オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始

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小ネタSS 「広報部山野、見てしまいました。」 ~営業部主任と課長、距離ゼロ日誌~ 第3話「“橘”って呼ばないとき」

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営業部に足を踏み入れた瞬間、山野はすぐにふたりの姿を見つけた。  
課長席の前で、橘主任が何か書類を手にして話していた。  
広報から来た原稿確認の返答をもらうついでに、という体でフロアに入ったが、本当の目的は、これだった。  
ふたりの“何気ない日常”を、もう一度だけ見たかった。  

「この項目、前の提案と少し重複してると思うんですけど」  

「んー、そうやな。…陽翔はると、それ、もう一回だけ整理してくれへん?」  

一瞬、時間が止まった。  

“主任”ではなかった。  
“橘”でも、“お前”でもなかった。  
その一言が、静かにフロアの空気を変えた。  

陽翔。  

呼び慣れている響きだった。  
柔らかくて、自然で、しかもごくあたりまえのように口をついて出た名前だった。  

ふたりの間に流れる沈黙が、一瞬だけ長く感じられた。  

「……了解です」  

主任は表情を変えずに答え、視線を下に戻した。  
榊課長は、すぐに言い直した。  

「橘、そのファイル、あとで送っといてな」  

何事もなかったように、やり取りは続いた。  

でも山野は、目を見開いたまま、廊下の陰に張りついていた。  
見てしまった。聞いてしまった。  
そして、直後の“言い直し”が、その一言の意味をさらに浮かび上がらせていた。  

名前を呼ぶことは、距離を示す。  
無意識に口から出たのなら、それが“ふたりのあいだ”で普段どう使われているか、証明してしまっている。  

“陽翔”と呼んでからの“橘”は、演出だ。  
誰かの前では隠す、線引きだった。  

…つまり。  

山野は自席に戻ると、ほぼ無意識にファイルを開いた。  
テンプレートの保存名に日付とタイトルを入れ、すぐに打ち始めた。

  

/MyDocuments/社内報補足記録/  
ファイル名:営業部対談_尊い観察日記.txt

  

【観察ログ】  
日付:5月8日(水)  
時間:15:04  
場所:営業部フロア  

・主任が課長と書類のやり取り中  
・課長の台詞「…陽翔、それ、もう一回だけ整理してくれへん?」  
・主任は無反応を装って応じる  
・直後、課長「橘、そのファイル、あとで送っといてな」と“言い直し”  

【所感】  
・名前呼び=私的な距離感の象徴  
・無意識に出る=ふたりのあいだでは日常的にそう呼んでいる可能性  
・その後の“言い直し”が逆に証拠になっていた  
・私的と公的の境界線を、彼らは知っていて、守っている  
・でも、私は聞いてしまった  

【記録タイトル】  
「名前呼び事件」  

【備考】  
・“主任”が“陽翔”になるまでの、たった数秒  
・でも、その数秒に込められた関係性の厚みが、記事10枚分の密度だった  
・これはもう、誤記ではない。証拠である

山野は指を止め、深く息を吐いた。  

「なかったことにしてはいけないものを、聞いてしまった気がする」  

その言葉だけが、ファイルの外に残された。  
誰にも見せるつもりのない記録として。  
けれど、確かにそこに存在する記憶として。
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