転生腐女子、筆一本で大正ロマンを征く!〜美少年よ、吾が筆に舞え〜

中岡 始

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第2章 推しカプ観察日記~現実は、妄想の宝石箱

観察と分析の午後

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午後の陽が西へ傾きはじめ、風籠荘の庭には長い影が落ちていた。  
ひかるは縁側の柱に背を預けて、文机から持ち出した妄想ノートを膝の上に広げていた。  
薄茶色の紙に、今朝書き加えたばかりの文字がまだ新しい墨の匂いを残している。

榊原――榊原玲一。  
名前がわかったことで、あの人物は一気に現実味を帯びた。  
不思議なものだった。昨日まで「攻め候補」としか認識していなかった青年が、今や“物語の主役”として確かな輪郭を持ち始めている。

それだけではなかった。  
榊原という名前を知った瞬間から、蒼との関係性にまで違った色が加わり始めた。  
この数日で積み上げた観察記録が、名前という一点によって一気に構造を持ち始めたような、そんな感覚。

ひかるは墨のついた筆を手に取り、ノートの余白に榊原と蒼の相関図を描き足していた。  
名前を並べる。線を引く。  
過去の出来事を空白に置き、性格と立場を想像で埋めていく。

「主従関係の継続」「感情の非対称性」「記憶に縛られた静かな愛情」  
あらゆる設定が、それらしく思えてくる。  
現実の彼らを見てきたからこそ、妄想がどこか本物の記録のように思えてしまう。

ページを繰りながら、ふと水音が聞こえた。

それは、裏手の洗い場からだった。  
手桶の中で水が揺れ、布をすすぐ音。  
誰かが洗濯をしているのだろう。

日常のひとこま。  
だが、ひかるの中で何かがささやいた。  
確認しなければ、と。

足音を立てないように、縁側をまわって裏庭へ抜ける。  
光の届かない涼しい空間には、木桶と洗い板、それを前に座るひとつの背中があった。

蒼だった。

白い襦袢の袖を肘までまくり、手には一枚の布。  
それを指先で丁寧に押し洗いしている。

その手つきが、あまりにも静かだった。  
力はこもっているが、乱暴ではない。  
布に無理な負担をかけぬよう、まるで繊細なものに触れるかのような手さばきだった。

濡れた布の端から、金糸の刺繍が覗いた。

それを見た瞬間、ひかるの息が詰まった。

昨日、あの榊原が胸ポケットから取り出していたものと同じ柄だった。  
端に施された菱形の意匠、薄いグレイの縁取り、何より布の質感――間違いない。

蒼が洗っているのは、榊原玲一のハンカチだった。

ひかるは柱の陰からそっと息を整えた。  
予想していた。けれど、目にしたときの衝撃は想像以上だった。

榊原が使ったものを、蒼が洗っている。

それ自体は、特に珍しくもない行為かもしれない。  
だが、その仕草の一つ一つに、何かが込められている気がした。

水をきるとき、蒼の手のひらが布をそっと包み込む。  
それをもう一度開き、端を折り、たたみ直してはまた洗いなおす。

念入りだった。  
それがただの几帳面さでないことは、見ていればすぐにわかる。  
布に触れているあいだ、蒼の表情は穏やかで、少しだけ遠くを見るような眼差しだった。

ただの道具を洗っているのではない。  
人の痕跡が残るものを、まるでその人に触れているかのように扱っている。

ひかるはノートを開き、ページの隅に筆を走らせた。

【観察メモ】  
・蒼、榊原の私物(ハンカチ)を洗う  
・手つきが丁寧すぎる→感情のこもった所作  
・洗い終えた布を見つめる時間が長い  
・“触れてはいけないもの”を扱うような慎重さ

思わず、そこに一文を書き足す。

→ これは、仕える者の動きではない。想っている者の手だ。

蒼が手桶から立ち上がり、洗い終えたハンカチをそっと風の通る竹竿にかける。  
布がふわりと風に揺れる。  
その柔らかな動きにさえ、どこか名残惜しさのような感情が宿っている気がしてならなかった。

蒼はその場にしばらく立ち尽くし、干した布を見つめていた。  
まるで、それが風で飛んでしまわないように、目で留めているかのように。  
あるいは――そこに込められた何かが、誰かに届いてしまわぬように。

ひかるは、その背中を見ながら思った。

あの目は、静かなまま、何かを語っていた。  
言葉にならない感情が、そこにたしかにあった。

榊原の名前を知ったからこそ、その行為に“意味”が生まれる。  
名のある持ち主、名のある想い、名のある関係。  
それがいま、目の前で確かに形を持ち始めている。

ひかるはページをめくり、ふたりの関係性分析を新しく書き直した。

【関係性更新】  
榊原玲一 → 村瀬蒼  
・表向き:主君→従者(物品の差配・訪問)  
・内面:信頼と無意識の依存/表現されない感情  

村瀬蒼 → 榊原玲一  
・表向き:書生としての従順さ・義務  
・内面:敬意と抑えきれぬ愛情(自覚薄)

→ 両片想い(感情非対称型)成立

ページの下には、蒼が榊原の名を一度も口にしていない、という観察記録が添えられる。

名前を呼ばぬ関係。  
けれど、確かに心に刻んでいる相手。  
その静けさが、何よりも痛切だった。

ひかるはそっとノートを閉じた。

物語は、もう始まっている。  
彼ら自身がまだ気づいていないだけで、ふたりの間には確かな絆が存在している。

それを拾い上げ、言葉にして形にするのが、今の自分の役目だと思えた。  
静かに、筆を取り直す。  
今夜もまた、ページがひとつ、増える気がしていた。
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