残業100時間で恋に落ちるとは聞いてません~その手を取ってしまえば、もう後戻りはできない

中岡 始

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第6章:静かに横たわる傷

俺、恋してますね、たぶん

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夜の休憩スペースは、仕事帰りの人々がまばらに座る静かな空間だった。

窓の外には街の灯りが浮かび上がり、行き交う車の光がちらちらと反射している。  
それでもこの空間の中だけは、誰もが深く椅子に沈み、言葉少なに時間をやり過ごしていた。

陸は紙コップを手に持ち、じっと湯気を見つめていた。  
温かさはまだ残っている。  
けれど、それがじきに冷めることを、どこか他人事のように感じていた。

向かいには木原が座っていた。  
彼女もまた、自分のコーヒーにほとんど手をつけないまま、窓の外を見ていた。

「如月さん、少しずつ元気になってるみたいやね」

木原の声は、ぽつりと水面に落ちた石のように、静かに響いた。

陸は小さくうなずいた。

「はい。今日、ちゃんと目、覚まされました」

「そう……よかった」

ほっとしたように言ってから、木原は少しだけ身体を前に傾けた。

「天城くん」

「はい」

「如月主任な、誰かがほんまに苦しんでる時、先に気づいて動く人やったんよ」

陸は、その言葉を反芻するように、視線を下げた。

「入社して間もない頃やったかな。  
別の部署の子が、急に責任押しつけられて泣いててな。  
その子が自分の部署の人間でもないのに、主任、自分からクライアントに謝りに行ったんやって」

木原の目が、やさしく細められる。

「後で『何であんたが行ったん』って聞かれても、『その子が潰れたら、誰も助けへん気がしたから』って。  
普通、そこまでせんよ。自分の評価も落とすようなもんやし」

「……優しい、っていうより」

陸が言葉を選ぶ。

「優しすぎた、んですよね」

木原はそれに、静かに頷いた。

「ほんまは、あの人が一番助けられる側やったんやろな。でも、それを選ばんかった」

陸は、手にしていた紙コップを見つめた。  
その底に映る自分の顔が、少し疲れている気がした。

「俺、ずっと主任のこと、かっこええなって思ってました。  
自分が手を出すより早く、もう全部終わってる。  
頼んでもないのに、必要なこと全部やってくれてて」

少しだけ笑う。

「気がついたら、主任の背中ばっか見てたんですよね」

木原は黙って耳を傾けていた。  
その沈黙が、妙にありがたかった。

「で、気づいたんです。  
俺、守りたいとか、助けたいとか、そういうことばっか考えてたけど――」

言いかけて、少し口元を噛んだ。  
照れくさいというよりも、情けないような、落ち着かないような気分だった。

「俺、恋してますね、たぶん」

木原がゆっくり目を細めた。  
言葉に出したことで、自分のなかでも確かな形になった。

「傍にいたいとか、あの人が笑ってたら嬉しいとか、  
そういうことばっか考えてる自分に気づいて……やっと、ああ、これ“好き”ってことなんや、って」

口に出すと、妙に実感が湧いた。

「ただ、“守りたい”っていうだけじゃ、足りへんのですよ。  
俺、あの人の横におって、ただ一緒に朝を迎えたり、仕事の話したり、  
そういうのが、ずっと続いたらええなって……思ってしまってるんです」

木原は頷く。

「ええやん、ええと思うよ」

「でも、怖いんです」

「怖い?」

「主任が、それを“重い”って思ったらどうしようって。  
あの人、きっと“守られること”に慣れてないから」

木原は、それにはすぐに答えなかった。  
ただコーヒーをひとくち飲んで、少し首を傾ける。

「それでもええやん。  
あの人が逃げても、沈黙しても、  
好きって思うことだけは、自分のもんやからな。  
伝えんでもええし、伝えてもええ。  
ただ、自分が嘘つかんかったら、それでええんちゃう?」

陸は少しだけ、目を伏せた。  
その言葉が、じんわりと胸に染みてくる。

「……はい」

今すぐ何かが変わるわけじゃない。  
でも、ちゃんと見つめて、ちゃんと心で答えを出した気がした。

紙コップを置いて、陸は席を立つ。  
木原も静かに立ち上がり、荷物を手にした。

ふたり、並んで休憩スペースを出るとき、窓の外では夜が少しだけ濃くなっていた。  
灯りの数が増えて、街はまだ眠る気配を見せていなかった。

陸の足取りは、どこか軽くなっていた。  
胸の中に、はっきりとした輪郭の気持ちが灯っていた。

それは、守りたいからではなく。  
一緒にいたいから、という気持ちだった。
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