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第10章 語られる物語の先へ〜創作が連なっていく世界
残された場所で、生まれる声
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春の風が、風籠荘の庭をゆるやかに通り抜けていく。
梅の花はもう散り始め、桜の蕾がふくらみを増していた。
ひかるは離れの縁側に腰かけながら、静かに目を閉じ、深呼吸を一つおいた。
この場所は、かつて「蒼の書」の集まりのたびに、笑い声と熱い妄想で満ちていた。
今もその本質は変わっていない。けれど、空気は少しずつ、確かに変化している。
商業誌での活動が続き、名が知られるようになった今でも、ひかるはこの場所を離れていない。
むしろ、以前よりも頻繁にここへ足を運んでいた。
月に一度の「創作語り合い会」は、もはや蒼の書だけのものではない。
ひかるの物語に惹かれた読者たち、書くことに目覚めた若い女学生、そしてかつての同志たち――
さまざまな人々が、ここに集い、語り合う。
今日もまた、小さな机が三つ、畳の上に並べられていた。
中央にはお茶と菓子、両脇には、それぞれのノートや原稿、スケッチが広げられている。
その風景を見ていると、ひかるの胸の奥に、やわらかい何かが広がっていった。
若い書き手のひとりが、興奮気味に語る。
「この前書いた物語で、“触れない関係性”を描いてみたんです。
手を伸ばせば届く距離にいるのに、互いの温度だけで通じ合ってるっていう……」
「それ、蒼と榊原の影響でしょ?」
隣の少女が茶化すように言うと、彼女は少し照れくさそうに笑った。
「……そうかもしれません。
でも、あのふたりがそうだったから、じゃなくて、
ああいうふうに“語られない想い”がこんなにも深いものなんだって、気づけたから」
ひかるは、そのやりとりを黙って聞いていた。
心のどこかが、じんわりと温まるような感覚。
あの頃、自分が妄想ノートに書き散らしていたことばたちが、こうして誰かの中に火をともしている。
語られなかったふたりの関係が、語られぬままに、誰かの創作を生んでいる。
ふと、机の端で、別の若者が原稿を広げながらつぶやいた。
「桃野先生の作品って、“書いてあること”より、“書かれてないこと”がすごく多いですよね。
余白って、こんなに語るんだって、初めて思ったんです」
「それが“萌えの間”ってやつよ」
すずえがすかさず合いの手を入れる。
「言葉にされないことで、妄想の余地が生まれるの。
でも、それを成立させるには、ちゃんと“信じられる関係性”がないとダメなのよ」
「それって、萌えを“信じる力”みたいな……」
ひかるは、その言葉に頷いた。
萌えを信じる力。
まさに、それが自分をここまで引っ張ってきた。
昔、まだ何者でもなかった自分が、畳の上でスケッチ帳に蒼の横顔を描いていた頃。
世界のどこにも存在しなかったふたりを、頭の中だけで抱きしめていた日々。
語ることを恐れず、しかし語りすぎず、
妄想の熱をそのまま文字にして、同人誌を作り、そして読者に手渡してきた。
それが、いま。
語り合いの場として、この場所がある。
しかも、自分ではなく、若い書き手たちが中心になり、
自分の物語を糧に、新しい関係性や新しい言葉を模索している。
もう自分は、「語るだけの人」ではなくなっていた。
誰かの創作の中に「影響を与えた名前」として在るということ。
それは、不思議で、少し誇らしくて、そして静かに重い。
深町が一冊の小冊子を手にやってきた。
「新しい“誓い録”です」
表紙には、若い作者の名と、「萌えとは、風を描くこと」というタイトル。
ひかるはページをめくる。
そこには、自分とは異なる筆致で、しかし確かに“空白の関係性”が描かれていた。
萌えは、かたちを変えて生き続けている。
そしてその火は、手渡された者たちによって、また別の色で燃やされていく。
ひかるは、ふと縁側から外を見た。
風が吹いていた。
梅の花びらが一枚、縁側に舞い込む。
その一瞬が、なぜだか懐かしかった。
あの時も、同じように、風の中でふたりを思い描いていた。
語られるということは、消えていくことではない。
むしろ、語られることで、自分の物語は別の誰かの中に芽を出す。
ひかるは静かに目を閉じた。
この場所は、まだ続いていく。
そして、自分も、まだここに在る。
語られながら、また語っていくために。
梅の花はもう散り始め、桜の蕾がふくらみを増していた。
ひかるは離れの縁側に腰かけながら、静かに目を閉じ、深呼吸を一つおいた。
この場所は、かつて「蒼の書」の集まりのたびに、笑い声と熱い妄想で満ちていた。
今もその本質は変わっていない。けれど、空気は少しずつ、確かに変化している。
商業誌での活動が続き、名が知られるようになった今でも、ひかるはこの場所を離れていない。
むしろ、以前よりも頻繁にここへ足を運んでいた。
月に一度の「創作語り合い会」は、もはや蒼の書だけのものではない。
ひかるの物語に惹かれた読者たち、書くことに目覚めた若い女学生、そしてかつての同志たち――
さまざまな人々が、ここに集い、語り合う。
今日もまた、小さな机が三つ、畳の上に並べられていた。
中央にはお茶と菓子、両脇には、それぞれのノートや原稿、スケッチが広げられている。
その風景を見ていると、ひかるの胸の奥に、やわらかい何かが広がっていった。
若い書き手のひとりが、興奮気味に語る。
「この前書いた物語で、“触れない関係性”を描いてみたんです。
手を伸ばせば届く距離にいるのに、互いの温度だけで通じ合ってるっていう……」
「それ、蒼と榊原の影響でしょ?」
隣の少女が茶化すように言うと、彼女は少し照れくさそうに笑った。
「……そうかもしれません。
でも、あのふたりがそうだったから、じゃなくて、
ああいうふうに“語られない想い”がこんなにも深いものなんだって、気づけたから」
ひかるは、そのやりとりを黙って聞いていた。
心のどこかが、じんわりと温まるような感覚。
あの頃、自分が妄想ノートに書き散らしていたことばたちが、こうして誰かの中に火をともしている。
語られなかったふたりの関係が、語られぬままに、誰かの創作を生んでいる。
ふと、机の端で、別の若者が原稿を広げながらつぶやいた。
「桃野先生の作品って、“書いてあること”より、“書かれてないこと”がすごく多いですよね。
余白って、こんなに語るんだって、初めて思ったんです」
「それが“萌えの間”ってやつよ」
すずえがすかさず合いの手を入れる。
「言葉にされないことで、妄想の余地が生まれるの。
でも、それを成立させるには、ちゃんと“信じられる関係性”がないとダメなのよ」
「それって、萌えを“信じる力”みたいな……」
ひかるは、その言葉に頷いた。
萌えを信じる力。
まさに、それが自分をここまで引っ張ってきた。
昔、まだ何者でもなかった自分が、畳の上でスケッチ帳に蒼の横顔を描いていた頃。
世界のどこにも存在しなかったふたりを、頭の中だけで抱きしめていた日々。
語ることを恐れず、しかし語りすぎず、
妄想の熱をそのまま文字にして、同人誌を作り、そして読者に手渡してきた。
それが、いま。
語り合いの場として、この場所がある。
しかも、自分ではなく、若い書き手たちが中心になり、
自分の物語を糧に、新しい関係性や新しい言葉を模索している。
もう自分は、「語るだけの人」ではなくなっていた。
誰かの創作の中に「影響を与えた名前」として在るということ。
それは、不思議で、少し誇らしくて、そして静かに重い。
深町が一冊の小冊子を手にやってきた。
「新しい“誓い録”です」
表紙には、若い作者の名と、「萌えとは、風を描くこと」というタイトル。
ひかるはページをめくる。
そこには、自分とは異なる筆致で、しかし確かに“空白の関係性”が描かれていた。
萌えは、かたちを変えて生き続けている。
そしてその火は、手渡された者たちによって、また別の色で燃やされていく。
ひかるは、ふと縁側から外を見た。
風が吹いていた。
梅の花びらが一枚、縁側に舞い込む。
その一瞬が、なぜだか懐かしかった。
あの時も、同じように、風の中でふたりを思い描いていた。
語られるということは、消えていくことではない。
むしろ、語られることで、自分の物語は別の誰かの中に芽を出す。
ひかるは静かに目を閉じた。
この場所は、まだ続いていく。
そして、自分も、まだここに在る。
語られながら、また語っていくために。
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