47 / 66
言葉にならない記憶を、言葉にしてしまった夜
しおりを挟む
暗闇に包まれた部屋のなかで、時計の針の音だけが微かに響いていた。
秒針が刻むたび、夜の深さが静かに肌へと降り積もってくるようだった。
ベッドのなか、ふたりは並んで横になっていた。
楷は仰向けのまま、視線を天井に預けていた。
そこには何も見えなかったが、それでいて、何かを見つめる必要があった。
語ろうとしたとき、目のやり場を探してしまうのは、言葉がまだ脆いからだ。
指先が、シーツの上で静かに擦れた。
無意識に何かを確かめるような動作だった。
それに気づいたのか、隣にいた芳樹が、そっと体勢を変えて顔を楷のほうに向けた。
楷はそれを見なかった。
視線はそのまま、どこにも焦点を合わせずに漂わせていた。
けれど、口元だけがゆっくりと動いた。
「……小さいころ、親戚のおばさんに“女の子みたい”って言われたんです」
声は思ったよりもしっかりしていた。
けれど、その裏には微かに震える呼吸が重なっていた。
それを覆い隠すように、語尾が平坦に落ちていく。
「嬉しかったんですよ。髪を褒められたのも、服をかわいいって言われたのも……
なんか、自分が“きれい”って言ってもらえた気がして」
呼吸が一度だけ浅くなる。
楷は唇を舌で湿らせ、ゆっくりと続けた。
「でも、そのすぐあとで、“でも、男の子なのにね”って、笑われて。
なんていうか……その瞬間、全部、間違いだったって思いました」
ベッドのなかに沈黙が落ちた。
それは重いものではなかった。
むしろ、呼吸の音を際立たせるような、やわらかな空白だった。
芳樹は何も言わなかった。
言える言葉が見つからなかったわけではなく、
今この沈黙が、楷にとって“語る場”として必要なのだと、自然に察していたからだった。
楷はまぶたを閉じなかった。
目を開いたまま、遠くを見るような表情で、さらに言葉を紡いでいった。
「小学校のとき、“男のくせに”って言われることが多くなって。
走るのが遅かったり、字が丸かったり、色のついた靴下を履いてるだけで……」
声が、すこしだけ掠れた。
だが、止まらなかった。
止めなければ、次に進める気がしていた。
「……最初は、なんでそれがいけないのかわからなかったんです。
でも、みんなが笑ったり、変な顔をしたりしてるのを見て、
ああ、自分は“間違ってる側”なんだなって思い込むようになって」
モノローグが、楷のなかで静かに立ち上がった。
嬉しかったはずなのに、笑われた瞬間に全部、否定されて
それ以来、“喜ぶ”のが怖くなった
俺は、何に属してもいい顔をされないんだって
言葉にならないまま抱えていた感情が、
今夜、ようやく形を持ち始めていた。
「そのうち、“褒められること”が全部、罰みたいに感じられるようになったんです。
外見を褒められても、内面を褒められても、
どっちみち、どこかで“でも男の子でしょ”って言われる気がして。
だから、自分から何も出さないようになっていった」
言葉を発するごとに、楷の喉の奥が痛んだ。
けれど、その痛みは、“今も続いている”ということの証だった。
「中学に入ったころには、もう、
誰にも何も見せないようにしてた。
性格も、服装も、趣味も、
全部、どっちにも偏らないようにしてたんです。
そうすれば、どこにも咎められずに済むって思って」
そこまで語ると、楷はようやく、わずかに目を閉じた。
まぶたの裏には、誰にも見せなかった自分の過去が広がっていた。
黒でも白でもなく、淡いグレーに塗りつぶされた記憶の断片たち。
「でも、それって……誰にも“好き”って言われないってことでもあって。
好きになるには、何かに属してなきゃいけないって、
“男”とか“女”とか、はっきりした役割があって、それで初めて対象になれるって……
だから俺は、ただの“間”だった。
誰かの目には映るけど、触れられない空白みたいな存在で」
そこで、言葉が一度、完全に止まった。
静寂がゆっくりと降りてきた。
芳樹は、ただそっと、肩越しに腕を回した。
それは楷の身体を囲うのではなく、
言葉を支えるような、静かな動作だった。
そのぬくもりに、楷は初めて、自分の喉が乾いていたことに気づいた。
話すことが、これほどまでに“渇き”を癒す行為だったとは知らなかった。
目を閉じる。
そのまま、芳樹の肩に額を預ける。
吐く息が、湿っているのを感じる。
楷は思った。
言ってしまった
でも、壊れなかった
語った自分が、まだここにいて、
それを聞いてくれた誰かのなかで、
何も否定されずに、ただ存在している
それが、ただ静かに、楷を支えていた。
秒針が刻むたび、夜の深さが静かに肌へと降り積もってくるようだった。
ベッドのなか、ふたりは並んで横になっていた。
楷は仰向けのまま、視線を天井に預けていた。
そこには何も見えなかったが、それでいて、何かを見つめる必要があった。
語ろうとしたとき、目のやり場を探してしまうのは、言葉がまだ脆いからだ。
指先が、シーツの上で静かに擦れた。
無意識に何かを確かめるような動作だった。
それに気づいたのか、隣にいた芳樹が、そっと体勢を変えて顔を楷のほうに向けた。
楷はそれを見なかった。
視線はそのまま、どこにも焦点を合わせずに漂わせていた。
けれど、口元だけがゆっくりと動いた。
「……小さいころ、親戚のおばさんに“女の子みたい”って言われたんです」
声は思ったよりもしっかりしていた。
けれど、その裏には微かに震える呼吸が重なっていた。
それを覆い隠すように、語尾が平坦に落ちていく。
「嬉しかったんですよ。髪を褒められたのも、服をかわいいって言われたのも……
なんか、自分が“きれい”って言ってもらえた気がして」
呼吸が一度だけ浅くなる。
楷は唇を舌で湿らせ、ゆっくりと続けた。
「でも、そのすぐあとで、“でも、男の子なのにね”って、笑われて。
なんていうか……その瞬間、全部、間違いだったって思いました」
ベッドのなかに沈黙が落ちた。
それは重いものではなかった。
むしろ、呼吸の音を際立たせるような、やわらかな空白だった。
芳樹は何も言わなかった。
言える言葉が見つからなかったわけではなく、
今この沈黙が、楷にとって“語る場”として必要なのだと、自然に察していたからだった。
楷はまぶたを閉じなかった。
目を開いたまま、遠くを見るような表情で、さらに言葉を紡いでいった。
「小学校のとき、“男のくせに”って言われることが多くなって。
走るのが遅かったり、字が丸かったり、色のついた靴下を履いてるだけで……」
声が、すこしだけ掠れた。
だが、止まらなかった。
止めなければ、次に進める気がしていた。
「……最初は、なんでそれがいけないのかわからなかったんです。
でも、みんなが笑ったり、変な顔をしたりしてるのを見て、
ああ、自分は“間違ってる側”なんだなって思い込むようになって」
モノローグが、楷のなかで静かに立ち上がった。
嬉しかったはずなのに、笑われた瞬間に全部、否定されて
それ以来、“喜ぶ”のが怖くなった
俺は、何に属してもいい顔をされないんだって
言葉にならないまま抱えていた感情が、
今夜、ようやく形を持ち始めていた。
「そのうち、“褒められること”が全部、罰みたいに感じられるようになったんです。
外見を褒められても、内面を褒められても、
どっちみち、どこかで“でも男の子でしょ”って言われる気がして。
だから、自分から何も出さないようになっていった」
言葉を発するごとに、楷の喉の奥が痛んだ。
けれど、その痛みは、“今も続いている”ということの証だった。
「中学に入ったころには、もう、
誰にも何も見せないようにしてた。
性格も、服装も、趣味も、
全部、どっちにも偏らないようにしてたんです。
そうすれば、どこにも咎められずに済むって思って」
そこまで語ると、楷はようやく、わずかに目を閉じた。
まぶたの裏には、誰にも見せなかった自分の過去が広がっていた。
黒でも白でもなく、淡いグレーに塗りつぶされた記憶の断片たち。
「でも、それって……誰にも“好き”って言われないってことでもあって。
好きになるには、何かに属してなきゃいけないって、
“男”とか“女”とか、はっきりした役割があって、それで初めて対象になれるって……
だから俺は、ただの“間”だった。
誰かの目には映るけど、触れられない空白みたいな存在で」
そこで、言葉が一度、完全に止まった。
静寂がゆっくりと降りてきた。
芳樹は、ただそっと、肩越しに腕を回した。
それは楷の身体を囲うのではなく、
言葉を支えるような、静かな動作だった。
そのぬくもりに、楷は初めて、自分の喉が乾いていたことに気づいた。
話すことが、これほどまでに“渇き”を癒す行為だったとは知らなかった。
目を閉じる。
そのまま、芳樹の肩に額を預ける。
吐く息が、湿っているのを感じる。
楷は思った。
言ってしまった
でも、壊れなかった
語った自分が、まだここにいて、
それを聞いてくれた誰かのなかで、
何も否定されずに、ただ存在している
それが、ただ静かに、楷を支えていた。
19
あなたにおすすめの小説
余命半年の俺を、手酷く振ったはずの元カレ二人が手を組んで逃がしてくれません
ユッキー
BL
半年以内に俺は一人寂しく死ぬ。そんな未来を視た。きっと誰も悲しむ人は居ないだろう。そう思っていたから何も怖くなかった。なのにそんな俺の元に過去手酷く振り、今では世界的スターとなった元カレ二人がやってきた。彼らは全てを知っていた。俺がどうして彼らを振ったのか、そして俺の余命も。
全てを諦めた主人公と、主人公を諦めきれないイケメンサッカー選手とシンガーソングライターの再会が導く未来は?
幼馴染がいじめるのは俺だ!
むすめっすめ
BL
幼馴染が俺の事いじめてたのは、好きな子いじめちゃうやつだと思ってたのに...
「好きな奴に言われたんだ...幼馴染いじめるのとかガキみてーだって...」
「はっ...ぁ??」
好きな奴って俺じゃないの___!?
ただのいじめっ子×勘違いいじめられっ子
ーーーーーー
主人公 いじめられっ子
小鳥遊洸人
タカナシ ヒロト
小学生の頃から幼馴染の神宮寺 千透星にいじめられている。
姉の助言(?)から千透星が自分のこといじめるのは小学生特有の“好きな子いじめちゃうヤツ“だと思い込むようになり、そんな千透星を、可愛いじゃん...?と思っていた。
高校で初めて千透星に好きな人が出来たことを知ったことから、
脳破壊。
千透星への恋心を自覚する。
幼馴染 いじめっ子
神宮寺 千透星
ジングウジ チトセ
小学生の頃から幼馴染の小鳥遊 洸人をいじめている。
美形であり、陰キャの洸人とは違い周りに人が集まりやすい。(洸人は千透星がわざと自分の周りに集まらないように牽制していると勘違いしている)
転校生の須藤千尋が初恋である
Candy pop〜Bitter&Sweet
義井 映日
BL
完結済み作品。全6話。番外編1本追加!
「185cmの看板男」が、たった一人の恋人の前で理性を失う。
――三ヶ月の禁欲を経て、その愛は甘く、激しく、暴走する。
「あらすじ」
大学の「看板男」こと安達大介は、後輩の一之瀬功(いちのせ こう)を溺愛している。
ついに迎えた初めての夜。しかし、安達の圧倒的な「雄」の迫力に、功は恐怖して逃げ出してしまう。
「――お前は俺を狂わせる毒だと思ってた」
絶望した安達と、愛しているのに身体が竦む功。
三ヶ月の育みを経て、到達した二人の「じれったい禁欲生活」の行方は?
看板男の仮面が剥がれるとき、世界で一番甘い夜が始まる。
お話が気に入った、面白かった、と思ってくださったら、お気に入り登録、いいね、をお願い致します!
作者の励みになります!!
脱落モブ男が人気アイドルに愛されるわけがない
綿毛ぽぽ
BL
アイドルを夢見るも、デビューできずオーディション番組に出演しても脱落ばかりの地味男、亀谷日翔はついに夢を諦めた。そしてひょんなことから事務所にあるカフェで働き始めると、かつて出演していた番組のデビューメンバーと再会する。テレビでも引っ張りだこで相変わらずビジュアルが強い二人は何故か俺に対して距離が近い。
━━━━━━━━━━━
現役人気アイドル×脱落モブ男
表紙はくま様からお借りしました
https://www.pixiv.net/artworks/84182395
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
僕の恋人は、超イケメン!!
八乙女 忍
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
思い出して欲しい二人
春色悠
BL
喫茶店でアルバイトをしている鷹木翠(たかぎ みどり)。ある日、喫茶店に初恋の人、白河朱鳥(しらかわ あすか)が女性を伴って入ってきた。しかも朱鳥は翠の事を覚えていない様で、幼い頃の約束をずっと覚えていた翠はショックを受ける。
そして恋心を忘れようと努力するが、昔と変わったのに変わっていない朱鳥に寧ろ、どんどん惚れてしまう。
一方朱鳥は、バッチリと翠の事を覚えていた。まさか取引先との昼食を食べに行った先で、再会すると思わず、緩む頬を引き締めて翠にかっこいい所を見せようと頑張ったが、翠は朱鳥の事を覚えていない様。それでも全く愛が冷めず、今度は本当に結婚するために翠を落としにかかる。
そんな二人の、もだもだ、じれったい、さっさとくっつけ!と、言いたくなるようなラブロマンス。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる