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仕事終わりの私生活を目撃
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商談を終え、会社に戻ってからも、陽翔は榊の交渉の流れを頭の中で反芻していた。
取引先の担当者は最初こそ契約の修正に対して慎重な態度をとっていたが、榊が話し始めると次第に空気が変わり、最終的には納得した表情で契約更新を決めた。
あの場にいた誰よりも自然に交渉の主導権を握り、取引先の不安を取り除きながら、こちらの有利な条件へと誘導していく。
口調はあくまで穏やかで、押しつけがましさはまったくない。それでいて、いつの間にか相手が榊のペースに乗せられている。
「さすが榊さんですね!」
取引先の担当者がそう言ったとき、陽翔は内心納得していた。
やはり、この人はデキる。
いつも適当なことばかり言っているが、営業の現場では圧倒的な実力を持っている。
それを改めて実感した一日だった。
オフィスを出て、陽翔は夜風に当たりながら小さく息をついた。
今日はさすがに疲れた。
時計を見ると、すでに二十一時を回っている。遅くなったが、これでようやく帰れる。
そう思いながら駅へ向かおうとしたとき、視界の隅に見覚えのある姿が入った。
コンビニの前、店の明かりの下で、榊が立っていた。
スーツ姿のまま、片手にコンビニのビニール袋を持ち、もう片方の手でコーヒーの缶を軽く傾けている。
ぼんやりとした表情で、特に何をするでもなく店の前に佇んでいた。
陽翔は思わず足を止めた。
「課長?」
声をかけると、榊はゆっくりと顔を上げる。
「ああ、お疲れ」
軽く手を挙げながら、特に驚いた様子もなく応じる。
「こんなところで何してるんですか?」
「んー、まあ…帰る前にちょっと一息、みたいな」
言いながら、榊は手の中の缶コーヒーを軽く振る。
適当な答えだったが、仕事終わりの一杯というのは分からなくもない。
とはいえ、こんな時間まで残っていたのなら、まともな夕飯も食べていないのではないか。
「課長、晩飯は?」
「ああ、ちゃんと買ったで」
榊は持っていたビニール袋を軽く持ち上げてみせる。
陽翔は何気なく袋の中を覗き込んだ。
次の瞬間、思わず眉をひそめる。
缶ビールとカップラーメンだけが入っていた。
「…課長、それ晩飯ですか?」
「せやで」
「他に何か買いました?」
「いや、今日はこれでええかなって」
陽翔は絶句した。
さっきまであんなに冷静に商談をまとめていた男が、仕事終わりにはコンビニでカップラーメンとビールを買っている。
せめて弁当でも買えばいいものを、栄養のバランスも何も考えていない組み合わせだ。
「課長、ちゃんとした飯食ってます?」
「食ってる食ってる」
「本当に?」
「うん、昼にカツ丼食ったし、今日はもうこれでええわ」
まるで気にする様子もない。
「カツ丼の後にカップラーメンですか…」
「ええやん、炭水化物は力になるし」
「バランスが悪すぎます」
榊は適当に笑って流したが、陽翔は完全に呆れていた。
仕事では完璧な男なのに、私生活はここまでズボラなのか。
いや、身だしなみのだらしなさを見れば予想はついていたが、食生活までこの調子とは思わなかった。
何より、仕事が終わって疲れた体にビールとカップラーメンというのはどう考えてもよくない。
「…課長、ちゃんとした食事をとったほうがいいですよ」
「気が向いたらな」
「気が向く向かないじゃなくて」
陽翔はこめかみを押さえた。
ここまでくると、もはや放っておけない。
普段なら、上司の生活に口を出すようなことはしない。
だが、榊に関してはそうもいかない気がしていた。
今後もこんな食生活を続けていたら、いつか体を壊すんじゃないか。
そんなことを考えた瞬間、自分がなぜこんなに気にしているのか分からなくなる。
仕事ができる上司だからか。
それとも…
「…明日はちゃんとしたものを食べてくださいよ」
「考えとくわ」
信用ならない言葉だった。
榊は缶コーヒーを飲み干すと、袋を片手に持ち直し、「ほな、また明日」と軽く手を振って歩き出した。
陽翔は、その後ろ姿を無意識に目で追った。
「本当に大丈夫なんですかね…」
小さく呟いた言葉に、自分でも驚くほどの真剣さが滲んでいた。
取引先の担当者は最初こそ契約の修正に対して慎重な態度をとっていたが、榊が話し始めると次第に空気が変わり、最終的には納得した表情で契約更新を決めた。
あの場にいた誰よりも自然に交渉の主導権を握り、取引先の不安を取り除きながら、こちらの有利な条件へと誘導していく。
口調はあくまで穏やかで、押しつけがましさはまったくない。それでいて、いつの間にか相手が榊のペースに乗せられている。
「さすが榊さんですね!」
取引先の担当者がそう言ったとき、陽翔は内心納得していた。
やはり、この人はデキる。
いつも適当なことばかり言っているが、営業の現場では圧倒的な実力を持っている。
それを改めて実感した一日だった。
オフィスを出て、陽翔は夜風に当たりながら小さく息をついた。
今日はさすがに疲れた。
時計を見ると、すでに二十一時を回っている。遅くなったが、これでようやく帰れる。
そう思いながら駅へ向かおうとしたとき、視界の隅に見覚えのある姿が入った。
コンビニの前、店の明かりの下で、榊が立っていた。
スーツ姿のまま、片手にコンビニのビニール袋を持ち、もう片方の手でコーヒーの缶を軽く傾けている。
ぼんやりとした表情で、特に何をするでもなく店の前に佇んでいた。
陽翔は思わず足を止めた。
「課長?」
声をかけると、榊はゆっくりと顔を上げる。
「ああ、お疲れ」
軽く手を挙げながら、特に驚いた様子もなく応じる。
「こんなところで何してるんですか?」
「んー、まあ…帰る前にちょっと一息、みたいな」
言いながら、榊は手の中の缶コーヒーを軽く振る。
適当な答えだったが、仕事終わりの一杯というのは分からなくもない。
とはいえ、こんな時間まで残っていたのなら、まともな夕飯も食べていないのではないか。
「課長、晩飯は?」
「ああ、ちゃんと買ったで」
榊は持っていたビニール袋を軽く持ち上げてみせる。
陽翔は何気なく袋の中を覗き込んだ。
次の瞬間、思わず眉をひそめる。
缶ビールとカップラーメンだけが入っていた。
「…課長、それ晩飯ですか?」
「せやで」
「他に何か買いました?」
「いや、今日はこれでええかなって」
陽翔は絶句した。
さっきまであんなに冷静に商談をまとめていた男が、仕事終わりにはコンビニでカップラーメンとビールを買っている。
せめて弁当でも買えばいいものを、栄養のバランスも何も考えていない組み合わせだ。
「課長、ちゃんとした飯食ってます?」
「食ってる食ってる」
「本当に?」
「うん、昼にカツ丼食ったし、今日はもうこれでええわ」
まるで気にする様子もない。
「カツ丼の後にカップラーメンですか…」
「ええやん、炭水化物は力になるし」
「バランスが悪すぎます」
榊は適当に笑って流したが、陽翔は完全に呆れていた。
仕事では完璧な男なのに、私生活はここまでズボラなのか。
いや、身だしなみのだらしなさを見れば予想はついていたが、食生活までこの調子とは思わなかった。
何より、仕事が終わって疲れた体にビールとカップラーメンというのはどう考えてもよくない。
「…課長、ちゃんとした食事をとったほうがいいですよ」
「気が向いたらな」
「気が向く向かないじゃなくて」
陽翔はこめかみを押さえた。
ここまでくると、もはや放っておけない。
普段なら、上司の生活に口を出すようなことはしない。
だが、榊に関してはそうもいかない気がしていた。
今後もこんな食生活を続けていたら、いつか体を壊すんじゃないか。
そんなことを考えた瞬間、自分がなぜこんなに気にしているのか分からなくなる。
仕事ができる上司だからか。
それとも…
「…明日はちゃんとしたものを食べてくださいよ」
「考えとくわ」
信用ならない言葉だった。
榊は缶コーヒーを飲み干すと、袋を片手に持ち直し、「ほな、また明日」と軽く手を振って歩き出した。
陽翔は、その後ろ姿を無意識に目で追った。
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小さく呟いた言葉に、自分でも驚くほどの真剣さが滲んでいた。
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