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第13章 仕組みの壁、反発の炎
田所の沈黙
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王都の中央図書塔、その西翼にある書庫の一角。
田所は、そこに静かに腰を下ろしていた。
周囲は石造りの棚に囲まれ、古い書簡や記録帳が無数に並ぶ。
薄暗い光が高窓から射し、埃の粒子を静かに照らしている。
外の騒がしさとは無縁の、ほとんど息を潜めたような空間だった。
一枚の紙を前にして、田所はずっと黙っていた。
それは、かつて自分が作った「段取りチェックリスト」の初期案だった。
角は少し擦れ、インクもところどころにじんでいる。
魔導プリンターがまだ不安定だった頃、ノイが苦労して調整したもののひとつ。
手元のそれは、今や“封印対象”になった書式だった。
田所は指先でそっとその用紙を撫でながら、小さく息を吐いた。
「……だよな」
呟いた言葉は誰に向けたものでもなく、空気に溶けていった。
ギルドが混乱していることは知っていた。
資料が使えず、会議が滞り、若手が右往左往しているとも聞いていた。
だが、田所はその渦中に身を投じなかった。
あえて距離を取り、ただ静かに、その流れを観察していた。
「段取りが“誰か”に属する限り、それはいつか拒絶される」
それは、この世界に来てから、ずっと心の片隅にあった懸念だった。
田所式。
そう呼ばれ、尊敬や称賛と共に受け入れられたものが、いつか“誰かの色”になってしまう。
そしてそのとき、反発されるのは仕組みではなく、“俺”という個人になる。
仕組みは本来、誰のものでもなく、皆が使える“構造”であるべきだ。
だが、人は目に見えるものに帰属意識を持つ。
フォーマットに、語録に、方法論に。
それが「田所のもの」になったとき、すでに危うさは始まっていたのかもしれない。
「仕組みは、空気じゃなく、誰かが整えたものだと知られると、抵抗される」
この国では、仕組みは“自然にあるもの”ではなかった。
誰かが作り、誰かが管理し、誰かが得をしていると思われた瞬間、それは“操作”と呼ばれる。
田所の意図とは関係なく、段取りは“権力”に見えたのだ。
思い出す。
初めてギルドに議事録を持ち込んだとき、皆が感動した。
付箋を使った進行で、無駄な時間がなくなったと喜ばれた。
資料に基づいた議論が初めて成立し、あちこちで「こんなに楽なのか」と声が上がった。
だが今、それらが「形式」に変わった。
かつては“助け”だったものが、“型にはめるもの”として見られ始めた。
紙が命令のようになり、フォーマットが束縛になった。
「でも……それでも、構造で答えるしかないんだよな」
田所は、目の前の紙から視線を上げた。
書庫の棚の奥、誰も手を触れない古びた記録帳。
かつて、この国でも他の誰かが整えようとした形跡があった。
それが歴史に埋もれ、忘れられ、また今、自分の手で同じものを作っている。
人は混乱を嫌う。
でも、整った構造のなかに“自分の自由”がなくなると感じると、それを壊したくなる。
自由とは、整っていないことだと誤解される瞬間がある。
だからこそ、田所は“自由に使える構造”を目指していた。
誰かのためではなく、自分のためでもなく、ただ「回るため」に。
仕組みが誰のものでもないときにこそ、人は安心して動ける。
棚の奥から、一枚の白紙を取り出す。
ペンを取り、ゆっくりと線を引いた。
小さなマス目、タイトル枠、フローを示す矢印。
かつて自分が書いたものよりも、ずっと簡素だった。
だが、そこには迷いがなかった。
「これは、俺のためじゃない。
誰かが、勝手に使って、勝手に変えて、
いつの間にか“自分のもの”にしてくれたら、それでいい」
田所は、ペンを置いた。
ページの端に、小さく日付を書き入れる。
そして静かに立ち上がり、紙を棚の隙間に差し込んだ。
それは誰かが、いつか見つけるかもしれない。
見つけないかもしれない。
だが、そういう距離感で構造が残るなら、それで十分だと彼は思った。
扉を開け、書庫の外へ出る。
王都の空は、少し雲が出ていた。
整わぬ空模様に、風がひとつ流れていく。
次は、整えるのではなく、整えすぎない仕組みをつくる。
誰かが気づき、手にして、自分のやり方に変えられる“余白”のあるものを。
田所は、そう決めた顔で歩き出した。
もう、ただの“段取り屋”ではなかった。
構造そのものの設計者として。
そしてそのすべてを、もう一度最初から、静かに始めるために。
田所は、そこに静かに腰を下ろしていた。
周囲は石造りの棚に囲まれ、古い書簡や記録帳が無数に並ぶ。
薄暗い光が高窓から射し、埃の粒子を静かに照らしている。
外の騒がしさとは無縁の、ほとんど息を潜めたような空間だった。
一枚の紙を前にして、田所はずっと黙っていた。
それは、かつて自分が作った「段取りチェックリスト」の初期案だった。
角は少し擦れ、インクもところどころにじんでいる。
魔導プリンターがまだ不安定だった頃、ノイが苦労して調整したもののひとつ。
手元のそれは、今や“封印対象”になった書式だった。
田所は指先でそっとその用紙を撫でながら、小さく息を吐いた。
「……だよな」
呟いた言葉は誰に向けたものでもなく、空気に溶けていった。
ギルドが混乱していることは知っていた。
資料が使えず、会議が滞り、若手が右往左往しているとも聞いていた。
だが、田所はその渦中に身を投じなかった。
あえて距離を取り、ただ静かに、その流れを観察していた。
「段取りが“誰か”に属する限り、それはいつか拒絶される」
それは、この世界に来てから、ずっと心の片隅にあった懸念だった。
田所式。
そう呼ばれ、尊敬や称賛と共に受け入れられたものが、いつか“誰かの色”になってしまう。
そしてそのとき、反発されるのは仕組みではなく、“俺”という個人になる。
仕組みは本来、誰のものでもなく、皆が使える“構造”であるべきだ。
だが、人は目に見えるものに帰属意識を持つ。
フォーマットに、語録に、方法論に。
それが「田所のもの」になったとき、すでに危うさは始まっていたのかもしれない。
「仕組みは、空気じゃなく、誰かが整えたものだと知られると、抵抗される」
この国では、仕組みは“自然にあるもの”ではなかった。
誰かが作り、誰かが管理し、誰かが得をしていると思われた瞬間、それは“操作”と呼ばれる。
田所の意図とは関係なく、段取りは“権力”に見えたのだ。
思い出す。
初めてギルドに議事録を持ち込んだとき、皆が感動した。
付箋を使った進行で、無駄な時間がなくなったと喜ばれた。
資料に基づいた議論が初めて成立し、あちこちで「こんなに楽なのか」と声が上がった。
だが今、それらが「形式」に変わった。
かつては“助け”だったものが、“型にはめるもの”として見られ始めた。
紙が命令のようになり、フォーマットが束縛になった。
「でも……それでも、構造で答えるしかないんだよな」
田所は、目の前の紙から視線を上げた。
書庫の棚の奥、誰も手を触れない古びた記録帳。
かつて、この国でも他の誰かが整えようとした形跡があった。
それが歴史に埋もれ、忘れられ、また今、自分の手で同じものを作っている。
人は混乱を嫌う。
でも、整った構造のなかに“自分の自由”がなくなると感じると、それを壊したくなる。
自由とは、整っていないことだと誤解される瞬間がある。
だからこそ、田所は“自由に使える構造”を目指していた。
誰かのためではなく、自分のためでもなく、ただ「回るため」に。
仕組みが誰のものでもないときにこそ、人は安心して動ける。
棚の奥から、一枚の白紙を取り出す。
ペンを取り、ゆっくりと線を引いた。
小さなマス目、タイトル枠、フローを示す矢印。
かつて自分が書いたものよりも、ずっと簡素だった。
だが、そこには迷いがなかった。
「これは、俺のためじゃない。
誰かが、勝手に使って、勝手に変えて、
いつの間にか“自分のもの”にしてくれたら、それでいい」
田所は、ペンを置いた。
ページの端に、小さく日付を書き入れる。
そして静かに立ち上がり、紙を棚の隙間に差し込んだ。
それは誰かが、いつか見つけるかもしれない。
見つけないかもしれない。
だが、そういう距離感で構造が残るなら、それで十分だと彼は思った。
扉を開け、書庫の外へ出る。
王都の空は、少し雲が出ていた。
整わぬ空模様に、風がひとつ流れていく。
次は、整えるのではなく、整えすぎない仕組みをつくる。
誰かが気づき、手にして、自分のやり方に変えられる“余白”のあるものを。
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そしてそのすべてを、もう一度最初から、静かに始めるために。
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