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どちらでもなくていい、いまの君が素敵だ
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服を脱ぐという行為が、これほどまでに慎重で、静かで、そして満たされたものになることがあるのだと、楷は初めて知った。
乱暴な手つきも、気を引くようなキスもなかった。
ただ、少しずつ。まるで互いの皮膚の声を聞くように、布が滑らされていく。
楷は、自分の呼吸がいつの間にか浅くなっていることに気づいていた。
意識して深く吸おうとしても、胸の奥が妙に緊張して、思うように息が入ってこない。
それでも苦しくはなかった。
むしろ、空気に自分の肌が晒されるたび、そこに誰かが“いてくれる”という実感が確かにあった。
シャツのボタンが一つ、また一つと外されていく。
芳樹の指先は、冷たくも熱くもなかった。
ただ、必要なだけのぬくもりがあって、
その温度が、楷の皮膚を、過去から少しずつ切り離していくようだった。
シャツが完全に脱がされ、肩が露わになると、
芳樹がその首筋に唇を落とした。
楷の身体が微かに震えた。
驚いたわけではなかった。
むしろ、そこに触れてもらえたことに、安心が生まれていた。
頸の少し下、ちょうど脈の通るあたりに、柔らかい唇の感触が落ちる。
それが一度、二度と繰り返されたあと、
ほんのかすかな声で、芳樹が囁いた。
「今、そのままの君が、俺は素敵だと思う」
その瞬間、楷の呼吸が一度だけ止まった。
声に出すのでもなく、体を強く反応させるのでもなく、
ただ、心の中の何かが深く沈んだ。
今、そのままの君が
“いま”という現在形が、楷にはたまらなく優しく思えた。
変わらなくていい、何かに“なれ”と言われない、
そこにいることを、そのまま素敵だと受け入れられる
その言葉に、どれだけの価値が詰まっているかを、
楷は誰よりもよく知っていた。
どっちかになれない俺じゃなくて、
いまこのままで素敵だって……
そんなふうに言われたの、たぶん、生まれて初めてだった
誰かに「美しい」とか「きれい」とか「かっこいい」と言われたことはあっても、
それはいつも“男として”あるいは“女のように”という文脈のなかで語られていた。
だが、“どちらでもない自分”を、そのまま肯定されたことは、一度もなかった。
涙が、ひとすじ、まぶたの端からこぼれ落ちた。
芳樹の顔はまだ近くにある。
その目が、唇が、肌の気配が、全部、すぐそこにあって
なのに何も言わず、何も訊こうとしない。
楷は、拭わなかった。
涙を流したことを隠そうともしなかった。
だってこれは、悲しみじゃない
こんなふうに泣ける自分が、いま、ここにいるということが
楷にとって、ひとつの到達点のような気がしていた。
芳樹がそっと手を伸ばし、頬に触れる。
涙の軌跡を指でなぞることも、ぬぐうこともしないまま、
ただ指の腹で肌に触れて、そこに涙があることを“受け取った”だけだった。
夜は深く、窓の外の光はさらに滲んでいた。
部屋のなかの灯りはほとんど落とされていて、
肌と肌が近づくたびに、お互いの存在だけが輪郭を強めていった。
触れ合いは、ゆっくりと、でも確実に重なっていく。
言葉はもうなかった。
それでも、芳樹の“あのひとこと”が、いまも楷の身体のなかで鳴り響いていた。
どちらでもなくていい
いまの君が、素敵だと
そのたった一言が、
何年分もの沈黙と、否定と、誤解と、孤独を、
少しずつ溶かしていく音だった。
楷の指が、芳樹の背中を撫でる。
意図のないその動きが、快楽のためではない愛情として続いていく。
ふたりの間にあった“性別”や“役割”という言葉は、
もうこの場には存在していなかった。
ただ、いまここにいる“楷”と“芳樹”というふたつの輪郭が、
交わることもなく、重なりすぎることもなく、
でも確かに“溶け合い始めている”
涙はもう止まっていた。
その代わり、楷の目には光が宿っていた。
強くはない。
けれど、はっきりと“見ている”目だった。
その視線を正面から受け止めながら、
芳樹は、何も言わず、もう一度だけ唇を重ねた。
今度は長く、静かで、
夜の気配に沈み込んでいくようなキスだった。
乱暴な手つきも、気を引くようなキスもなかった。
ただ、少しずつ。まるで互いの皮膚の声を聞くように、布が滑らされていく。
楷は、自分の呼吸がいつの間にか浅くなっていることに気づいていた。
意識して深く吸おうとしても、胸の奥が妙に緊張して、思うように息が入ってこない。
それでも苦しくはなかった。
むしろ、空気に自分の肌が晒されるたび、そこに誰かが“いてくれる”という実感が確かにあった。
シャツのボタンが一つ、また一つと外されていく。
芳樹の指先は、冷たくも熱くもなかった。
ただ、必要なだけのぬくもりがあって、
その温度が、楷の皮膚を、過去から少しずつ切り離していくようだった。
シャツが完全に脱がされ、肩が露わになると、
芳樹がその首筋に唇を落とした。
楷の身体が微かに震えた。
驚いたわけではなかった。
むしろ、そこに触れてもらえたことに、安心が生まれていた。
頸の少し下、ちょうど脈の通るあたりに、柔らかい唇の感触が落ちる。
それが一度、二度と繰り返されたあと、
ほんのかすかな声で、芳樹が囁いた。
「今、そのままの君が、俺は素敵だと思う」
その瞬間、楷の呼吸が一度だけ止まった。
声に出すのでもなく、体を強く反応させるのでもなく、
ただ、心の中の何かが深く沈んだ。
今、そのままの君が
“いま”という現在形が、楷にはたまらなく優しく思えた。
変わらなくていい、何かに“なれ”と言われない、
そこにいることを、そのまま素敵だと受け入れられる
その言葉に、どれだけの価値が詰まっているかを、
楷は誰よりもよく知っていた。
どっちかになれない俺じゃなくて、
いまこのままで素敵だって……
そんなふうに言われたの、たぶん、生まれて初めてだった
誰かに「美しい」とか「きれい」とか「かっこいい」と言われたことはあっても、
それはいつも“男として”あるいは“女のように”という文脈のなかで語られていた。
だが、“どちらでもない自分”を、そのまま肯定されたことは、一度もなかった。
涙が、ひとすじ、まぶたの端からこぼれ落ちた。
芳樹の顔はまだ近くにある。
その目が、唇が、肌の気配が、全部、すぐそこにあって
なのに何も言わず、何も訊こうとしない。
楷は、拭わなかった。
涙を流したことを隠そうともしなかった。
だってこれは、悲しみじゃない
こんなふうに泣ける自分が、いま、ここにいるということが
楷にとって、ひとつの到達点のような気がしていた。
芳樹がそっと手を伸ばし、頬に触れる。
涙の軌跡を指でなぞることも、ぬぐうこともしないまま、
ただ指の腹で肌に触れて、そこに涙があることを“受け取った”だけだった。
夜は深く、窓の外の光はさらに滲んでいた。
部屋のなかの灯りはほとんど落とされていて、
肌と肌が近づくたびに、お互いの存在だけが輪郭を強めていった。
触れ合いは、ゆっくりと、でも確実に重なっていく。
言葉はもうなかった。
それでも、芳樹の“あのひとこと”が、いまも楷の身体のなかで鳴り響いていた。
どちらでもなくていい
いまの君が、素敵だと
そのたった一言が、
何年分もの沈黙と、否定と、誤解と、孤独を、
少しずつ溶かしていく音だった。
楷の指が、芳樹の背中を撫でる。
意図のないその動きが、快楽のためではない愛情として続いていく。
ふたりの間にあった“性別”や“役割”という言葉は、
もうこの場には存在していなかった。
ただ、いまここにいる“楷”と“芳樹”というふたつの輪郭が、
交わることもなく、重なりすぎることもなく、
でも確かに“溶け合い始めている”
涙はもう止まっていた。
その代わり、楷の目には光が宿っていた。
強くはない。
けれど、はっきりと“見ている”目だった。
その視線を正面から受け止めながら、
芳樹は、何も言わず、もう一度だけ唇を重ねた。
今度は長く、静かで、
夜の気配に沈み込んでいくようなキスだった。
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