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ep.01 とりあえずコーヒーでも
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一歩また一歩と進むうちに、その寝顔がはっきりくっきりと見えるようになる。
眦を釣り上げて、険しい顔で俺を叱りつける時とは違い、今は無防備な顔で目を閉じている。眉根を寄せることも、顔を顰めることもない。
確か、30代前半という話だったが、その実年齢よりも下に見えるくらいだ。むしろ、27である俺とあまり変わらない。
気付かれないように、そろそろと前を歩いていき、すれ違ったその時だ。
不意に後ろから衣擦れの音がした。気になって振り返ると、部長はベンチに身を横たえ、自身のコートを枕に寝始めている。
「……は?」
さすがにこれはまずい。
気温が10度を切って、冷えているのもそうだが、ここまで泥酔していると犯罪に巻き込まれかねない。金を盗られるだけでは済まず、暴力を加えられる可能性だってある。
俺は、振り返って様子を窺い、それでも一旦はこの場を去ろうとした。
どうせ、救ってやる義理はない相手だ。これまでに憎まれ口を利かれたことしかないし、シニカルな小馬鹿にした笑みぐらいしか記憶にない。そんな相手に手を貸す必要なんてないはずだ。
一歩、また一歩と離れていき、このまま姿が見えなくなるまで遠ざかれると思っていた。
しかし、そこで背後から高いクラクションの音が聞こえてきた。まさか、部長が道路に飛び出したのか? それとも、寝ている美浜を見て、からかい混じりに鳴らしたのか。
気になってもう一度振り返ると、美浜はまだベンチに横になったままだ。あれだけ大きなクラクションを鳴らされても、まったく起きる気配がない。
俺は、そこまで見続けて、はあと深い溜息を吐いた。
そして、来た道を戻って、美浜のそばまで近づく。手を伸ばせば届くほどの距離にいるというのに、美浜は起きる気配がない。
「嘘だろ」
俺は、恐る恐る手を伸ばし、その肩に触れた。
トントンと指先で叩いてみる。スーツの肩口を掴んでみる。ちょっとだけ揺らしてみることさえした。
だが、美浜は寝息を立て、身じろぎもしない。
俺は仕方なく、美浜のそばにしゃがみ、下から顔を覗き込んだ。美浜は、薄く唇を開き、すやすやと眠っている。顔のそばで手を振ってみても、瞼はぴくりとも動かない。前髪が乱れて額にかかり、片目を隠れてはいるが、美浜部長であることはもう疑いようがない。
こうして見ると、鼻梁が整った、いい顔をしている。
うちの会社で、女子社員の狙う独身男性ランキング上位に毎回選ばれるだけのことはある。冷たく感情のなさそうな顔つきのどこがいいのかと、女子社員の見る目のなさに呆れたこともあるが、こうして寝顔を見ると、確かになかなかのイケメンだ。
ほんの10数センチ離れたところからまじまじと見つめていた。
すると突然、瞼を縁取るまつ毛が揺れ、コンマ1秒ほどで美浜は目を開けた。
ついさっきまで目を瞑っていたせいか、双眸は泣いたように濡れている。黒目がちの瞳を二、三度瞬かせた後、ぼんやりと俺を見つめている。俺はつい、その眼に惹きつけられ、目を逸らすことも忘れて凝視してしまっていたらしい。
「いちの、せ?」
「はい」
名前を呼ばれて返事をすると、美浜はベンチに手をついてムクリと起き上がった。頬には、コートの跡がうっすらと残っている。
「ここは、どこだ?」
まだ寝ぼけているのか、美浜の声はいつもより柔らかで、どことなく舌ったらずだ。
「さあ、どこでしょうね」
なんと間抜けな答えかと思ったが、他に答えようもない。
俺は立ち上がり、膝についた埃を払う。
「とりあえず、コーヒーでもどうですか?」
さすがにチェーンのカフェくらいはあるだろう。
なければ、コンビニのコーヒーでもいい。
俺が手を伸ばすと、部長はぼんやりした顔のまま頷いた。
「ああ、そうだな」
俺はホッとして、営業で学んだビジネスライクな笑みを浮かべた。だが、そこで美浜は、思いもよらない言葉を口にする。
「まずは、ホテルに行こう。──コーヒーなら明日の朝でいい」
「は……?」
俺が意味を取り違えているのか、それとも誰かと勘違いしているのか。なんと答えたらいいのかわからずに、俺は唇を戦慄かせるしかなかった。美浜は俺の手を取って立ち上がると、俺の背中に腕を回した。
熱い体温と微かなフレグランスの香り。
俺は、抱き返すこともできずに硬直するしかない。
「一ノ瀬、ついて来い」
ついて来い、と言われましても。
泥酔して、足元も覚束ないのは美浜の方なのだが。
仕方なく俺は、美浜に聞いた。
「タクシー代はありますよね」
「もちろんだ」
それなら、言うことはない。
タクシーも、この際ホテル代も奢らせてやる。
俺はもう一度、美浜をベンチに座らせてからタクシーを止めた。
どこのホテルがいいかとタクシードライバーに聞こうとしたところ、美浜は偉そうに足を組んでから言った。
「サーントル東京まで」
ここから恐らくタクシーで30分、宿泊代は一人2桁を下らないホテルだ。
ドライバーは心得たとばかりに頷いて走り出したが、俺は気が気じゃない。
この酔っぱらいは本当に金を持っているのだろうか。
「そう心配するな。金ならある」
まるでこっちの心を読んだように鼻で笑い、俺にハンカチを手渡してきた。
「眼鏡、曇っているぞ」
「あ、はい」
俺はハンカチで眼鏡を拭き、腕を組んで目を瞑る美浜を横目で見た。
どうやら、また眠りについたらしい。
こうして俺は、酔っ払い美浜部長にテイクアウトされた。
-ep.01「とりあえずコーヒーでも」END-
眦を釣り上げて、険しい顔で俺を叱りつける時とは違い、今は無防備な顔で目を閉じている。眉根を寄せることも、顔を顰めることもない。
確か、30代前半という話だったが、その実年齢よりも下に見えるくらいだ。むしろ、27である俺とあまり変わらない。
気付かれないように、そろそろと前を歩いていき、すれ違ったその時だ。
不意に後ろから衣擦れの音がした。気になって振り返ると、部長はベンチに身を横たえ、自身のコートを枕に寝始めている。
「……は?」
さすがにこれはまずい。
気温が10度を切って、冷えているのもそうだが、ここまで泥酔していると犯罪に巻き込まれかねない。金を盗られるだけでは済まず、暴力を加えられる可能性だってある。
俺は、振り返って様子を窺い、それでも一旦はこの場を去ろうとした。
どうせ、救ってやる義理はない相手だ。これまでに憎まれ口を利かれたことしかないし、シニカルな小馬鹿にした笑みぐらいしか記憶にない。そんな相手に手を貸す必要なんてないはずだ。
一歩、また一歩と離れていき、このまま姿が見えなくなるまで遠ざかれると思っていた。
しかし、そこで背後から高いクラクションの音が聞こえてきた。まさか、部長が道路に飛び出したのか? それとも、寝ている美浜を見て、からかい混じりに鳴らしたのか。
気になってもう一度振り返ると、美浜はまだベンチに横になったままだ。あれだけ大きなクラクションを鳴らされても、まったく起きる気配がない。
俺は、そこまで見続けて、はあと深い溜息を吐いた。
そして、来た道を戻って、美浜のそばまで近づく。手を伸ばせば届くほどの距離にいるというのに、美浜は起きる気配がない。
「嘘だろ」
俺は、恐る恐る手を伸ばし、その肩に触れた。
トントンと指先で叩いてみる。スーツの肩口を掴んでみる。ちょっとだけ揺らしてみることさえした。
だが、美浜は寝息を立て、身じろぎもしない。
俺は仕方なく、美浜のそばにしゃがみ、下から顔を覗き込んだ。美浜は、薄く唇を開き、すやすやと眠っている。顔のそばで手を振ってみても、瞼はぴくりとも動かない。前髪が乱れて額にかかり、片目を隠れてはいるが、美浜部長であることはもう疑いようがない。
こうして見ると、鼻梁が整った、いい顔をしている。
うちの会社で、女子社員の狙う独身男性ランキング上位に毎回選ばれるだけのことはある。冷たく感情のなさそうな顔つきのどこがいいのかと、女子社員の見る目のなさに呆れたこともあるが、こうして寝顔を見ると、確かになかなかのイケメンだ。
ほんの10数センチ離れたところからまじまじと見つめていた。
すると突然、瞼を縁取るまつ毛が揺れ、コンマ1秒ほどで美浜は目を開けた。
ついさっきまで目を瞑っていたせいか、双眸は泣いたように濡れている。黒目がちの瞳を二、三度瞬かせた後、ぼんやりと俺を見つめている。俺はつい、その眼に惹きつけられ、目を逸らすことも忘れて凝視してしまっていたらしい。
「いちの、せ?」
「はい」
名前を呼ばれて返事をすると、美浜はベンチに手をついてムクリと起き上がった。頬には、コートの跡がうっすらと残っている。
「ここは、どこだ?」
まだ寝ぼけているのか、美浜の声はいつもより柔らかで、どことなく舌ったらずだ。
「さあ、どこでしょうね」
なんと間抜けな答えかと思ったが、他に答えようもない。
俺は立ち上がり、膝についた埃を払う。
「とりあえず、コーヒーでもどうですか?」
さすがにチェーンのカフェくらいはあるだろう。
なければ、コンビニのコーヒーでもいい。
俺が手を伸ばすと、部長はぼんやりした顔のまま頷いた。
「ああ、そうだな」
俺はホッとして、営業で学んだビジネスライクな笑みを浮かべた。だが、そこで美浜は、思いもよらない言葉を口にする。
「まずは、ホテルに行こう。──コーヒーなら明日の朝でいい」
「は……?」
俺が意味を取り違えているのか、それとも誰かと勘違いしているのか。なんと答えたらいいのかわからずに、俺は唇を戦慄かせるしかなかった。美浜は俺の手を取って立ち上がると、俺の背中に腕を回した。
熱い体温と微かなフレグランスの香り。
俺は、抱き返すこともできずに硬直するしかない。
「一ノ瀬、ついて来い」
ついて来い、と言われましても。
泥酔して、足元も覚束ないのは美浜の方なのだが。
仕方なく俺は、美浜に聞いた。
「タクシー代はありますよね」
「もちろんだ」
それなら、言うことはない。
タクシーも、この際ホテル代も奢らせてやる。
俺はもう一度、美浜をベンチに座らせてからタクシーを止めた。
どこのホテルがいいかとタクシードライバーに聞こうとしたところ、美浜は偉そうに足を組んでから言った。
「サーントル東京まで」
ここから恐らくタクシーで30分、宿泊代は一人2桁を下らないホテルだ。
ドライバーは心得たとばかりに頷いて走り出したが、俺は気が気じゃない。
この酔っぱらいは本当に金を持っているのだろうか。
「そう心配するな。金ならある」
まるでこっちの心を読んだように鼻で笑い、俺にハンカチを手渡してきた。
「眼鏡、曇っているぞ」
「あ、はい」
俺はハンカチで眼鏡を拭き、腕を組んで目を瞑る美浜を横目で見た。
どうやら、また眠りについたらしい。
こうして俺は、酔っ払い美浜部長にテイクアウトされた。
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