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第一章 召喚
王家の色
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からりと晴れたその日。
僕は、馬車で王都郊外の穀倉地帯に視察のため訪れていた。
国に税として納める作物ではなく、王族に献上される麦を見る。
「どうぞ。足元にお気をつけて」
馬車の扉が開き、ステップを踏む僕に護衛が手を差し伸べてきた。
僕はその手を取って馬車から降り、目の前に広がる畑を目にした。
一面に広がる麦畑。
風に揺れるそれは、まだ緑色をしている。
「……きれい」
去年見た時と同じ光景であるはずなのに、僕はつい感嘆の声を上げてしまう。
秋になれば黄金色に変わる麦だけれど、僕はどちらの色も好きだった。
夏の麦は、王家の瞳の色。
秋の麦は、王家の髪の色。
子供の頃は、王子であるのだから、いつかは僕の髪と瞳も麦の色になるのだと信じていた。
でも今は、色が変わらないとわかっている。
王族に連なる僕は、王家の容姿では生まれなかった。
同じ父と母のもとに生まれた兄も姉も、みんな麦の色だというのに。
僕だけが、異なる色合いをしている。
麦を見ていると、その現実を突きつけられて、今は素直に好きだと思えない。
僕はどうして、麦の色に生まれなかったのだろうか。
「エスティン殿下、いかがでしょうか」
辺境伯に促されて、僕は我に返る。
感傷に浸っている場合じゃない。
僕は視察に来たのだから。
「とてもよく育っていますね。美しい光景です。収穫まで滞りなく終わるよう祈ります」
「ありがとうございます。エスティン様」
僕の言葉は、辺境伯を通して農民に伝えられた。
その場にいた農民は、感極まったように地面にひれ伏した。
「王子様に祈っていただけたのです。豊作間違いなしです」
大げさなと思わなくもないけれど、彼らにとって王族は神にも等しい。
僕も末席にいると認められた気がして、胸の奥がちりっと痛む。
僕も自分の力を信じたい。
王族の血を引いた者として、何かできればいいと感じる。
その後も、辺境伯と農民と共に、穀物庫や農具の鍛冶屋を見て回った。
「エスティン様がいらした」
「さすがは、国の至宝。お美しい」
ひそひそと話す声が聞こえてきて、僕は思わずそちらを見た。
汚れた農作業着を身に着けた年配の男女が、拝むように手を合わせている。
なぜ僕を国の至宝と呼ぶのか、よくわからない。
だが、どこに行っても僕は口々にそう言われている。
──我が国の至宝。
──美の化身。
美しいというのは、兄たちならわかる。
僕に向けられた言葉というのが信じがたい。
僕は、顔が強張るのを自覚して、手を上げて声に応えるだけにした。
農民たちは喜びの声を上げ、帰り際には僕の乗った馬車にいつまでも手を振り続けていた。
視察は昼前には終わったが、城に戻った頃には日が暮れかけていた。
さすがに穀倉地帯は遠い。王都の外れとはいえ、城から距離がある。
ようやく馬車から降りて、僕は食堂に向かう。
遅い昼食か、早めの夕食なのか。
どちらが出てくるかと思ったら、麦で作ったパンだった。
「昨年の献上品の麦です」
これで締めくくるというわけか。
僕は、パンをちぎって口に入れて、しっかり味わった。
実際に視察してから食べるパンは、やっぱり格別だ。
僕は、すべて食べると、食堂から前庭に出た。
今日は時間もあまりないため、塔に行くことはない。
部屋で本を読むかと考えたが、その前に花が見たくなった。
たしか、そろそろカトゥーレの花が咲くと庭師が言っていた。
僕が、その一角の方へと歩いていくと、花畑の向こうに黒衣の男の姿が見えた。
腰には白金の剣を佩き、嵌めている手袋は衣と同色の漆黒だ。
髪色や瞳の色も相俟って、まるで闇から生まれ出でたように見えてしまった。
これが、この国を照らす光の勇者だなんて、やっぱり信じられない。
踵を返して部屋に帰ろうと思ったが、その前に向こうも僕に気付いたようだ。
大股でこちらの方へ向かって来られて、僕は動揺していた。
普通、王族には距離を持って接するものだ。
場合によっては、直接口を利かないこともある。
それなのに、レイは手を伸ばせば触れられるほどの距離まで詰めてきた。
思わず後退りしそうになったが、何とか踏みとどまる。
表情がはっきり見られる近さまで来ると、レイは言った。
「今日は夜着じゃないんだな」
こんな時間から夜着でいるわけがない。
あの夜のことを当て擦っているのだと感じて、僕は返事をしなかった。
「あれも似合っていたけど、今の服装もいい。王子らしい」
王子らしい?
奇妙な言い回しだと思ったが、ここも無言で通した。
すると、レイは軽く肩を竦めた。
「悪かった」
何の件に対する謝罪なんだろうか。
非礼が多すぎて、どれかわからないくらいだ。
しかも、その後は言葉を続けようとしない。
これでは、謝罪を受け入れることもできないじゃないか。
二人の間に沈黙が降り、気まずい間が生じた。
このままでは一言も発さずに辞すことになるが、挨拶くらいはするべきか。
社交辞令の一つでも言おうとしたところで、レイは先に口を開く。
「仲直りしないか?」
仲直り?
それではまるで、一度でも仲の良かった期間があるみたいだ。
僕たちは、出会った瞬間から険悪だったというのに。
だから僕は、表情を変えずに静かに答えた。
「仲違いしているわけではないのでは」
僕と親睦を深めたいという意味なら願い下げだ。
そう思いながら見つめていると、レイは首を傾げる。
「お前には、先日剣を向けられた気がするが、あれは仲違いではないのか」
「ええ、単なる警告ですので」
本来であれば、あのまま切りつけてもいいくらいだった。
衛兵が来なければ、もっと言ってやった。
これで必要最低限の言葉は交わした。
話を切り上げようとタイミングを計っていると、レイはもう一歩僕の方へ近付いてくる。
「少しは歩み寄ってくれないか?」
それは、物理的な意味ではないだろう。
レイの態度は、これまでとは違っている。
あんなに傍若無人に振舞っていたというのに、今は下手に出ている。
一体、どんな心境の変化だろう。
それとも、何か魂胆があるのか。
不可解に思っていると、レイは黒い手袋を脱ぎ、手を差し出してきた。
僕は、馬車で王都郊外の穀倉地帯に視察のため訪れていた。
国に税として納める作物ではなく、王族に献上される麦を見る。
「どうぞ。足元にお気をつけて」
馬車の扉が開き、ステップを踏む僕に護衛が手を差し伸べてきた。
僕はその手を取って馬車から降り、目の前に広がる畑を目にした。
一面に広がる麦畑。
風に揺れるそれは、まだ緑色をしている。
「……きれい」
去年見た時と同じ光景であるはずなのに、僕はつい感嘆の声を上げてしまう。
秋になれば黄金色に変わる麦だけれど、僕はどちらの色も好きだった。
夏の麦は、王家の瞳の色。
秋の麦は、王家の髪の色。
子供の頃は、王子であるのだから、いつかは僕の髪と瞳も麦の色になるのだと信じていた。
でも今は、色が変わらないとわかっている。
王族に連なる僕は、王家の容姿では生まれなかった。
同じ父と母のもとに生まれた兄も姉も、みんな麦の色だというのに。
僕だけが、異なる色合いをしている。
麦を見ていると、その現実を突きつけられて、今は素直に好きだと思えない。
僕はどうして、麦の色に生まれなかったのだろうか。
「エスティン殿下、いかがでしょうか」
辺境伯に促されて、僕は我に返る。
感傷に浸っている場合じゃない。
僕は視察に来たのだから。
「とてもよく育っていますね。美しい光景です。収穫まで滞りなく終わるよう祈ります」
「ありがとうございます。エスティン様」
僕の言葉は、辺境伯を通して農民に伝えられた。
その場にいた農民は、感極まったように地面にひれ伏した。
「王子様に祈っていただけたのです。豊作間違いなしです」
大げさなと思わなくもないけれど、彼らにとって王族は神にも等しい。
僕も末席にいると認められた気がして、胸の奥がちりっと痛む。
僕も自分の力を信じたい。
王族の血を引いた者として、何かできればいいと感じる。
その後も、辺境伯と農民と共に、穀物庫や農具の鍛冶屋を見て回った。
「エスティン様がいらした」
「さすがは、国の至宝。お美しい」
ひそひそと話す声が聞こえてきて、僕は思わずそちらを見た。
汚れた農作業着を身に着けた年配の男女が、拝むように手を合わせている。
なぜ僕を国の至宝と呼ぶのか、よくわからない。
だが、どこに行っても僕は口々にそう言われている。
──我が国の至宝。
──美の化身。
美しいというのは、兄たちならわかる。
僕に向けられた言葉というのが信じがたい。
僕は、顔が強張るのを自覚して、手を上げて声に応えるだけにした。
農民たちは喜びの声を上げ、帰り際には僕の乗った馬車にいつまでも手を振り続けていた。
視察は昼前には終わったが、城に戻った頃には日が暮れかけていた。
さすがに穀倉地帯は遠い。王都の外れとはいえ、城から距離がある。
ようやく馬車から降りて、僕は食堂に向かう。
遅い昼食か、早めの夕食なのか。
どちらが出てくるかと思ったら、麦で作ったパンだった。
「昨年の献上品の麦です」
これで締めくくるというわけか。
僕は、パンをちぎって口に入れて、しっかり味わった。
実際に視察してから食べるパンは、やっぱり格別だ。
僕は、すべて食べると、食堂から前庭に出た。
今日は時間もあまりないため、塔に行くことはない。
部屋で本を読むかと考えたが、その前に花が見たくなった。
たしか、そろそろカトゥーレの花が咲くと庭師が言っていた。
僕が、その一角の方へと歩いていくと、花畑の向こうに黒衣の男の姿が見えた。
腰には白金の剣を佩き、嵌めている手袋は衣と同色の漆黒だ。
髪色や瞳の色も相俟って、まるで闇から生まれ出でたように見えてしまった。
これが、この国を照らす光の勇者だなんて、やっぱり信じられない。
踵を返して部屋に帰ろうと思ったが、その前に向こうも僕に気付いたようだ。
大股でこちらの方へ向かって来られて、僕は動揺していた。
普通、王族には距離を持って接するものだ。
場合によっては、直接口を利かないこともある。
それなのに、レイは手を伸ばせば触れられるほどの距離まで詰めてきた。
思わず後退りしそうになったが、何とか踏みとどまる。
表情がはっきり見られる近さまで来ると、レイは言った。
「今日は夜着じゃないんだな」
こんな時間から夜着でいるわけがない。
あの夜のことを当て擦っているのだと感じて、僕は返事をしなかった。
「あれも似合っていたけど、今の服装もいい。王子らしい」
王子らしい?
奇妙な言い回しだと思ったが、ここも無言で通した。
すると、レイは軽く肩を竦めた。
「悪かった」
何の件に対する謝罪なんだろうか。
非礼が多すぎて、どれかわからないくらいだ。
しかも、その後は言葉を続けようとしない。
これでは、謝罪を受け入れることもできないじゃないか。
二人の間に沈黙が降り、気まずい間が生じた。
このままでは一言も発さずに辞すことになるが、挨拶くらいはするべきか。
社交辞令の一つでも言おうとしたところで、レイは先に口を開く。
「仲直りしないか?」
仲直り?
それではまるで、一度でも仲の良かった期間があるみたいだ。
僕たちは、出会った瞬間から険悪だったというのに。
だから僕は、表情を変えずに静かに答えた。
「仲違いしているわけではないのでは」
僕と親睦を深めたいという意味なら願い下げだ。
そう思いながら見つめていると、レイは首を傾げる。
「お前には、先日剣を向けられた気がするが、あれは仲違いではないのか」
「ええ、単なる警告ですので」
本来であれば、あのまま切りつけてもいいくらいだった。
衛兵が来なければ、もっと言ってやった。
これで必要最低限の言葉は交わした。
話を切り上げようとタイミングを計っていると、レイはもう一歩僕の方へ近付いてくる。
「少しは歩み寄ってくれないか?」
それは、物理的な意味ではないだろう。
レイの態度は、これまでとは違っている。
あんなに傍若無人に振舞っていたというのに、今は下手に出ている。
一体、どんな心境の変化だろう。
それとも、何か魂胆があるのか。
不可解に思っていると、レイは黒い手袋を脱ぎ、手を差し出してきた。
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