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第2章 スキル?ありませんが、PCならあります
ステータス・ゼロの男
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薄暗い石造りの室内は、しんと静まり返っていた。
壁の至る所に魔法陣が彫り込まれており、その縁には淡い青の光が漂っている。
重厚な扉の向こう側でわずかに聞こえる騎士の足音が、この空間にだけ響かないのは、何らかの防音結界でも張られているのだろう。
空気は冷え、少し湿っていた。古びた紙と薬草のような匂いが混ざり合い、田所には図書館と地下倉庫の中間のように感じられた。
ここは、王都セントラーデの魔導鑑定院。
冒険者登録、貴族の子弟の魔力覚醒、軍属昇進の資格判定など、あらゆる“個人能力”を測定・記録する中枢機関である。
そしていま、田所一はその中心に立っていた。
「右手を水晶球に。まっすぐ前を向いてください」
やや甲高い声でそう言ったのは、鑑定士の老魔導士だった。
灰色のローブの袖が長く垂れ、指先だけがぬっと出ている。
表情は厳しく、口元の皺が顎から喉元まで真一文字につながっていた。
田所は指示に従い、右手を丸い水晶球に乗せた。
冷たい。指先が少しだけ震える。
だが、それは緊張からではなかった。
どちらかといえば、眠気に近い倦怠感のせいだった。
「測定を開始します」
水晶球の内部が、ぼんやりと淡く光りはじめた。
初めは無色透明だったそれが、次第に薄い青緑の光を宿し…かけて、すぐに沈静化した。
光は、完全に消えた。
周囲の空気が、わずかにざわめいた。
「……測定値、魔力量ゼロ」
老魔導士が眉をひそめる。
背後に控えていた若い補佐官が、記録板に文字を書き留める手をわずかに止めた。
田所は無言で手を引いた。
水晶の冷たさが指先にまだ残っていたが、驚きも、焦りもなかった。
むしろ、「やっぱりね」という妙な納得感があった。
「続いてスキル判定に入ります。左手をこちらに」
今度は別の小さな台座の上に手を置かされる。
そこには、開かれた古びた魔術書のようなものが据えられていた。
文字は読み取れないが、ページの中央に円形の紋が浮かび上がっている。
田所が手をかざすと、ほんの一瞬だけ、文字のような光が浮かんだ。
しかしそれもすぐに掻き消える。
鑑定士が淡々と告げる。
「スキル判定、結果は…該当スキルなし。
加護判定…同じく、なし」
再び静寂が落ちた。
部屋の隅に立っていた騎士たちが、目線を交わす。
武装を整えたその姿は、誰よりも立派に見えたが、彼らの視線には明らかな落胆があった。
「これが勇者なのか?」という問いが、無言のまま空気に浮いていた。
「……残念ですが」
鑑定士が最後にそう言った。
それ以上の言葉はなかった。
だが、その言葉だけで充分だった。
判断を下すには、十分すぎる事実だった。
背後で、カリカリという音が響いていた。
記録官が羽ペンを走らせている。
無表情な横顔。冷たい目元。
「記録完了。個体識別名“タドコロ・ハジメ”。
魔力:なし。スキル:該当なし。加護:なし。
分類:無属性・無才能。
基礎属性に変動なし、召喚後の追加才能変化もなし」
淡々と読み上げるその声は、機械的で、そしてどこか決定的だった。
田所は、眉ひとつ動かさなかった。
何を期待していたわけでもない。
そもそも“召喚された”という実感すら薄い。
ただ気づけば森にいたし、なぜか若返っていたし、誰かが「勇者」と呼んでいただけ。
魔法? スキル?
あれば便利かもしれないが、なければ生きていけないというほどでもない。
少なくとも、会社員生活四半世紀で、そんなものが役立ったことは一度もない。
「まあ…そんな気はしてたんですけどね」
ぽつりと田所が呟いた。
それは自嘲でも、開き直りでもなかった。
ただの実感だった。
鑑定士が怪訝そうな目を向ける。
だが、田所は気にも留めず、手をひっこめると、静かに立ち上がった。
「以上となります。勇者様は、別室で待機を。以後の処遇は、王政評議にて協議される予定です」
係の補佐官が、淡々と指示を出す。
声は敬語だが、熱意も敬意もない。
どこか機械的で、事務的で、まるで“期待はずれの試験結果”に対する後処理のようだった。
田所は、誰にも抗議するでもなく、誰を恨むでもなく、ただ静かにその場を去った。
足音だけが石床に残り、扉が閉じる音が、彼の立場を象徴するかのように響いた。
これが異世界なのだ。
力のある者が価値を持ち、ない者はただの“なし”とされる場所。
田所は深く息を吐いた。
そしてふと、自分の内ポケットに重みを感じた。
革の感触。硬い板状のなにか。
そういえば、と彼は思い出す。
持ち物検査で、なぜか誰も取り上げなかったそれ。
あの世界で最後まで手元にあった“道具”。
ノートパソコン。
VA16。
あれだけで、彼は何十枚もの資料を作り、何百の会議を回し、無数の面倒な現場を整えてきた。
彼はそっと、自分の胸元に手を当てた。
力はない。魔法も、スキルも、加護もない。
だが、あれがあれば――自分にも、まだやれることはある。
口元にかすかな笑みが浮かんだ。
「…魔法はないけど、パワポならあるんで」
誰に言うでもないその言葉が、静かな廊下に消えていった。
壁の至る所に魔法陣が彫り込まれており、その縁には淡い青の光が漂っている。
重厚な扉の向こう側でわずかに聞こえる騎士の足音が、この空間にだけ響かないのは、何らかの防音結界でも張られているのだろう。
空気は冷え、少し湿っていた。古びた紙と薬草のような匂いが混ざり合い、田所には図書館と地下倉庫の中間のように感じられた。
ここは、王都セントラーデの魔導鑑定院。
冒険者登録、貴族の子弟の魔力覚醒、軍属昇進の資格判定など、あらゆる“個人能力”を測定・記録する中枢機関である。
そしていま、田所一はその中心に立っていた。
「右手を水晶球に。まっすぐ前を向いてください」
やや甲高い声でそう言ったのは、鑑定士の老魔導士だった。
灰色のローブの袖が長く垂れ、指先だけがぬっと出ている。
表情は厳しく、口元の皺が顎から喉元まで真一文字につながっていた。
田所は指示に従い、右手を丸い水晶球に乗せた。
冷たい。指先が少しだけ震える。
だが、それは緊張からではなかった。
どちらかといえば、眠気に近い倦怠感のせいだった。
「測定を開始します」
水晶球の内部が、ぼんやりと淡く光りはじめた。
初めは無色透明だったそれが、次第に薄い青緑の光を宿し…かけて、すぐに沈静化した。
光は、完全に消えた。
周囲の空気が、わずかにざわめいた。
「……測定値、魔力量ゼロ」
老魔導士が眉をひそめる。
背後に控えていた若い補佐官が、記録板に文字を書き留める手をわずかに止めた。
田所は無言で手を引いた。
水晶の冷たさが指先にまだ残っていたが、驚きも、焦りもなかった。
むしろ、「やっぱりね」という妙な納得感があった。
「続いてスキル判定に入ります。左手をこちらに」
今度は別の小さな台座の上に手を置かされる。
そこには、開かれた古びた魔術書のようなものが据えられていた。
文字は読み取れないが、ページの中央に円形の紋が浮かび上がっている。
田所が手をかざすと、ほんの一瞬だけ、文字のような光が浮かんだ。
しかしそれもすぐに掻き消える。
鑑定士が淡々と告げる。
「スキル判定、結果は…該当スキルなし。
加護判定…同じく、なし」
再び静寂が落ちた。
部屋の隅に立っていた騎士たちが、目線を交わす。
武装を整えたその姿は、誰よりも立派に見えたが、彼らの視線には明らかな落胆があった。
「これが勇者なのか?」という問いが、無言のまま空気に浮いていた。
「……残念ですが」
鑑定士が最後にそう言った。
それ以上の言葉はなかった。
だが、その言葉だけで充分だった。
判断を下すには、十分すぎる事実だった。
背後で、カリカリという音が響いていた。
記録官が羽ペンを走らせている。
無表情な横顔。冷たい目元。
「記録完了。個体識別名“タドコロ・ハジメ”。
魔力:なし。スキル:該当なし。加護:なし。
分類:無属性・無才能。
基礎属性に変動なし、召喚後の追加才能変化もなし」
淡々と読み上げるその声は、機械的で、そしてどこか決定的だった。
田所は、眉ひとつ動かさなかった。
何を期待していたわけでもない。
そもそも“召喚された”という実感すら薄い。
ただ気づけば森にいたし、なぜか若返っていたし、誰かが「勇者」と呼んでいただけ。
魔法? スキル?
あれば便利かもしれないが、なければ生きていけないというほどでもない。
少なくとも、会社員生活四半世紀で、そんなものが役立ったことは一度もない。
「まあ…そんな気はしてたんですけどね」
ぽつりと田所が呟いた。
それは自嘲でも、開き直りでもなかった。
ただの実感だった。
鑑定士が怪訝そうな目を向ける。
だが、田所は気にも留めず、手をひっこめると、静かに立ち上がった。
「以上となります。勇者様は、別室で待機を。以後の処遇は、王政評議にて協議される予定です」
係の補佐官が、淡々と指示を出す。
声は敬語だが、熱意も敬意もない。
どこか機械的で、事務的で、まるで“期待はずれの試験結果”に対する後処理のようだった。
田所は、誰にも抗議するでもなく、誰を恨むでもなく、ただ静かにその場を去った。
足音だけが石床に残り、扉が閉じる音が、彼の立場を象徴するかのように響いた。
これが異世界なのだ。
力のある者が価値を持ち、ない者はただの“なし”とされる場所。
田所は深く息を吐いた。
そしてふと、自分の内ポケットに重みを感じた。
革の感触。硬い板状のなにか。
そういえば、と彼は思い出す。
持ち物検査で、なぜか誰も取り上げなかったそれ。
あの世界で最後まで手元にあった“道具”。
ノートパソコン。
VA16。
あれだけで、彼は何十枚もの資料を作り、何百の会議を回し、無数の面倒な現場を整えてきた。
彼はそっと、自分の胸元に手を当てた。
力はない。魔法も、スキルも、加護もない。
だが、あれがあれば――自分にも、まだやれることはある。
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