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第7章『僕じゃダメですか』
クリスマスなんて関係ないのに
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ビルのロビーに流れる音楽が、気づかぬうちに変わっていた。
聞き覚えのあるメロディが、オルゴール調でゆっくりと空間に溶け込んでいる。
何かと思えば、クリスマスソングだった。
オフィスのあちこちにポインセチアが飾られ、受付のカウンターには小さなツリー。
誰が指示したわけでもないのに、社内全体が年末のムードを帯びている。
昼休み、理玖は資料整理の手を止めて、マグカップを手にカフェスペースへ向かった。
ラウンジのテーブル席はほぼ埋まっていたが、端の方に空きが見つかったので腰を下ろす。
誰かと約束しているわけでもない。
弁当を広げるわけでも、買ってきたランチを食べるわけでもない。
ただ、温かいコーヒーを飲んでいるだけ。
それで十分だと思っていた。
ずっとそうしてきたのだから。
「隣、いいですか」
声をかけられて顔を上げると、大樹が立っていた。
手には缶のカフェラテ。少しだけ息を弾ませている。
理玖が軽くうなずくと、大樹はすっと椅子を引いて隣に座った。
「この時間、やっぱり混みますね。冬なのに、みんなアイスコーヒーなんですね…」
そう言いながら、缶を開ける。
ぱきんと響いた金属音が、意外にも心地よかった。
「主任はいつも温かいコーヒーですよね。手、冷えますし」
「…冬はな」
小さく返すと、大樹はうんうんと頷き、缶に口をつけた。
そのまましばらく沈黙が続く。
それでも、居心地が悪いわけではなかった。
ふと、大樹がカップを見下ろしたまま、何気ない口調で尋ねた。
「主任、クリスマスって、何か予定あるんですか」
一瞬、理玖の手が止まった。
湯気がふわりと揺れる。
白磁のカップの縁を、指がゆっくりなぞる。
「…ないよ」
即答だった。
反射的な応答。それ以上の話をさせないような、無言の壁がそこにあった。
大樹はそれ以上追及せず、「そうなんですね」とだけ言って笑った。
目元はやわらかいが、どこか寂しげにも見えた。
理玖は、気づかぬふりをした。
無視したのではない。ただ、受け止める言葉が見つからなかった。
別に、クリスマスだからといって何かしたいわけではない。
街の賑わいも、駅前のイルミネーションも、テレビから流れる恋愛ソングも、他人事だと思っていた。
去年も、一昨年も、特別な日はなかった。
誰かと過ごしたいと願うこともなく、ただ時間を過ごしてきた。
それで、十分だった。
そう、思っていた。
でも。
関係ないって思ってた。
なのに……“聞かれたこと”だけが、胸に残っていた。
問いかけのやわらかさが、やけに沁みた。
まるで、凍った表面を軽くなぞるように、奥の温度をゆっくり浮かび上がらせる。
カップを置いた手が、わずかに震えていた。
熱さではない。寒さでもない。
ただ、胸の奥に“思い出しそうになる気持ち”が沈んでいた。
そのとき、大樹が軽く席を立った。
「僕、ちょっとメール返信してきます。すぐ戻ってきますね」
理玖は頷くだけだった。
大樹が去ったあと、マグカップに目を落とす。
温度はまだ残っている。けれど、心の奥は少しずつ冷えていく。
予定がないことを寂しいと感じたわけじゃない。
誰かに誘われたいと思ったわけでもない。
ただ──
「予定は?」と聞かれたことが、ずっと心に残っていた。
その問いは、特別な意味があったわけではない。
でも、その言葉ひとつで、
“誰とも関係なく過ごすはずだった日”に、わずかな感情の芽が生まれてしまった。
理玖は、深く息を吐いてカップを握り直した。
暖かさだけが、まだそこにあった。
聞き覚えのあるメロディが、オルゴール調でゆっくりと空間に溶け込んでいる。
何かと思えば、クリスマスソングだった。
オフィスのあちこちにポインセチアが飾られ、受付のカウンターには小さなツリー。
誰が指示したわけでもないのに、社内全体が年末のムードを帯びている。
昼休み、理玖は資料整理の手を止めて、マグカップを手にカフェスペースへ向かった。
ラウンジのテーブル席はほぼ埋まっていたが、端の方に空きが見つかったので腰を下ろす。
誰かと約束しているわけでもない。
弁当を広げるわけでも、買ってきたランチを食べるわけでもない。
ただ、温かいコーヒーを飲んでいるだけ。
それで十分だと思っていた。
ずっとそうしてきたのだから。
「隣、いいですか」
声をかけられて顔を上げると、大樹が立っていた。
手には缶のカフェラテ。少しだけ息を弾ませている。
理玖が軽くうなずくと、大樹はすっと椅子を引いて隣に座った。
「この時間、やっぱり混みますね。冬なのに、みんなアイスコーヒーなんですね…」
そう言いながら、缶を開ける。
ぱきんと響いた金属音が、意外にも心地よかった。
「主任はいつも温かいコーヒーですよね。手、冷えますし」
「…冬はな」
小さく返すと、大樹はうんうんと頷き、缶に口をつけた。
そのまましばらく沈黙が続く。
それでも、居心地が悪いわけではなかった。
ふと、大樹がカップを見下ろしたまま、何気ない口調で尋ねた。
「主任、クリスマスって、何か予定あるんですか」
一瞬、理玖の手が止まった。
湯気がふわりと揺れる。
白磁のカップの縁を、指がゆっくりなぞる。
「…ないよ」
即答だった。
反射的な応答。それ以上の話をさせないような、無言の壁がそこにあった。
大樹はそれ以上追及せず、「そうなんですね」とだけ言って笑った。
目元はやわらかいが、どこか寂しげにも見えた。
理玖は、気づかぬふりをした。
無視したのではない。ただ、受け止める言葉が見つからなかった。
別に、クリスマスだからといって何かしたいわけではない。
街の賑わいも、駅前のイルミネーションも、テレビから流れる恋愛ソングも、他人事だと思っていた。
去年も、一昨年も、特別な日はなかった。
誰かと過ごしたいと願うこともなく、ただ時間を過ごしてきた。
それで、十分だった。
そう、思っていた。
でも。
関係ないって思ってた。
なのに……“聞かれたこと”だけが、胸に残っていた。
問いかけのやわらかさが、やけに沁みた。
まるで、凍った表面を軽くなぞるように、奥の温度をゆっくり浮かび上がらせる。
カップを置いた手が、わずかに震えていた。
熱さではない。寒さでもない。
ただ、胸の奥に“思い出しそうになる気持ち”が沈んでいた。
そのとき、大樹が軽く席を立った。
「僕、ちょっとメール返信してきます。すぐ戻ってきますね」
理玖は頷くだけだった。
大樹が去ったあと、マグカップに目を落とす。
温度はまだ残っている。けれど、心の奥は少しずつ冷えていく。
予定がないことを寂しいと感じたわけじゃない。
誰かに誘われたいと思ったわけでもない。
ただ──
「予定は?」と聞かれたことが、ずっと心に残っていた。
その問いは、特別な意味があったわけではない。
でも、その言葉ひとつで、
“誰とも関係なく過ごすはずだった日”に、わずかな感情の芽が生まれてしまった。
理玖は、深く息を吐いてカップを握り直した。
暖かさだけが、まだそこにあった。
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