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中間にいる、という孤独
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天井を見上げる楷の視線は、もうそこにはなかった。
目の奥では、高校の教室が広がっていた。
グレーのカーディガンを着た男子生徒たちの笑い声、背後の窓から差し込む午前中の光、黒板のチョークの擦れる音。
全部が薄く、遠く、けれど生々しく蘇ってくる。
言葉にしようとした途端、喉の奥が少し乾いた。
けれど、ここで黙ってしまったら、もう二度と語れない気がした。
話すことが赦される時間は、そんなに多くない。
誰かの前で、自分という不確かなものを晒せる瞬間は、きっと限られている。
だから、楷は口を開いた。
ゆっくり、重さを抱えながら。
「高校のとき……制服のブレザーが嫌いでした」
言いながら、薄く笑った。
ユーモアに見せかけた逃げではなく、自嘲でもなかった。
ただ事実を並べていくような、静かな声。
「ネクタイを締めるのも、ズボンの太さを揃えるのも、
“男の生徒”としてのかたちを押しつけられてる気がして。
でも、スカートを履きたいってわけでもなかったんです」
楷の指が、シーツの上でまたゆっくりと動いた。
何かをなぞるように、あるいは誰かの背中を思い出すように。
「“女っぽい”って言われるのも、“ちゃんと男らしくしろ”って言われるのも、
どっちも、俺に“なれ”って言ってるようで……
結局、どっちも俺じゃなかったんです」
言葉の合間に流れる沈黙が、染み入るように重たかった。
それは悲しみではなく、静かな痛みの層だった。
楷の声はかすかに震えていたが、それでも途切れることはなかった。
「男の子としてちゃんとしろって言われるたび、
その“ちゃんと”の定義がわからなかった。
体育で声を張れとか、女の子に興味を持てとか、
冗談のひとつも言えって言われるたびに、
俺は“演じなきゃいけないんだ”って思った」
芳樹は、動かなかった。
ただ、楷の語りを黙って受け止めていた。
相槌を打つでもなく、目をそらすでもなく。
その無言の姿勢が、何より楷を語らせていた。
「でも、それってさ……いつか破綻するんですよね」
楷のまぶたが、そっと伏せられた。
言葉が静かに、だが確かに、深く沈んでいく。
「“中間”にいる自分が、誰にも見つけてもらえないまま、
クラスの隅でただ過ごしてるのって、
想像以上に、苦しいんです」
モノローグが、楷の内側で輪郭を持った。
どっちにもなれなかった俺は、ただ間にいて
そのあいだにいる人間は、誰にも見つけてもらえなかったんです
「仲のいい女子と話してると、“お前って女の味方だよな”って言われるし、
かといって男子の会話に混じれば、“何黙ってんだよ”って笑われる。
何をしても、ちゃんと“属して”ないことが、すぐにバレて」
そのときの楷の声には、僅かに苦笑の色が混じっていた。
だが、その奥には、当時の自分をどこか遠巻きに見るような視線があった。
「わざと中性的な雰囲気を出してるんじゃないかとか、
狙ってるだろとか……いろんなことを言われました。
でも、それが“素”だってことは、誰にも伝わらなかった」
視線が、ほんの少しだけ横を向いた。
窓の外は暗いままだった。
それでも、少しだけ光が揺れているように見えた。
「そうしてるうちに、自分が何者なのか、わからなくなってきて……
たとえば、“男として生きていこう”って決めるのも、
“女として扱われたい”って願うのも、
どっちも“努力”しなきゃいけないことに思えたんです」
息をひとつ、長く吐いた。
空気が胸の奥を撫でるように抜けていく。
「だから俺は、“どっちにもならない”ことを選んだ。
選んだというより、それしかできなかった」
隣にいる芳樹の腕が、少しだけ動いた。
けれど、それは慰めのためではなく、
ただそこに“在り続ける”ための動きだった。
楷はそのぬくもりに背中を預けたまま、目を閉じた。
「好きな人が男でも女でも、その人が好きだって思えるなら、それでいいはずなのに。
でも、好きになられる側としての俺は、“何者かであること”を求められた」
静かに、肩が上下する。
その動きのなかで、楷の表情がようやく、微かにほどけていった。
「だから俺は、“どっちでもない”って言い続けてきたけど……
そのことばが、だれにも届かないのが、いちばん孤独でした」
最後の言葉が、夜のなかに溶けていく。
長い長い、沈黙が降りた。
芳樹は言葉を返さなかった。
それが、この夜に必要なかたちだとわかっていた。
そして楷もまた、答えを求めていなかった。
ただ語ったこと。
それだけが、今夜のすべてだった。
目の奥では、高校の教室が広がっていた。
グレーのカーディガンを着た男子生徒たちの笑い声、背後の窓から差し込む午前中の光、黒板のチョークの擦れる音。
全部が薄く、遠く、けれど生々しく蘇ってくる。
言葉にしようとした途端、喉の奥が少し乾いた。
けれど、ここで黙ってしまったら、もう二度と語れない気がした。
話すことが赦される時間は、そんなに多くない。
誰かの前で、自分という不確かなものを晒せる瞬間は、きっと限られている。
だから、楷は口を開いた。
ゆっくり、重さを抱えながら。
「高校のとき……制服のブレザーが嫌いでした」
言いながら、薄く笑った。
ユーモアに見せかけた逃げではなく、自嘲でもなかった。
ただ事実を並べていくような、静かな声。
「ネクタイを締めるのも、ズボンの太さを揃えるのも、
“男の生徒”としてのかたちを押しつけられてる気がして。
でも、スカートを履きたいってわけでもなかったんです」
楷の指が、シーツの上でまたゆっくりと動いた。
何かをなぞるように、あるいは誰かの背中を思い出すように。
「“女っぽい”って言われるのも、“ちゃんと男らしくしろ”って言われるのも、
どっちも、俺に“なれ”って言ってるようで……
結局、どっちも俺じゃなかったんです」
言葉の合間に流れる沈黙が、染み入るように重たかった。
それは悲しみではなく、静かな痛みの層だった。
楷の声はかすかに震えていたが、それでも途切れることはなかった。
「男の子としてちゃんとしろって言われるたび、
その“ちゃんと”の定義がわからなかった。
体育で声を張れとか、女の子に興味を持てとか、
冗談のひとつも言えって言われるたびに、
俺は“演じなきゃいけないんだ”って思った」
芳樹は、動かなかった。
ただ、楷の語りを黙って受け止めていた。
相槌を打つでもなく、目をそらすでもなく。
その無言の姿勢が、何より楷を語らせていた。
「でも、それってさ……いつか破綻するんですよね」
楷のまぶたが、そっと伏せられた。
言葉が静かに、だが確かに、深く沈んでいく。
「“中間”にいる自分が、誰にも見つけてもらえないまま、
クラスの隅でただ過ごしてるのって、
想像以上に、苦しいんです」
モノローグが、楷の内側で輪郭を持った。
どっちにもなれなかった俺は、ただ間にいて
そのあいだにいる人間は、誰にも見つけてもらえなかったんです
「仲のいい女子と話してると、“お前って女の味方だよな”って言われるし、
かといって男子の会話に混じれば、“何黙ってんだよ”って笑われる。
何をしても、ちゃんと“属して”ないことが、すぐにバレて」
そのときの楷の声には、僅かに苦笑の色が混じっていた。
だが、その奥には、当時の自分をどこか遠巻きに見るような視線があった。
「わざと中性的な雰囲気を出してるんじゃないかとか、
狙ってるだろとか……いろんなことを言われました。
でも、それが“素”だってことは、誰にも伝わらなかった」
視線が、ほんの少しだけ横を向いた。
窓の外は暗いままだった。
それでも、少しだけ光が揺れているように見えた。
「そうしてるうちに、自分が何者なのか、わからなくなってきて……
たとえば、“男として生きていこう”って決めるのも、
“女として扱われたい”って願うのも、
どっちも“努力”しなきゃいけないことに思えたんです」
息をひとつ、長く吐いた。
空気が胸の奥を撫でるように抜けていく。
「だから俺は、“どっちにもならない”ことを選んだ。
選んだというより、それしかできなかった」
隣にいる芳樹の腕が、少しだけ動いた。
けれど、それは慰めのためではなく、
ただそこに“在り続ける”ための動きだった。
楷はそのぬくもりに背中を預けたまま、目を閉じた。
「好きな人が男でも女でも、その人が好きだって思えるなら、それでいいはずなのに。
でも、好きになられる側としての俺は、“何者かであること”を求められた」
静かに、肩が上下する。
その動きのなかで、楷の表情がようやく、微かにほどけていった。
「だから俺は、“どっちでもない”って言い続けてきたけど……
そのことばが、だれにも届かないのが、いちばん孤独でした」
最後の言葉が、夜のなかに溶けていく。
長い長い、沈黙が降りた。
芳樹は言葉を返さなかった。
それが、この夜に必要なかたちだとわかっていた。
そして楷もまた、答えを求めていなかった。
ただ語ったこと。
それだけが、今夜のすべてだった。
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