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主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)―関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話
主任補佐って、名札だけやなって思う日
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夕方のホームは、あいにくの曇り空に照らされていた。電車を待つ人々の足元を冷たい風がすり抜けていく。
ホームの端、柱の影。ひとつだけ間隔をあけた立ち位置に、佐倉は並んで立っていた。隣には瀬戸。どちらからともなく並んだのに、変な気まずさもなかった。ただ、風の音が二人のあいだに少しだけ言葉を遅らせる。
「……俺、主任補佐に向いてへんかもな」
それは、ぽつりと地面に落ちたつぶやきだった。
瀬戸はすぐには反応しなかった。ホームの電光掲示板に目をやったまま、何も言わない。でも、その沈黙が責めるようでも、気まずくもなかった。むしろ、あまりに自然だったから、佐倉の中の“余計な警戒心”がふわりとほどけていく。
今日の外回りは、なんだか空回ってばかりだった。
打ち合わせの流れを想定していたのに、先方の担当が別人で、雰囲気も違えば進行の仕方も噛み合わない。焦った。会話を立て直そうとしたが、ひとつテンポを見誤ると、どこかギクシャクしたまま終わってしまった。
「しゃべってるとき、なんか自分で自分が見えへんような感覚になるときがあんねん」
佐倉はかすかに笑いながら言った。笑ってみせないと、たぶん涙腺のどこかが揺れてしまいそうだった。
瀬戸はゆっくりと振り向いた。視線をそらさず、まっすぐ見てくるその目が、どうしようもなく落ち着いていた。
「でも、今日の佐倉さん、ちゃんと“聞いてた”と思いますよ」
「は?」
「打ち合わせの途中で、相手の意図変わったって、すぐ察して対応変えたじゃないですか。少なくとも、僕はそう見えてました」
言われてみれば、確かにそうだったかもしれない。がむしゃらに会話を軌道修正したつもりだった。でも、それを“ちゃんと聞いてた”って言われると、なんだか自分の努力が少し肯定されたような気がした。
「……えらい細かく見てくれてんな、お前」
「はい。一応、佐倉さんの補佐なんで」
瀬戸は肩をすくめながら、少しだけ頬を緩めた。冗談のような、でも根が真面目な言葉のトーン。
その一言で、ずいぶん肩が軽くなったような気がした。
主任補佐という肩書きは、たしかに少し重たい。役職がつくだけで、何かを“できなきゃいけない”ような空気を自分に課してしまう。背伸びして、見栄張って、それでも空振りする日もある。そんな自分が嫌でたまらない瞬間もある。
けれど、瀬戸はそんなこと一言も責めてこなかった。ただ静かにそばにいて、静かに肯定してくれる。
「……主任補佐って、名札だけやなって思う日、あるんやわ」
佐倉は、言ってから自分でも驚いた。ここまで素直に、弱さをさらしたのは久しぶりだった。
瀬戸は、うなずきもせず否定もせず、ただしばらく黙っていた。けれど、その沈黙は“見守る”ための間だった。
ホームに電車が入ってくるアナウンスが流れた。電車が近づいてくる音に、空気が少しだけ揺れた。
そのとき、瀬戸がふっと言った。
「じゃあ、俺が隣にいますね」
その声は、やけに穏やかで、やけにまっすぐだった。
佐倉は振り返ることができなかった。そんなふうに言われて、まっすぐ顔なんか見られるわけがない。代わりに、ほんのすこしだけ肩を揺らして、呼吸を整えた。
「……そんなん、ずるいやろ」
自分の本音に、ぴったりと寄り添うような優しさ。傷に貼られた絆創膏みたいに、当たり前の顔して効いてくる。
電車がホームに滑り込んできた。ドアが開き、乗客が降りる。
瀬戸が先に足を踏み出した。佐倉もその後ろを追いかける。肩と肩が触れるほどの距離じゃないけど、少しだけ近いその立ち位置が、思いのほか心地よかった。
電車の揺れに合わせて、小さく手すりが軋む音がした。
佐倉は、つり革を握りながら窓の外を見つめる。夕暮れに染まるビルの輪郭が、徐々に夜の色へと沈んでいく。
主任補佐に向いてないかもしれない。けれど、こんなふうに「隣にいますね」と言ってくれる相手がいるなら――
名札の意味も、もう少しだけ信じてみてもええんかな、と思った。
ホームの端、柱の影。ひとつだけ間隔をあけた立ち位置に、佐倉は並んで立っていた。隣には瀬戸。どちらからともなく並んだのに、変な気まずさもなかった。ただ、風の音が二人のあいだに少しだけ言葉を遅らせる。
「……俺、主任補佐に向いてへんかもな」
それは、ぽつりと地面に落ちたつぶやきだった。
瀬戸はすぐには反応しなかった。ホームの電光掲示板に目をやったまま、何も言わない。でも、その沈黙が責めるようでも、気まずくもなかった。むしろ、あまりに自然だったから、佐倉の中の“余計な警戒心”がふわりとほどけていく。
今日の外回りは、なんだか空回ってばかりだった。
打ち合わせの流れを想定していたのに、先方の担当が別人で、雰囲気も違えば進行の仕方も噛み合わない。焦った。会話を立て直そうとしたが、ひとつテンポを見誤ると、どこかギクシャクしたまま終わってしまった。
「しゃべってるとき、なんか自分で自分が見えへんような感覚になるときがあんねん」
佐倉はかすかに笑いながら言った。笑ってみせないと、たぶん涙腺のどこかが揺れてしまいそうだった。
瀬戸はゆっくりと振り向いた。視線をそらさず、まっすぐ見てくるその目が、どうしようもなく落ち着いていた。
「でも、今日の佐倉さん、ちゃんと“聞いてた”と思いますよ」
「は?」
「打ち合わせの途中で、相手の意図変わったって、すぐ察して対応変えたじゃないですか。少なくとも、僕はそう見えてました」
言われてみれば、確かにそうだったかもしれない。がむしゃらに会話を軌道修正したつもりだった。でも、それを“ちゃんと聞いてた”って言われると、なんだか自分の努力が少し肯定されたような気がした。
「……えらい細かく見てくれてんな、お前」
「はい。一応、佐倉さんの補佐なんで」
瀬戸は肩をすくめながら、少しだけ頬を緩めた。冗談のような、でも根が真面目な言葉のトーン。
その一言で、ずいぶん肩が軽くなったような気がした。
主任補佐という肩書きは、たしかに少し重たい。役職がつくだけで、何かを“できなきゃいけない”ような空気を自分に課してしまう。背伸びして、見栄張って、それでも空振りする日もある。そんな自分が嫌でたまらない瞬間もある。
けれど、瀬戸はそんなこと一言も責めてこなかった。ただ静かにそばにいて、静かに肯定してくれる。
「……主任補佐って、名札だけやなって思う日、あるんやわ」
佐倉は、言ってから自分でも驚いた。ここまで素直に、弱さをさらしたのは久しぶりだった。
瀬戸は、うなずきもせず否定もせず、ただしばらく黙っていた。けれど、その沈黙は“見守る”ための間だった。
ホームに電車が入ってくるアナウンスが流れた。電車が近づいてくる音に、空気が少しだけ揺れた。
そのとき、瀬戸がふっと言った。
「じゃあ、俺が隣にいますね」
その声は、やけに穏やかで、やけにまっすぐだった。
佐倉は振り返ることができなかった。そんなふうに言われて、まっすぐ顔なんか見られるわけがない。代わりに、ほんのすこしだけ肩を揺らして、呼吸を整えた。
「……そんなん、ずるいやろ」
自分の本音に、ぴったりと寄り添うような優しさ。傷に貼られた絆創膏みたいに、当たり前の顔して効いてくる。
電車がホームに滑り込んできた。ドアが開き、乗客が降りる。
瀬戸が先に足を踏み出した。佐倉もその後ろを追いかける。肩と肩が触れるほどの距離じゃないけど、少しだけ近いその立ち位置が、思いのほか心地よかった。
電車の揺れに合わせて、小さく手すりが軋む音がした。
佐倉は、つり革を握りながら窓の外を見つめる。夕暮れに染まるビルの輪郭が、徐々に夜の色へと沈んでいく。
主任補佐に向いてないかもしれない。けれど、こんなふうに「隣にいますね」と言ってくれる相手がいるなら――
名札の意味も、もう少しだけ信じてみてもええんかな、と思った。
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