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ep.05 沈黙は金
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それから金曜日までは、スケジュールを詰めすぎて、文字通り忙殺されていた。
吉田と一緒にスーパーのチェーン店にも足を運び、会社に戻ってはデータを打ち込んでいた。
「一ノ瀬、オレの分も手伝ってくれよ……」
「わかったから、情けない声を出すな」
パソコンに向かってマウスを操作していると、吉田は俺の方へと身を乗り出してきた。
「マジか! 助かる~!」
吉田がデスクワークが苦手なことは知っている。
だが、その分、外回りは大得意だ。
ここは持ちつ持たれつ。俺がやれることなら協力する。
そうでもしなければ、「からり晴れ」を売ることはできない。
「ファイル寄越せよ」
俺は、吉田からファイルを受け取り、中を確認した。
「は? なんだこれ。何年前のデータを置いてるんだ?」
「いやあ、整理しようとは思ってたんだけどさあ。つい」
呆れたことに、ファイルの中はごちゃごちゃだ。
せめて、案件ごとにまとめろと思うのに、それすらもできていない。
「わかった。とりあえず、今のデータだけでもきれいにしとく」
「ありがとう。ほんと、頭が上がらねえよ」
「頭は下げてていいから、ランチを奢ってくれ」
3万の痛手はまだ被ったままだ。
ここのところ、うどんばかりで飽きてきている。
「いいぜ。何でも奢ってやる」
「……何でも?」
「鰻とかは勘弁してくれよ?」
そうして、久しぶりに豪華で美味しい定食にありつき、午後からは活力に満ちて仕事ができた。
「いやあ、こんなんでデータ整理してもらえるのなら、もっと早く頼めば良かったよ」
「甘えんな。それに、ランチ1食とは言ってない」
「は!? 嘘だろ!?」
実際は嘘なんだが、これくらい言っておかないと調子に乗りそうだ。
そうやって、日々営業に歩いていると、ビジネス街の中にある例のホテルの前を頻繁に通った。
これまでは、自分に縁のない場所だとまったく気にしたことはなかったが、こうして見上げると本当にすごいところだ。都内の一等地にそびえる、外資系のラグジュアリーホテル。日本の3都市にだけではなく、もちろん世界の有名都市にもある。
こんなところに俺は、既に2泊したのだ。
しかも、金曜日には、更に1泊することが決まっている。
そう考えると、美浜はやはり俺とは違う。
寒さに震え、暑さに溶けそうになることもなく、オフィスビルの高層階の執務室で、部下に命じて仕事をするような人なのだ。
なぜそんな人と、こんなことになっているのだろう。
俺は、自分が今置かれた状況を、ホテルを見る度に思い出した。
だが、感傷に浸っている場合じゃない。
俺には、金曜日までにやるべきことがたくさんある。
先を急ぐ吉田を追いかけ、俺は次の訪問先に向かった。
金曜日は、あいにくの雨模様だった。
傘を差しても、ズボンの裾や靴下まで濡れてしまうような雨で、ハンカチも追いつかない。
「まいったな」
「アポ取ったとこ回ったら、今日は終わりにすっか」
さすがにこの格好で、飛び込み営業は無理だろう。
俺は、吉田と会社に戻り、今後の予定について確認し合った。
「やっぱり、ここは押さえといた方がいいだろうな」
「でもそうすると、大阪の本社まで行く必要がある」
企業をリストアップして、戦略について決めていき、日程を調整した。
「課長にも相談しないと」
「白石部長にも、聞くことになるよなあ」
吉田は、面倒そうに天井を見上げた。
それはわかる。うちの課長はまだ話がわかる方だが、白石はそうはいかない。
また、出張費を出し渋るに決まっている。
「まあ、相馬薬品の社長よりはマシだろ」
「ハハ、それは言えてる」
相馬薬品の社長には、お互い痛い目を見ていた分、そこで笑い合った。
終業時間が過ぎていたが、来週のミーティングの用意もしておく。
これで、やるべきことは終わりだ。
あとは──。
そろそろ、向こうも行く準備をしている頃だろうか。
もしかしたら、もう先に着いているかもしれない。
そこまで考えたところで、俺はまだ靴下がずぶ濡れなのに気が付いた。
「せめて、これくらいは替えておくか」
俺は、途中のコンビニで靴下を買って履き替えて、それから例のホテルに向かった。
ビルのエレベーターに乗る頃には、靴下だけじゃなくスーツも着替えてくるべきだったかと思えてくる。何しろ身につけているのは、着古した吊るしのスーツだ。セミオーダーかオーダーメイドのスーツばかりのホテルでは、悪目立ちするに違いない。
エレベーターはフロント階に着き、俺はデスクに近付いた。
すると、スタッフは何やら聞き取れない速さで話し出した。
途中まで聞いて、英語だと気付いた俺は、慌てて自分の名前と用件を日本語で伝える。
「失礼いたしました。スペアキーをお預かりしております」
そう言って、渡された封筒には、カードキーと共に部屋番号が書いてあった。
「ありがとうございます」
見てみると、前回泊まった部屋と同じところだ。
俺は、エレベーターにカードを翳して乗り込み、美浜の待つ部屋に行った。
カードキーがあるから、もちろんそのまま入ることもできるが、一応ここはチャイムを鳴らそうとボタンを押してみる。
ドアの外ではまったく聞こえないが、中では鳴っているのだろうか。
そのまま、ドアの前で立っていると、30秒ほどしてから内側に向かって開く。
中から顔を出したのは、バスローブ姿の美浜だった。
「遅かったな。どうぞ」
「あ、はい」
てっきりスーツ姿のままだと思っていた俺は、一気に緊張した。
だが、何をするかは明白で、それならシャワーを浴びていたって良いはずで。
俺は、ぎこちなく頭を下げてから、部屋の中へと入った。
すれ違った美浜からは、シャンプーの香りがしている。
このホテルのアメニティなのか、俺の知っている美浜の香りとは違う。
吉田と一緒にスーパーのチェーン店にも足を運び、会社に戻ってはデータを打ち込んでいた。
「一ノ瀬、オレの分も手伝ってくれよ……」
「わかったから、情けない声を出すな」
パソコンに向かってマウスを操作していると、吉田は俺の方へと身を乗り出してきた。
「マジか! 助かる~!」
吉田がデスクワークが苦手なことは知っている。
だが、その分、外回りは大得意だ。
ここは持ちつ持たれつ。俺がやれることなら協力する。
そうでもしなければ、「からり晴れ」を売ることはできない。
「ファイル寄越せよ」
俺は、吉田からファイルを受け取り、中を確認した。
「は? なんだこれ。何年前のデータを置いてるんだ?」
「いやあ、整理しようとは思ってたんだけどさあ。つい」
呆れたことに、ファイルの中はごちゃごちゃだ。
せめて、案件ごとにまとめろと思うのに、それすらもできていない。
「わかった。とりあえず、今のデータだけでもきれいにしとく」
「ありがとう。ほんと、頭が上がらねえよ」
「頭は下げてていいから、ランチを奢ってくれ」
3万の痛手はまだ被ったままだ。
ここのところ、うどんばかりで飽きてきている。
「いいぜ。何でも奢ってやる」
「……何でも?」
「鰻とかは勘弁してくれよ?」
そうして、久しぶりに豪華で美味しい定食にありつき、午後からは活力に満ちて仕事ができた。
「いやあ、こんなんでデータ整理してもらえるのなら、もっと早く頼めば良かったよ」
「甘えんな。それに、ランチ1食とは言ってない」
「は!? 嘘だろ!?」
実際は嘘なんだが、これくらい言っておかないと調子に乗りそうだ。
そうやって、日々営業に歩いていると、ビジネス街の中にある例のホテルの前を頻繁に通った。
これまでは、自分に縁のない場所だとまったく気にしたことはなかったが、こうして見上げると本当にすごいところだ。都内の一等地にそびえる、外資系のラグジュアリーホテル。日本の3都市にだけではなく、もちろん世界の有名都市にもある。
こんなところに俺は、既に2泊したのだ。
しかも、金曜日には、更に1泊することが決まっている。
そう考えると、美浜はやはり俺とは違う。
寒さに震え、暑さに溶けそうになることもなく、オフィスビルの高層階の執務室で、部下に命じて仕事をするような人なのだ。
なぜそんな人と、こんなことになっているのだろう。
俺は、自分が今置かれた状況を、ホテルを見る度に思い出した。
だが、感傷に浸っている場合じゃない。
俺には、金曜日までにやるべきことがたくさんある。
先を急ぐ吉田を追いかけ、俺は次の訪問先に向かった。
金曜日は、あいにくの雨模様だった。
傘を差しても、ズボンの裾や靴下まで濡れてしまうような雨で、ハンカチも追いつかない。
「まいったな」
「アポ取ったとこ回ったら、今日は終わりにすっか」
さすがにこの格好で、飛び込み営業は無理だろう。
俺は、吉田と会社に戻り、今後の予定について確認し合った。
「やっぱり、ここは押さえといた方がいいだろうな」
「でもそうすると、大阪の本社まで行く必要がある」
企業をリストアップして、戦略について決めていき、日程を調整した。
「課長にも相談しないと」
「白石部長にも、聞くことになるよなあ」
吉田は、面倒そうに天井を見上げた。
それはわかる。うちの課長はまだ話がわかる方だが、白石はそうはいかない。
また、出張費を出し渋るに決まっている。
「まあ、相馬薬品の社長よりはマシだろ」
「ハハ、それは言えてる」
相馬薬品の社長には、お互い痛い目を見ていた分、そこで笑い合った。
終業時間が過ぎていたが、来週のミーティングの用意もしておく。
これで、やるべきことは終わりだ。
あとは──。
そろそろ、向こうも行く準備をしている頃だろうか。
もしかしたら、もう先に着いているかもしれない。
そこまで考えたところで、俺はまだ靴下がずぶ濡れなのに気が付いた。
「せめて、これくらいは替えておくか」
俺は、途中のコンビニで靴下を買って履き替えて、それから例のホテルに向かった。
ビルのエレベーターに乗る頃には、靴下だけじゃなくスーツも着替えてくるべきだったかと思えてくる。何しろ身につけているのは、着古した吊るしのスーツだ。セミオーダーかオーダーメイドのスーツばかりのホテルでは、悪目立ちするに違いない。
エレベーターはフロント階に着き、俺はデスクに近付いた。
すると、スタッフは何やら聞き取れない速さで話し出した。
途中まで聞いて、英語だと気付いた俺は、慌てて自分の名前と用件を日本語で伝える。
「失礼いたしました。スペアキーをお預かりしております」
そう言って、渡された封筒には、カードキーと共に部屋番号が書いてあった。
「ありがとうございます」
見てみると、前回泊まった部屋と同じところだ。
俺は、エレベーターにカードを翳して乗り込み、美浜の待つ部屋に行った。
カードキーがあるから、もちろんそのまま入ることもできるが、一応ここはチャイムを鳴らそうとボタンを押してみる。
ドアの外ではまったく聞こえないが、中では鳴っているのだろうか。
そのまま、ドアの前で立っていると、30秒ほどしてから内側に向かって開く。
中から顔を出したのは、バスローブ姿の美浜だった。
「遅かったな。どうぞ」
「あ、はい」
てっきりスーツ姿のままだと思っていた俺は、一気に緊張した。
だが、何をするかは明白で、それならシャワーを浴びていたって良いはずで。
俺は、ぎこちなく頭を下げてから、部屋の中へと入った。
すれ違った美浜からは、シャンプーの香りがしている。
このホテルのアメニティなのか、俺の知っている美浜の香りとは違う。
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