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第2章 推しカプ観察日記~現実は、妄想の宝石箱
静かな訪問者
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午後の陽射しは柔らかく、風籠荘の縁側には穏やかな空気が流れていた。
障子越しに差し込む光が、畳の上にゆるやかな模様を描いている。
どこからか風鈴の音がかすかに聞こえ、蝉の声が遠くに揺れていた。
世界がゆっくりと呼吸しているような静けさの中で、蒼はいつものように本を読んでいた。
ひかるは廊下の奥、部屋の影からそっと顔をのぞかせていた。
物音ひとつ立てないように足音を潜め、柱の陰に身をひそめている。
手にはいつもの妄想ノート。ページには昨日の観察メモがびっしりと書き込まれている。
蒼は白いシャツの袖を少しだけ腕まくりして、膝の上に文庫本を乗せていた。
姿勢は相変わらず端正で、背筋はまっすぐ、膝は揃っている。
髪は乱れがなく、眼鏡の奥の目元は伏し目がちにページを追っている。
風が吹けば、その黒髪がわずかに揺れ、陽の光に一瞬だけ光を反射する。
何も語らなくても、その存在が空気を支配しているように見えた。
その光景だけでも充分に尊かった。
けれど、そのときだった。
縁側の外から、微かな足音が聞こえてきた。
コツ、コツ、と石畳を叩くような、軽く、しかし硬質な響き。
それは、この下宿に日常的に出入りする人間の足音ではなかった。
ひかるの全神経が、無意識にその音へと集中していく。
間もなく現れたのは、一人の青年だった。
陽射しの中から現れたその姿に、ひかるは思わず言葉を失った。
青年は濃紺のスーツに身を包み、足元には艶のある革靴を履いている。
手には一冊の本。上着のポケットからは銀色の懐中時計の鎖が覗いていた。
髪は黒に近い深い栗色で、梳かれたように整っている。
目元は涼やかで、頬骨の線が美しく、全体の佇まいに凛とした品がある。
その青年は、蒼の前で立ち止まった。
蒼はそれに気づき、そっと顔を上げる。
眼鏡越しに青年を見つめるその目には、驚きの色はなかった。
ただ、何かを受け取る準備ができていたように見える。
蒼はゆっくりと立ち上がり、手を前に差し出す。
青年は無言のまま、本を差し出した。
動きはゆっくりとしていて、まるで儀式のようだった。
蒼はそれを受け取り、深く一礼した。
「……ありがとうございます」
その一言は、小さく、穏やかだった。
声を潜めたその言葉のなかに、深い感謝の響きがあった。
けれど、それ以上のやりとりはなかった。
青年は何も言わず、ただわずかに頷いた。
そのまま踵を返し、門の方へと歩き去っていく。
彼の背中はまっすぐで、無駄な動きがひとつもなかった。
肩も、腕も、靴音さえも、すべてが美しく、完璧な均衡のなかにあった。
その背中が遠ざかっていくのを、蒼は目で追うことなく、本を胸に抱えたまま再び縁側に座った。
すべての動きが静かで、けれど、ひかるの胸の中では何かが大きく動いていた。
今のやりとりは、言葉がほとんど交わされなかった。
それなのに、空気はあまりに濃密だった。
会話がないということは、交わす必要がなかったということだ。
意思の疎通が当たり前で、あるべき場所に収まっているからこそ、言葉は必要なかった。
ひかるは柱の陰で、自分の心臓が大きく脈打っているのを感じた。
何を見てしまったのか、まだ整理が追いつかない。
だが確信だけはある。
これは、何かが始まった瞬間だ。
いや、もしかすると、すでに始まっていた何かを、自分がようやく“見つけてしまった”のかもしれない。
思わずノートを開き、手が勝手に動き出す。
【観察記録/午後の邂逅】
・蒼が縁側で読書中、青年が来訪
・青年:濃紺スーツ、革靴、端正な顔立ち
・無言で本を手渡し、蒼は受け取って一礼
・青年は頷くだけで去る
→ 会話は一言。空気がすべてを語っていた
ページの下部に、大きくこう書き込む。
→ 主君×従者の匂いがする。
→ 距離感と沈黙が絶妙。
→ どちらも何も言わないことで、逆に感情が漏れている。
ひかるは筆を止め、目を閉じた。
見てはいけないものを見た気がした。
けれど、それは怖さや恥ずかしさではない。
むしろ、“これは誰かが記録しなければ消えてしまう”と感じるような、ある種の使命感だった。
ふたりの間にあったあの数秒のやりとり。
たったそれだけの出来事の中に、何度でも物語が生まれそうな気がする。
それは恋と呼ぶにはあまりに静かで、けれど確かに心を震わせるものだった。
ひかるは、ノートを閉じる。
次にまた彼が現れるとき、自分はどこを見つめるべきか、もう決めていた。
このふたりの物語は、始まっている。
自分はその証人であり、記録者であり、書き手なのだ。
筆を取る日が、また一歩近づいた気がした。
障子越しに差し込む光が、畳の上にゆるやかな模様を描いている。
どこからか風鈴の音がかすかに聞こえ、蝉の声が遠くに揺れていた。
世界がゆっくりと呼吸しているような静けさの中で、蒼はいつものように本を読んでいた。
ひかるは廊下の奥、部屋の影からそっと顔をのぞかせていた。
物音ひとつ立てないように足音を潜め、柱の陰に身をひそめている。
手にはいつもの妄想ノート。ページには昨日の観察メモがびっしりと書き込まれている。
蒼は白いシャツの袖を少しだけ腕まくりして、膝の上に文庫本を乗せていた。
姿勢は相変わらず端正で、背筋はまっすぐ、膝は揃っている。
髪は乱れがなく、眼鏡の奥の目元は伏し目がちにページを追っている。
風が吹けば、その黒髪がわずかに揺れ、陽の光に一瞬だけ光を反射する。
何も語らなくても、その存在が空気を支配しているように見えた。
その光景だけでも充分に尊かった。
けれど、そのときだった。
縁側の外から、微かな足音が聞こえてきた。
コツ、コツ、と石畳を叩くような、軽く、しかし硬質な響き。
それは、この下宿に日常的に出入りする人間の足音ではなかった。
ひかるの全神経が、無意識にその音へと集中していく。
間もなく現れたのは、一人の青年だった。
陽射しの中から現れたその姿に、ひかるは思わず言葉を失った。
青年は濃紺のスーツに身を包み、足元には艶のある革靴を履いている。
手には一冊の本。上着のポケットからは銀色の懐中時計の鎖が覗いていた。
髪は黒に近い深い栗色で、梳かれたように整っている。
目元は涼やかで、頬骨の線が美しく、全体の佇まいに凛とした品がある。
その青年は、蒼の前で立ち止まった。
蒼はそれに気づき、そっと顔を上げる。
眼鏡越しに青年を見つめるその目には、驚きの色はなかった。
ただ、何かを受け取る準備ができていたように見える。
蒼はゆっくりと立ち上がり、手を前に差し出す。
青年は無言のまま、本を差し出した。
動きはゆっくりとしていて、まるで儀式のようだった。
蒼はそれを受け取り、深く一礼した。
「……ありがとうございます」
その一言は、小さく、穏やかだった。
声を潜めたその言葉のなかに、深い感謝の響きがあった。
けれど、それ以上のやりとりはなかった。
青年は何も言わず、ただわずかに頷いた。
そのまま踵を返し、門の方へと歩き去っていく。
彼の背中はまっすぐで、無駄な動きがひとつもなかった。
肩も、腕も、靴音さえも、すべてが美しく、完璧な均衡のなかにあった。
その背中が遠ざかっていくのを、蒼は目で追うことなく、本を胸に抱えたまま再び縁側に座った。
すべての動きが静かで、けれど、ひかるの胸の中では何かが大きく動いていた。
今のやりとりは、言葉がほとんど交わされなかった。
それなのに、空気はあまりに濃密だった。
会話がないということは、交わす必要がなかったということだ。
意思の疎通が当たり前で、あるべき場所に収まっているからこそ、言葉は必要なかった。
ひかるは柱の陰で、自分の心臓が大きく脈打っているのを感じた。
何を見てしまったのか、まだ整理が追いつかない。
だが確信だけはある。
これは、何かが始まった瞬間だ。
いや、もしかすると、すでに始まっていた何かを、自分がようやく“見つけてしまった”のかもしれない。
思わずノートを開き、手が勝手に動き出す。
【観察記録/午後の邂逅】
・蒼が縁側で読書中、青年が来訪
・青年:濃紺スーツ、革靴、端正な顔立ち
・無言で本を手渡し、蒼は受け取って一礼
・青年は頷くだけで去る
→ 会話は一言。空気がすべてを語っていた
ページの下部に、大きくこう書き込む。
→ 主君×従者の匂いがする。
→ 距離感と沈黙が絶妙。
→ どちらも何も言わないことで、逆に感情が漏れている。
ひかるは筆を止め、目を閉じた。
見てはいけないものを見た気がした。
けれど、それは怖さや恥ずかしさではない。
むしろ、“これは誰かが記録しなければ消えてしまう”と感じるような、ある種の使命感だった。
ふたりの間にあったあの数秒のやりとり。
たったそれだけの出来事の中に、何度でも物語が生まれそうな気がする。
それは恋と呼ぶにはあまりに静かで、けれど確かに心を震わせるものだった。
ひかるは、ノートを閉じる。
次にまた彼が現れるとき、自分はどこを見つめるべきか、もう決めていた。
このふたりの物語は、始まっている。
自分はその証人であり、記録者であり、書き手なのだ。
筆を取る日が、また一歩近づいた気がした。
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