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第1章『その男、笑顔で距離ゼロ』
主任って、チョコ苦手なんですか?
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午後三時を過ぎると、オフィスの空気が微かにゆるむ。
一日のうちで最も集中力が落ちやすい時間帯。会議や外出がない限り、社員たちはそれぞれのペースで仕事を進めつつ、ちらちらと休憩のタイミングを見計らっていた。
理玖は軽く伸びをしながら、自席の引き出しからコンビニの袋を取り出す。昼休みに買っておいたパンのうち、ひとつは食べきれなかったものだ。
見た目は小さくても、妙に甘くて胃にくる。チョコチップがごろごろと入ったパンで、ふとした気まぐれで買ってしまったものだったが、やはり自分には向いていなかった。
袋を開けて、ひと口だけかじったものの、やはり無理だと判断して、そっと袋を閉じる。
その一連の動きを、ふと感じた視線の存在があった。
「主任って、チョコ苦手なんですか?」
少し離れた席から、大樹が声をかけてきた。
理玖は一瞬だけ返事に迷った。
それほど大きな声ではなかったが、そのタイミングと視線の鋭さに、少しだけ驚かされる。
「……あまり得意じゃない」
「へえ、そうなんですね。甘いもの全般?」
「いや、ものによる。ケーキとかは平気だが…チョコは少し重く感じる」
それがなにか?と言いたげな声にならない問いを込めたが、大樹はただ柔らかく笑った。
「意外です。甘いもの好きそうに見えてたんで」
「それはどういうイメージだ」
「うーん、たぶん勝手なイメージです。主任って、おだやかだから」
おだやか、という言葉が理玖の中に引っかかる。
そんな風に言われることに慣れていないわけではない。だが、それは表面をなぞっただけの言葉だ。そうやって適当に、当たり障りのない評価を受けてきた。それが人付き合いの中では普通だと思っていた。
けれど、大樹の言葉は、どこか違う響きを持っていた。
何が、とは言い切れない。ただ、理玖を“普通の上司”として見ていない、何かがある。
そう思わせるには十分だった。
「僕、甘いの大好きなんですよ。だからつい、チョコパン選びがちなんですけど…主任が残してるの見て、びっくりしました」
「見てなくていい」
「すみません、たまたまです。観察癖があるのかもしれません」
自嘲気味に笑うその口調は軽かったが、妙に正直に響いた。
理玖は何も言わずにゴミ箱にパンの袋を捨てた。
その後の数日間は、平穏といえば平穏だった。
特別な事件が起こることもなく、チームで動いているプロジェクトも順調に進んでいた。
大樹はよく働く。吸収が早く、雑務も率先してこなすし、社内でも好感を持たれている様子が見て取れた。
理玖も一歩引いた位置から見守る程度で、過剰に関わることはなかった。
だが──
ある日、午後の休憩タイムに、ほんのささやかな“違和感”がまた理玖を捉えた。
自席に戻ると、パソコンの横に缶コーヒーがひとつ置かれていた。
無造作に見えるが、缶の向きが正面を向いていて、銘柄はブラック。砂糖もミルクも入っていない、無骨な味のやつだ。
誰が置いたのか。ほんの一瞬のうちに考える。
すぐに、その人物は浮かんだ。
視線をあげれば、斜め前の席にいる大樹が、なにげないふうに仕事を続けていた。だが、どこかで視線がぶつかることを予期していたのか、理玖と目が合うと、すぐに笑みを浮かべて言った。
「ブラック、お好きですよね」
「……ああ」
「あ、違ったら僕が飲みます。間違ってたら、遠慮なく言ってください」
言い訳のような補足がついていたが、その目にはやはり確信があった。
理玖は缶を手に取った。冷たさが手のひらに伝わる。口に出して文句を言うほどではない。
ありがたくもないが、拒否する理由もない。
静かにプルタブを引いて、一口だけ口をつける。
濃い。だが、悪くない。
ほんの少し、喉が熱を帯びるような感覚を覚えた。
仕事に戻りながら、理玖は小さくため息をついた。
なぜ、こうも自然に懐に入り込んでくるのか。
なぜ、こんなささいな好みを覚えているのか。
数日前の、残したパンのことを覚えていたのだろう。
甘いものが苦手だと口にしたことなど、他愛ない一言のはずだったのに。
俺は、彼に対して何か印象的なことを言った覚えはない。
なのに、彼の記憶の中には、確実に“俺”の要素が残っている。
理玖は缶を見つめる。
ただのブラックコーヒー。ただの差し入れ。
それでも──
なんで、俺の好み、把握してるんだ。
胸の奥に、小さな波紋が広がった。
気のせいだと打ち消しても、缶を持つ手はほんのわずかに重みを感じていた。
一日のうちで最も集中力が落ちやすい時間帯。会議や外出がない限り、社員たちはそれぞれのペースで仕事を進めつつ、ちらちらと休憩のタイミングを見計らっていた。
理玖は軽く伸びをしながら、自席の引き出しからコンビニの袋を取り出す。昼休みに買っておいたパンのうち、ひとつは食べきれなかったものだ。
見た目は小さくても、妙に甘くて胃にくる。チョコチップがごろごろと入ったパンで、ふとした気まぐれで買ってしまったものだったが、やはり自分には向いていなかった。
袋を開けて、ひと口だけかじったものの、やはり無理だと判断して、そっと袋を閉じる。
その一連の動きを、ふと感じた視線の存在があった。
「主任って、チョコ苦手なんですか?」
少し離れた席から、大樹が声をかけてきた。
理玖は一瞬だけ返事に迷った。
それほど大きな声ではなかったが、そのタイミングと視線の鋭さに、少しだけ驚かされる。
「……あまり得意じゃない」
「へえ、そうなんですね。甘いもの全般?」
「いや、ものによる。ケーキとかは平気だが…チョコは少し重く感じる」
それがなにか?と言いたげな声にならない問いを込めたが、大樹はただ柔らかく笑った。
「意外です。甘いもの好きそうに見えてたんで」
「それはどういうイメージだ」
「うーん、たぶん勝手なイメージです。主任って、おだやかだから」
おだやか、という言葉が理玖の中に引っかかる。
そんな風に言われることに慣れていないわけではない。だが、それは表面をなぞっただけの言葉だ。そうやって適当に、当たり障りのない評価を受けてきた。それが人付き合いの中では普通だと思っていた。
けれど、大樹の言葉は、どこか違う響きを持っていた。
何が、とは言い切れない。ただ、理玖を“普通の上司”として見ていない、何かがある。
そう思わせるには十分だった。
「僕、甘いの大好きなんですよ。だからつい、チョコパン選びがちなんですけど…主任が残してるの見て、びっくりしました」
「見てなくていい」
「すみません、たまたまです。観察癖があるのかもしれません」
自嘲気味に笑うその口調は軽かったが、妙に正直に響いた。
理玖は何も言わずにゴミ箱にパンの袋を捨てた。
その後の数日間は、平穏といえば平穏だった。
特別な事件が起こることもなく、チームで動いているプロジェクトも順調に進んでいた。
大樹はよく働く。吸収が早く、雑務も率先してこなすし、社内でも好感を持たれている様子が見て取れた。
理玖も一歩引いた位置から見守る程度で、過剰に関わることはなかった。
だが──
ある日、午後の休憩タイムに、ほんのささやかな“違和感”がまた理玖を捉えた。
自席に戻ると、パソコンの横に缶コーヒーがひとつ置かれていた。
無造作に見えるが、缶の向きが正面を向いていて、銘柄はブラック。砂糖もミルクも入っていない、無骨な味のやつだ。
誰が置いたのか。ほんの一瞬のうちに考える。
すぐに、その人物は浮かんだ。
視線をあげれば、斜め前の席にいる大樹が、なにげないふうに仕事を続けていた。だが、どこかで視線がぶつかることを予期していたのか、理玖と目が合うと、すぐに笑みを浮かべて言った。
「ブラック、お好きですよね」
「……ああ」
「あ、違ったら僕が飲みます。間違ってたら、遠慮なく言ってください」
言い訳のような補足がついていたが、その目にはやはり確信があった。
理玖は缶を手に取った。冷たさが手のひらに伝わる。口に出して文句を言うほどではない。
ありがたくもないが、拒否する理由もない。
静かにプルタブを引いて、一口だけ口をつける。
濃い。だが、悪くない。
ほんの少し、喉が熱を帯びるような感覚を覚えた。
仕事に戻りながら、理玖は小さくため息をついた。
なぜ、こうも自然に懐に入り込んでくるのか。
なぜ、こんなささいな好みを覚えているのか。
数日前の、残したパンのことを覚えていたのだろう。
甘いものが苦手だと口にしたことなど、他愛ない一言のはずだったのに。
俺は、彼に対して何か印象的なことを言った覚えはない。
なのに、彼の記憶の中には、確実に“俺”の要素が残っている。
理玖は缶を見つめる。
ただのブラックコーヒー。ただの差し入れ。
それでも──
なんで、俺の好み、把握してるんだ。
胸の奥に、小さな波紋が広がった。
気のせいだと打ち消しても、缶を持つ手はほんのわずかに重みを感じていた。
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******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
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