猫の先生は気まぐれに～あるいは、僕が本を読む理由

中岡　始

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人生がマシになるかもしれんぞ

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　「……は？」

　陽向は、今度は怒り気味に言い返した。

　「なんだよ、その失礼な挨拶」

　「事実だろう？」

　トラ模様の猫──さっきから偉そうに喋っているそいつは、床の上にどっかりと座り込みながら、じろりと陽向を見上げた。

　「お前、何をやってもダルい、面倒くさい、って顔してる」

　「……うるせぇな。初対面の猫に言われたくねぇよ」

　陽向はムッとした表情でそっぽを向いた。
　── とはいえ、自分でもそう思っている節はある。
　最近、何をしていても本気で楽しいと感じることがない。
　学校、部活、友達とのやりとり。どれも悪くはないが、なんとなく空虚で、心の底から楽しめるものがない。

　だが、それをこの得体の知れない猫に指摘されるのは、妙に腹が立つ。

　「フン」

　猫はつまらなそうに鼻を鳴らすと、ゆっくりと尻尾を振った。

　「お前の人生がつまらんのは、単純な理由だ」

　「……は？」

　「本を読んでないからだ」

　「……はぁ？」

　陽向は一瞬、言葉の意味を理解できず、目を瞬いた。

　「お前、何言って──」

　「本を読め」

　猫は、まるで当然のように言い放つ。

　「人生がちょっとはマシになるかもしれんぞ」

　「なんでそうなるんだよ！？」

　陽向は思わず声を荒げた。

　「何の関係があんだよ、本と人生が！」

　「大いに関係がある」

　猫は前足でヒゲをなでながら、ゆったりと続ける。

　「人間というのはな、つまらん生き物だ。自分の知っていることしか見えないし、考えられない」

　「……なんだよ、それ」

　「だから、お前も退屈しているのだ。本を読めば、世界が広がる。物語の中には、いろんな人生が詰まっているからな」

　猫はふむ、と満足げに頷いた。

　「よし、決めた」

　「は？」

　「お前は今日から俺の弟子だ」

　「……はぁ！？」

　「俺のことは『トラ老師』と呼べ」

　「いやいやいや、意味わかんねぇし！！」

　陽向は思わず叫んだ。

　「そもそも、なんでお前が俺の師匠なんだよ！」

　「お前に知恵を授けるからだ」

　「猫に知恵なんかねぇだろ！」

　「フン、人間は無知だな」

　猫──いや、トラ老師は、得意げに胸を張る。

　「猫とはな、何千年も昔から人間を観察し、世界の秘密を知り尽くしている存在なのだ」

　「胡散臭ぇ！！」

　陽向はツッコミながらも、少しだけ気づいていた。
　この会話の流れ、ツッコミを入れれば入れるほど、相手のペースに引き込まれている。

　つまり、これは── 完全に乗せられている。

　「……もういい。さっさと帰れよ」

　陽向はため息をつき、窓を指差した。

　「お前の家、どこだか知らねぇけど、ここは俺の部屋だ」

　「そうだな」

　トラ老師は、しなやかに立ち上がる。

　陽向はホッとした。

　── だが、次の瞬間。

　トラ老師はベッドに飛び乗った。

　「……おい？」

　「ふぁぁ……」

　大きなあくびをすると、丸くなり、目を細める。

　「とりあえず寝るか」

　「お前の部屋じゃねぇし！！」

　陽向が慌てて腕を伸ばすが、トラ老師はすでに動かない。
　小さく喉を鳴らし、すやすやと寝息を立て始めた。

　「……こいつ、マジかよ……」

　陽向は呆れ果てた表情で、ベッドの端に寝転がる猫を見つめる。

　── なんなんだよ、こいつ……。

　怒るべきか、追い出すべきか、それとも放っておくべきか。
　正直、どうすればいいのかよくわからなかった。

　だけど、なぜか無理に追い出すことはできなかった。

　目の前で、まるで何年もここで過ごしてきたかのように眠るトラ老師を見ていると、なぜか「まぁいいか」という気分になってくる。

　── この猫が現れたことで、自分の生活が少し変わるかもしれない。

　そんな予感が、ふと陽向の胸をよぎった。

　── こうして、少年と猫の奇妙な関係が始まった。

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