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第7章 編集者、名乗る〜そして“物語”は社会へ
これは“創作”か、それとも“企画”か
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ひかるの前に置かれた紙の束は、丁寧に綴じられた春鏡社の企画案だった。
蒼と榊原の物語を核に据えた連作短編シリーズ。
掲載先は、同社が新たに創刊予定の文藝誌『言葉の灯』。
特集テーマは「語られぬ感情、語られる関係」。
ひかるの物語は、創刊号の巻頭を飾る候補としてすでに想定されている。
「あなたの作品には、独特の静けさがある」
三条は穏やかにそう言った。
「それは決して読みにくさではなく、“読み手に語らせる空白”です。
私たちは、その空白を尊重しながらも、読者に“手がかり”を与えたい。
たとえば、蒼と榊原が出会った場面を冒頭に配置し、読者に二人の構図を明示してみる。
あるいは、時間軸を整理して、関係性の変遷が追えるように章立てする。
あなたの描いた沈黙が、より深く届くように」
ひかるはその言葉を静かに聞いていた。
聞きながら、胸の中に水が落ちる音を感じていた。
それは批判ではなかった。
彼の目はまっすぐで、尊重の意志があった。
けれど、その“手がかり”は、ひかるにとって、言葉を差し出すことで守ってきた“余白”を少しずつ塗りつぶしていくものに思えた。
「……もし、それを明確にしすぎたら、蒼はどう感じると思いますか?」
三条は瞬きもせず、ひかるの問いを受け止めた。
「たとえば、彼が何も言わずに去ったこと。
それには理由があると、私は信じています。
けれど、それを“何ページ目で描いてください”と明示されたとき、
蒼は、もう自分の歩幅で語れなくなるのではないかと思うんです」
三条は少しだけ考えるように視線を落とし、それから、応接室のテーブルに手を添えた。
掌の動きは静かだったが、彼の言葉には僅かに揺れがあった。
「届かなければ、意味がない。
そう言うつもりは、ありません。
けれど、あなたが“誰か”に語りたいと思ったその瞬間から、
物語は、読まれる構造を持ち始めている。
それは、読む者が“道”を見つけられるようにするための、小さな標識です。
蒼が語らないのであれば、榊原が視線で語ればいい。
あなたは、その視線を“どこに置くか”だけ、選べばいいのです」
ひかるは頬に手を当てながら、窓の外を見た。
午後の光が、格子の影を床に落としていた。
交差する光と影。
その狭間を行く、名もない想い。
「でも……私が書いているのは、関係性そのものではないんです」
ゆっくりと、けれど確かに、ひかるは口を開いた。
「ふたりの間にある“まだ名前のない気持ち”が、どこに向かっていくのかを、ただ見守りたいだけなんです。
その途中で、説明が入ってしまうと、まるで彼らが“こうでなければいけない”と決めつけられるような気がして……」
沈黙が流れた。
しかし、それは拒絶の沈黙ではなかった。
三条は一枚の紙をひかるの方に滑らせた。
そこには、彼が構成案として作成した連作のアウトラインが記されていた。
「これは、わたしの提案です。
でも、ひかるさんの中にある“構成されていない時間”があるなら、それを教えてください。
最初に出会う前でもいい。
蒼がまだ、何者かになりきれていない時期。
そこから書いてみませんか?」
彼の声に、抗う棘はなかった。
ただ、共に探ろうとする意志があった。
ひかるは手元の紙を見つめる。
そこには、整理された章題が並び、予定されるページ数、読者層の想定までも記されていた。
創作が、こんなにも“編まれる”ものだということを、彼女は初めて肌で感じていた。
これまでの物語は、すべてひとりで書いてきた。
推敲も判断も、筆を取るのも止めるのも、自分だけだった。
けれど今、その物語が、“誰かに読まれる”という前提で再構成されようとしている。
三条がぽつりと言った。
「蒼と榊原は、言葉を交わさないことで、互いを守っていました。
でも、もしその沈黙が、誤解や距離を生んでしまったとしたら。
それでもあなたは、何も語らせませんか?」
ひかるは一瞬、何も言えなかった。
彼の問いは、まるで彼らの物語の中から拾い上げられたようだった。
やがて、静かに言った。
「語らせないのではなくて、
語りたくなった時にだけ、語ってほしい。
蒼が、榊原が、それぞれの言葉を見つけたときに。
わたしは、その瞬間を描きたいだけなんです」
ふたりの会話は、どこかで蒼と榊原の距離感をなぞっていた。
近づきたい、けれど無理に手は伸ばさない。
理解しようとする、けれど境界線を越えない。
ひかるは、手元の構成案の余白に目を落とした。
書かれた文字の間に、まだ言葉にならない風が流れていた。
その風を、どう紙に乗せるか。
それを考えることが、今の自分にとって最大の創作なのだと、思えた。
蒼と榊原の物語を核に据えた連作短編シリーズ。
掲載先は、同社が新たに創刊予定の文藝誌『言葉の灯』。
特集テーマは「語られぬ感情、語られる関係」。
ひかるの物語は、創刊号の巻頭を飾る候補としてすでに想定されている。
「あなたの作品には、独特の静けさがある」
三条は穏やかにそう言った。
「それは決して読みにくさではなく、“読み手に語らせる空白”です。
私たちは、その空白を尊重しながらも、読者に“手がかり”を与えたい。
たとえば、蒼と榊原が出会った場面を冒頭に配置し、読者に二人の構図を明示してみる。
あるいは、時間軸を整理して、関係性の変遷が追えるように章立てする。
あなたの描いた沈黙が、より深く届くように」
ひかるはその言葉を静かに聞いていた。
聞きながら、胸の中に水が落ちる音を感じていた。
それは批判ではなかった。
彼の目はまっすぐで、尊重の意志があった。
けれど、その“手がかり”は、ひかるにとって、言葉を差し出すことで守ってきた“余白”を少しずつ塗りつぶしていくものに思えた。
「……もし、それを明確にしすぎたら、蒼はどう感じると思いますか?」
三条は瞬きもせず、ひかるの問いを受け止めた。
「たとえば、彼が何も言わずに去ったこと。
それには理由があると、私は信じています。
けれど、それを“何ページ目で描いてください”と明示されたとき、
蒼は、もう自分の歩幅で語れなくなるのではないかと思うんです」
三条は少しだけ考えるように視線を落とし、それから、応接室のテーブルに手を添えた。
掌の動きは静かだったが、彼の言葉には僅かに揺れがあった。
「届かなければ、意味がない。
そう言うつもりは、ありません。
けれど、あなたが“誰か”に語りたいと思ったその瞬間から、
物語は、読まれる構造を持ち始めている。
それは、読む者が“道”を見つけられるようにするための、小さな標識です。
蒼が語らないのであれば、榊原が視線で語ればいい。
あなたは、その視線を“どこに置くか”だけ、選べばいいのです」
ひかるは頬に手を当てながら、窓の外を見た。
午後の光が、格子の影を床に落としていた。
交差する光と影。
その狭間を行く、名もない想い。
「でも……私が書いているのは、関係性そのものではないんです」
ゆっくりと、けれど確かに、ひかるは口を開いた。
「ふたりの間にある“まだ名前のない気持ち”が、どこに向かっていくのかを、ただ見守りたいだけなんです。
その途中で、説明が入ってしまうと、まるで彼らが“こうでなければいけない”と決めつけられるような気がして……」
沈黙が流れた。
しかし、それは拒絶の沈黙ではなかった。
三条は一枚の紙をひかるの方に滑らせた。
そこには、彼が構成案として作成した連作のアウトラインが記されていた。
「これは、わたしの提案です。
でも、ひかるさんの中にある“構成されていない時間”があるなら、それを教えてください。
最初に出会う前でもいい。
蒼がまだ、何者かになりきれていない時期。
そこから書いてみませんか?」
彼の声に、抗う棘はなかった。
ただ、共に探ろうとする意志があった。
ひかるは手元の紙を見つめる。
そこには、整理された章題が並び、予定されるページ数、読者層の想定までも記されていた。
創作が、こんなにも“編まれる”ものだということを、彼女は初めて肌で感じていた。
これまでの物語は、すべてひとりで書いてきた。
推敲も判断も、筆を取るのも止めるのも、自分だけだった。
けれど今、その物語が、“誰かに読まれる”という前提で再構成されようとしている。
三条がぽつりと言った。
「蒼と榊原は、言葉を交わさないことで、互いを守っていました。
でも、もしその沈黙が、誤解や距離を生んでしまったとしたら。
それでもあなたは、何も語らせませんか?」
ひかるは一瞬、何も言えなかった。
彼の問いは、まるで彼らの物語の中から拾い上げられたようだった。
やがて、静かに言った。
「語らせないのではなくて、
語りたくなった時にだけ、語ってほしい。
蒼が、榊原が、それぞれの言葉を見つけたときに。
わたしは、その瞬間を描きたいだけなんです」
ふたりの会話は、どこかで蒼と榊原の距離感をなぞっていた。
近づきたい、けれど無理に手は伸ばさない。
理解しようとする、けれど境界線を越えない。
ひかるは、手元の構成案の余白に目を落とした。
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