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主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)―関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話
年上らしく、なんて無理やわ
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佐倉は、手の中に残った缶ミルクティーをじっと見つめていた。すでに中身は飲み干してしまったのに、指先にはまだ、ほんのりとした温度が残っている。
さっき瀬戸が置いていったあの一本。無言で、何も言わず、ただ机の端にそっと滑らせただけだった。
思い返すと、不思議な出来事だった。
声が枯れていることに気づかれた。そのこと自体にも驚いたが、それを指摘せず、ただ行動で示してきた瀬戸の態度が、何よりも心に残った。
普通なら、何か言いたくなるところだろう。気遣いをしていることを伝えたい、あるいは感謝のリアクションを引き出したい。けれど瀬戸は、何も求めなかった。缶を置いて、そっと去っていくだけ。それでいて、佐倉の心にはずっと、その存在が残っている。
こんなふうに人に“気づかれる”ことは、久しぶりだった。
主任補佐という肩書をもらってから、佐倉はずっと“年上らしく”ふるまおうとしていた。
後輩の前では毅然と。どんなにしんどい日でも弱音は吐かない。困っている誰かがいれば手を差し伸べ、気まずい空気になれば冗談のひとつも入れて和ませる。そうやって、自分の中にある“余裕”を、なんとか形にしてきた。
年齢が上だから、経験があるから、立場があるから。
だから、ちゃんとしなくてはいけない。甘えるなんて論外だった。
けれど、瀬戸といると、時々その輪郭がぼやける。
黙っていても、何も言わなくても、彼はこちらの変化を感じ取る。
そのくせ、何も言ってこない。
見ているだけ。でも、見ていることは確かに伝わってくる。
そんなふうに距離を詰めてこられると、正直、抗えなかった。
佐倉は椅子を少しだけ後ろに引いて、背中を伸ばす。天井の白いパネルが視界に広がる。
思えば、誰かに気づかれたいと思ったことなんて、最近ではほとんどなかった。
むしろ、気づかれないようにしてきたのだ。仕事中に声がかれても、手が震えても、眠れていない朝が続いても、それを表に出さないように、必死で整えていた。
だからだろう。瀬戸に気づかれたことが、こんなにも心を揺らすのは。
それは、年下の後輩に包み込まれるような、不思議な感覚だった。
「この子、ほんまに新人か?」
ふと、声に出しそうになって、それを喉の奥で飲み込んだ。
口にしてしまえば、今の気持ちが本物になってしまう気がした。
確かに、年齢では自分の方が上だ。職場のキャリアも、責任も、自分の方が多く背負っている。けれど、いま目の前にいる瀬戸は、そんな肩書きの壁を越えて、まっすぐに自分を見てくる。
新人らしくない。というか、誰よりも落ち着いている。空気の読み方がうまいというより、呼吸を合わせてくるようなやわらかさがある。
自分の足元が、ぐらりと揺れたような気がした。
人に見透かされることを恐れていたはずなのに、その“見透かされる感覚”が、今はどこか心地よい。
見ていてくれる人がいる。しかも、その人は何も求めずに、ただ自分の変化に気づいてくれる。
それだけで、ほんの少し、楽になる。
自分の“弱さ”を、そのまま見られてもいいと思えたのは、いつぶりだろうか。
缶を握る指先に、再び力がこもる。もうぬるくなった缶の、薄い金属の手触り。そのひんやりとした感触が、胸の奥に張りつめていた何かを、ゆっくりと溶かしていくようだった。
「……年上らしく、なんて、無理やわ」
そうつぶやいたのは、誰にも聞こえないくらいの声だった。
けれど、その言葉を吐き出すことで、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
“上司と部下”という関係は、確かに正しい。
でも、それだけじゃないものが、今の二人の間にはある。
それがなんなのかは、まだはっきりとは言えない。けれど、少なくとも“守る側”と“守られる側”という、固定された形ではない気がする。
誰かのやさしさに、そっと触れること。
それを許されること。
それが、こんなにもほっとするものだなんて。
佐倉は、缶を片づけて立ち上がった。
書類の山がまだ机の上に残っている。でも、なんとなく、今なら片づけられそうな気がした。
誰かがそっと、自分を見てくれているという安心感。
それがあるだけで、頑張る理由になるのだと、今は素直に思えた。
さっき瀬戸が置いていったあの一本。無言で、何も言わず、ただ机の端にそっと滑らせただけだった。
思い返すと、不思議な出来事だった。
声が枯れていることに気づかれた。そのこと自体にも驚いたが、それを指摘せず、ただ行動で示してきた瀬戸の態度が、何よりも心に残った。
普通なら、何か言いたくなるところだろう。気遣いをしていることを伝えたい、あるいは感謝のリアクションを引き出したい。けれど瀬戸は、何も求めなかった。缶を置いて、そっと去っていくだけ。それでいて、佐倉の心にはずっと、その存在が残っている。
こんなふうに人に“気づかれる”ことは、久しぶりだった。
主任補佐という肩書をもらってから、佐倉はずっと“年上らしく”ふるまおうとしていた。
後輩の前では毅然と。どんなにしんどい日でも弱音は吐かない。困っている誰かがいれば手を差し伸べ、気まずい空気になれば冗談のひとつも入れて和ませる。そうやって、自分の中にある“余裕”を、なんとか形にしてきた。
年齢が上だから、経験があるから、立場があるから。
だから、ちゃんとしなくてはいけない。甘えるなんて論外だった。
けれど、瀬戸といると、時々その輪郭がぼやける。
黙っていても、何も言わなくても、彼はこちらの変化を感じ取る。
そのくせ、何も言ってこない。
見ているだけ。でも、見ていることは確かに伝わってくる。
そんなふうに距離を詰めてこられると、正直、抗えなかった。
佐倉は椅子を少しだけ後ろに引いて、背中を伸ばす。天井の白いパネルが視界に広がる。
思えば、誰かに気づかれたいと思ったことなんて、最近ではほとんどなかった。
むしろ、気づかれないようにしてきたのだ。仕事中に声がかれても、手が震えても、眠れていない朝が続いても、それを表に出さないように、必死で整えていた。
だからだろう。瀬戸に気づかれたことが、こんなにも心を揺らすのは。
それは、年下の後輩に包み込まれるような、不思議な感覚だった。
「この子、ほんまに新人か?」
ふと、声に出しそうになって、それを喉の奥で飲み込んだ。
口にしてしまえば、今の気持ちが本物になってしまう気がした。
確かに、年齢では自分の方が上だ。職場のキャリアも、責任も、自分の方が多く背負っている。けれど、いま目の前にいる瀬戸は、そんな肩書きの壁を越えて、まっすぐに自分を見てくる。
新人らしくない。というか、誰よりも落ち着いている。空気の読み方がうまいというより、呼吸を合わせてくるようなやわらかさがある。
自分の足元が、ぐらりと揺れたような気がした。
人に見透かされることを恐れていたはずなのに、その“見透かされる感覚”が、今はどこか心地よい。
見ていてくれる人がいる。しかも、その人は何も求めずに、ただ自分の変化に気づいてくれる。
それだけで、ほんの少し、楽になる。
自分の“弱さ”を、そのまま見られてもいいと思えたのは、いつぶりだろうか。
缶を握る指先に、再び力がこもる。もうぬるくなった缶の、薄い金属の手触り。そのひんやりとした感触が、胸の奥に張りつめていた何かを、ゆっくりと溶かしていくようだった。
「……年上らしく、なんて、無理やわ」
そうつぶやいたのは、誰にも聞こえないくらいの声だった。
けれど、その言葉を吐き出すことで、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
“上司と部下”という関係は、確かに正しい。
でも、それだけじゃないものが、今の二人の間にはある。
それがなんなのかは、まだはっきりとは言えない。けれど、少なくとも“守る側”と“守られる側”という、固定された形ではない気がする。
誰かのやさしさに、そっと触れること。
それを許されること。
それが、こんなにもほっとするものだなんて。
佐倉は、缶を片づけて立ち上がった。
書類の山がまだ机の上に残っている。でも、なんとなく、今なら片づけられそうな気がした。
誰かがそっと、自分を見てくれているという安心感。
それがあるだけで、頑張る理由になるのだと、今は素直に思えた。
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