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小ネタSS 「広報部山野、見てしまいました。」 ~営業部主任と課長、距離ゼロ日誌~ 第2話「ネクタイが曲がってた日」
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山野が営業部フロアに立ち寄ったのは、午前の終わりが見えてくる頃だった。
名目は、社内報の最終レイアウト確認。だが、それはメールでも済む話であり、印刷サンプルの出力をわざわざ届ける理由はなかった。
…いや、あった。ふたりが、そこにいるからだった。
資料室の前、移動用のワゴンが通路を半分ふさいでいた。その向こうで、ちょうど主任が課長を呼び止める声が聞こえた。
「課長」
「あ?」
「それ、曲がってます」
榊課長はきょとんとした顔で自分の胸元を見る。ネクタイが、わずかに斜めに傾いていた。
外回り帰りのせいか、ジャケットの前も少し開いている。だらしないというほどではないが、整ってはいない。
「…どこがや?」
「全体です」
主任はそう言って、躊躇なく一歩近づいた。
片手でネクタイの結び目を押さえ、もう一方の手で根元を軽く直す。
手つきに迷いはなかった。まるで、何度もやってきた作業のように。
課長は抵抗するでもなく、少しだけ首をすくめながらも、されるがまま。
主任の指が離れた瞬間、課長は喉を鳴らすように小さく笑った。
「なんや、お前、スタイリストか」
「身だしなみは営業の基本です」
「はいはい」
それだけの会話だった。
でも、山野の脳裏には、はっきりと焼きついた。
あの近さ。
他人のネクタイに触れるという行為が、どれほどの親密さを必要とするか。
そして、課長のあの“何もしない”受け入れ方。そこに、信頼が染み込んでいた。
ふたりはすぐに別方向に歩いていき、誰も振り返ることなく、何事もなかったように業務へ戻っていった。
けれど、山野はその場に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。
あの手つきは、単なる“補正”じゃない。
誰よりも近い距離でしか成立しない、無言の許可と認識。
これは、事件ではなかった。日常だった。
だからこそ、ずっと見ていたくなるのだ。
自席に戻ると、山野はすぐにファイルを開いた。
/MyDocuments/社内報補足記録/
ファイル名:営業部対談_尊い観察日記.txt
【観察ログ】
日付:5月1日(水)
時間:11:48
場所:営業部 資料室前
・榊課長、ネクタイが斜め→主任が気づき、即修正
・課長、特に拒否せず、自然にされるまま
・直された後の反応「スタイリストか」=軽口で誤魔化す
・主任の手つきに躊躇なし。これは“慣れ”
【所感】
・他人のネクタイに触れる行為は、身体距離よりも心の距離を物語る
・“お前ならいい”という空気が会話の外に満ちていた
・ふたりの関係性が、無言のうちに可視化された瞬間
・記録タイトル:「補正という名の信頼接触」
山野はゆっくりと手を止め、ファイルを保存した。
そして小さくつぶやいた。
「この空気、載せられる日が来たらいいのに」
でも、たぶん来ない。
それがまた、いいのだ。
誰にも気づかれずに交わされる、ふたりだけのやりとり。
その尊さを、自分はひっそり見守っていようと思った。
名目は、社内報の最終レイアウト確認。だが、それはメールでも済む話であり、印刷サンプルの出力をわざわざ届ける理由はなかった。
…いや、あった。ふたりが、そこにいるからだった。
資料室の前、移動用のワゴンが通路を半分ふさいでいた。その向こうで、ちょうど主任が課長を呼び止める声が聞こえた。
「課長」
「あ?」
「それ、曲がってます」
榊課長はきょとんとした顔で自分の胸元を見る。ネクタイが、わずかに斜めに傾いていた。
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「…どこがや?」
「全体です」
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片手でネクタイの結び目を押さえ、もう一方の手で根元を軽く直す。
手つきに迷いはなかった。まるで、何度もやってきた作業のように。
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主任の指が離れた瞬間、課長は喉を鳴らすように小さく笑った。
「なんや、お前、スタイリストか」
「身だしなみは営業の基本です」
「はいはい」
それだけの会話だった。
でも、山野の脳裏には、はっきりと焼きついた。
あの近さ。
他人のネクタイに触れるという行為が、どれほどの親密さを必要とするか。
そして、課長のあの“何もしない”受け入れ方。そこに、信頼が染み込んでいた。
ふたりはすぐに別方向に歩いていき、誰も振り返ることなく、何事もなかったように業務へ戻っていった。
けれど、山野はその場に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。
あの手つきは、単なる“補正”じゃない。
誰よりも近い距離でしか成立しない、無言の許可と認識。
これは、事件ではなかった。日常だった。
だからこそ、ずっと見ていたくなるのだ。
自席に戻ると、山野はすぐにファイルを開いた。
/MyDocuments/社内報補足記録/
ファイル名:営業部対談_尊い観察日記.txt
【観察ログ】
日付:5月1日(水)
時間:11:48
場所:営業部 資料室前
・榊課長、ネクタイが斜め→主任が気づき、即修正
・課長、特に拒否せず、自然にされるまま
・直された後の反応「スタイリストか」=軽口で誤魔化す
・主任の手つきに躊躇なし。これは“慣れ”
【所感】
・他人のネクタイに触れる行為は、身体距離よりも心の距離を物語る
・“お前ならいい”という空気が会話の外に満ちていた
・ふたりの関係性が、無言のうちに可視化された瞬間
・記録タイトル:「補正という名の信頼接触」
山野はゆっくりと手を止め、ファイルを保存した。
そして小さくつぶやいた。
「この空気、載せられる日が来たらいいのに」
でも、たぶん来ない。
それがまた、いいのだ。
誰にも気づかれずに交わされる、ふたりだけのやりとり。
その尊さを、自分はひっそり見守っていようと思った。
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