいいらしい。
「部屋、どう? 見つかりそう?」
「それがなー…、ΩNG物件が多いんだよ。トラブルが起こるとよくないっつって…」
きれいな顔をしかめて、透さんが続ける。
曰く、Ω専用の物件はオートロックだったりセキュリティがしっかりしているところが主で、
つまり家賃が高いのだという。
そうはないところも借りられなくはないが、
ヒートの時に匂いが漏れるのを考慮すると迂闊に決められない。
「おれから言い出しておいてなんだけどもう少しここにいさせてほしい」
「俺的には大歓迎なのでそれはいいんだけど…」
「お前理性強いよなぁ。ヒート中じゃないとはいえ、結構クるだろ、匂いが」
「そりゃ、あなたを大事にしたいからね…」
「ふ、男前発言」
きゅっとコックをひねってタオルで手を拭く。
7月も半ばを過ぎた。
ヒートまではまだあるはずだが、前回のように周期が狂うことを考えると早めに手を打ちたい。
食事のときだけリビングで顔を合わせていたのが、
最近は並んでテレビを見ることも増えた。
…いや、当社比で、だが。
一般の同居人ですらもう少し時間を共にするとは思うけど、俺にとっては偉大な前進だ。
お互いの部屋は(正しくは透さんの部屋が、だが)不可侵なままだが
それでもだいぶ同棲に慣れてきていた。
透さんは、結構早い段階で俺を怖がらなくなった。
いや、内心でどう思っているのかはわからないけれど、
少なくとも俺は当初のような刺さらんばかりの警戒心を感じることはなくなっていた。
それが素直に、嬉しい。
けれどたまに思うことがある。
ソファに寝転がるその肢体の筋に、丸い尻の膨らみに、
長い髪から除く大きな瞳に、…チョーカーで隠されたうなじに、
俺は、理性を飛ばさずにどこまでいられるのだろうか。
かなり危険な均衡だった。
少しの匂いと、気の迷いで、ぐらりと傾ぎそうになる。
そうなったら終わりだ。
俺が後悔するくらいならいいが、この人が傷ついたら耐えられない。
全うに口を利くようになってから確信したが、透さんは口調や態度のわりに繊細で優しい人だ。
たぶん本当に俺を刺すとかできないだろう。
気づけ薬は奥歯の裏に仕込んでおくとして、それすら役に立たないときの非常装置をどうしたらいいか。
俺は透さんに一度も触れたことがない。
透さんも俺の額に湿布を貼ったとき、湿布越しに触れたくらいだ。
その薄皮一枚の境界線が決壊するのが怖い。
それでも一緒にいたいというわがままを通すためにどうしたらいいか毎日考えている。
俺たちは本能で引き寄せられた。
だからなのか結構気が合うと思っている。
生物としてのリズムなのか、性格の噛み合わせなのか、わからないが。
とにかく透さんといるのはひどく居心地がよかった。
こんな穏やかな気持ちになる人がこの先現れるとは思えない。
それならば、彼の恐怖や傷ごと抱えて一緒にいるための努力がしたい。
本当は同棲解消も嫌だけれど彼を守るためならば仕方がないと納得できる。
「おれ明日病院行くから飯先食ってて」
「え、大丈夫?」
「うん、薬もらいに行くだけだし」
いや、だって、この間ももらいに行ってなかったっけ。
「透さん、薬の量多くない…? 俺がいるせい…?」
「元から多いんだよ。虫よけ。お前のせいじゃない」
オロつくなよ、と笑われたが、俺の気は重かった。
抑制剤は強力であればあるほど体をむしばむ。
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