誰と寝ても、俺はいなかったー性のどこにも属せなかった俺が、たった一人にだけ愛された夜

中岡 始

文字の大きさ
21 / 66

あのキャミソールと休日の雨

しおりを挟む
浴室の中は、外気と切り離された別の世界のようだった。
磨かれた白いタイルが間接照明の光を鈍く返し、わずかに曇った鏡が芳樹の上半身を不鮮明に映していた。
シャワーの水音が単調なリズムで響き、その下で肩に落ちる熱が体の表面をなだめるように広がっていく。

額を伝う湯にまかせて、芳樹はそっと目を閉じた。
その瞬間、脳裏に浮かんだのは、数週間前の夜だった。
飲み会のあと、終電を逃して、自然な流れのように楷の部屋に泊まったあの日。
眠気が残る意識のなかで見たのは、キャミソールを着た楷の姿だった。
脱ぎかけのスーツの下から見えた、白くて柔らかな素材の中に隠されていた肩のライン。
光の加減で透けて見えた鎖骨と、首筋に沿った濡れた髪の影。
あのときの芳樹は、自分の視線が“どこに向かってしまったのか”を、今さら思い出していた。

「なんで、あのとき…目が逸らせなかったんだろう」

頭の中で呟いた言葉が、湯の音のなかにかき消えていく。
だが、もうひとつの記憶が、立て続けに浮かんだ。
雨の休日。
たまたま出かけた街で、傘をさして歩いていた楷の私服姿。
白いシャツに、くすんだブルーグレーのパンツ。
顔には薄くメイクが施され、唇にだけ血色が差していた。

「綺麗だと思った」

そう思ったことは、認めざるを得なかった。
否応なく目が吸い寄せられた。
美しいものを見たときの、それはごく自然な反応だったと、あのときは自分に言い聞かせた。
だが、それだけではなかったのだと、今なら分かる。

「あのとき…“見てはいけない”って、どこかで思った」

その美しさが、性別という境界を曖昧にするから。
自分がそれに、まるで“触れてしまいそうだった”から。
もし、手を伸ばしていたら、何かが壊れてしまいそうで、それが怖かった。
そうして逸らした視線の先には、何もなかった。

芳樹は息を吸い、湯に肩まで沈めた。
静かに、目をつむる。
けれど、まぶたの裏に浮かんでくるのは、あの夜と、あの休日の楷の姿だった。
ひとつひとつの所作が、なぜか鮮明すぎる。

ワンピースではなくシャツ、リップではなく素肌。
どれも“女”ではないのに、どこかで女性的で。
けれど、“男”の輪郭ではくくれない空気をまとっていた。
そして何より、そのまなざし。
誰も入らせないのに、拒絶の気配もない、不思議なまなざし。

「知らなかった楷だった」

職場で並んで座るときの楷とは、まるで違った。
打ち合わせの合間に交わす視線、無表情の奥にわずかに浮かぶ笑み。
そうしたものとは違う“私的な顔”が、そこにはあった。
見てしまったのは、ただの服装や姿形ではない。
“知らなかった”のは、その存在の一部だった。

湯が頬を伝って落ちていく。
肌があたたかいのに、胸の奥が妙に冷えていた。
こんなふうに記憶を反芻している自分が、よく分からなかった。
それでも、楷の姿はまぶたの裏から消えようとしない。

「どうして、あんなに目が離せなかったんだ」

それが欲望だったとは、思いたくなかった。
でも、美しいと思ったことを否定する理由も、もう見つからない。
そして、自分はその美しさに、“触れられない”と分かっている。
ただ、それだけだった。
ただ、それだけのはずだった。

芳樹は深く息を吐き、湯の中で目を開けた。
そこには曇った天井と、静かすぎる空間があるだけだった。
けれど、その静けさが、なぜか楷の沈黙と重なって見えた。
あの夜、何も言わずにキャミソールを着ていた姿と、あの雨の街角で交わした目と、すべてが繋がっている気がした。

指先で額をぬぐいながら、湯船からそっと立ち上がる。
バスタオルで体を拭く間も、記憶は遠ざからなかった。
まるで、肌に残る湯気のように、あの人の気配がまとわりついていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

余命半年の俺を、手酷く振ったはずの元カレ二人が手を組んで逃がしてくれません

ユッキー
BL
半年以内に俺は一人寂しく死ぬ。そんな未来を視た。きっと誰も悲しむ人は居ないだろう。そう思っていたから何も怖くなかった。なのにそんな俺の元に過去手酷く振り、今では世界的スターとなった元カレ二人がやってきた。彼らは全てを知っていた。俺がどうして彼らを振ったのか、そして俺の余命も。 全てを諦めた主人公と、主人公を諦めきれないイケメンサッカー選手とシンガーソングライターの再会が導く未来は?

【完結】恋人になりたかった

ivy
BL
初めてのキスは、 すべてが始まった合図だと思っていた。 優しい大地と過ごす時間は、 律にとって特別で、 手放したくないものになっていく。 けれど……

幼馴染がいじめるのは俺だ!

むすめっすめ
BL
幼馴染が俺の事いじめてたのは、好きな子いじめちゃうやつだと思ってたのに... 「好きな奴に言われたんだ...幼馴染いじめるのとかガキみてーだって...」 「はっ...ぁ??」 好きな奴って俺じゃないの___!? ただのいじめっ子×勘違いいじめられっ子 ーーーーーー 主人公 いじめられっ子 小鳥遊洸人 タカナシ ヒロト 小学生の頃から幼馴染の神宮寺 千透星にいじめられている。 姉の助言(?)から千透星が自分のこといじめるのは小学生特有の“好きな子いじめちゃうヤツ“だと思い込むようになり、そんな千透星を、可愛いじゃん...?と思っていた。 高校で初めて千透星に好きな人が出来たことを知ったことから、 脳破壊。 千透星への恋心を自覚する。 幼馴染 いじめっ子 神宮寺 千透星 ジングウジ チトセ 小学生の頃から幼馴染の小鳥遊 洸人をいじめている。 美形であり、陰キャの洸人とは違い周りに人が集まりやすい。(洸人は千透星がわざと自分の周りに集まらないように牽制していると勘違いしている) 転校生の須藤千尋が初恋である

Candy pop〜Bitter&Sweet

義井 映日
BL
完結済み作品。全6話。番外編1本追加! 「185cmの看板男」が、たった一人の恋人の前で理性を失う。 ――三ヶ月の禁欲を経て、その愛は甘く、激しく、暴走する。 「あらすじ」 ​大学の「看板男」こと安達大介は、後輩の一之瀬功(いちのせ こう)を溺愛している。 ついに迎えた初めての夜。しかし、安達の圧倒的な「雄」の迫力に、功は恐怖して逃げ出してしまう。 ​「――お前は俺を狂わせる毒だと思ってた」 ​絶望した安達と、愛しているのに身体が竦む功。 三ヶ月の育みを経て、到達した二人の「じれったい禁欲生活」の行方は? 看板男の仮面が剥がれるとき、世界で一番甘い夜が始まる。 お話が気に入った、面白かった、と思ってくださったら、お気に入り登録、いいね、をお願い致します! 作者の励みになります!!

脱落モブ男が人気アイドルに愛されるわけがない

綿毛ぽぽ
BL
 アイドルを夢見るも、デビューできずオーディション番組に出演しても脱落ばかりの地味男、亀谷日翔はついに夢を諦めた。そしてひょんなことから事務所にあるカフェで働き始めると、かつて出演していた番組のデビューメンバーと再会する。テレビでも引っ張りだこで相変わらずビジュアルが強い二人は何故か俺に対して距離が近い。 ━━━━━━━━━━━ 現役人気アイドル×脱落モブ男 表紙はくま様からお借りしました https://www.pixiv.net/artworks/84182395

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

僕の恋人は、超イケメン!!

八乙女 忍
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

思い出して欲しい二人

春色悠
BL
 喫茶店でアルバイトをしている鷹木翠(たかぎ みどり)。ある日、喫茶店に初恋の人、白河朱鳥(しらかわ あすか)が女性を伴って入ってきた。しかも朱鳥は翠の事を覚えていない様で、幼い頃の約束をずっと覚えていた翠はショックを受ける。  そして恋心を忘れようと努力するが、昔と変わったのに変わっていない朱鳥に寧ろ、どんどん惚れてしまう。  一方朱鳥は、バッチリと翠の事を覚えていた。まさか取引先との昼食を食べに行った先で、再会すると思わず、緩む頬を引き締めて翠にかっこいい所を見せようと頑張ったが、翠は朱鳥の事を覚えていない様。それでも全く愛が冷めず、今度は本当に結婚するために翠を落としにかかる。  そんな二人の、もだもだ、じれったい、さっさとくっつけ!と、言いたくなるようなラブロマンス。

処理中です...