【完結】媚薬に狂った僕を助けてくれた、あなたは誰ですか?

佑々木(うさぎ)

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第三章 答え

ファンテラ祭の裏と表

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 ファンテラ祭、当日。
 秋晴れのその日、僕たちは早朝から準備で大忙しだった。
 役者たちは衣装に着替え、台詞合わせをやっていて、僕たち裏方は舞台セッティングをしていた。

「お前には、あっちの方が似合っていたと思うがねえ」
「ほんとだよ。ペンキで汚れるなんて勿体ない」

 そう言われても、僕には役者が上で裏方が下という気持ちにはなれないし、僕が役者向きだとも思えない。セリフなんて大勢を前にしたらすぐ飛んでしまいそうだし、演技だってできるはずがない。
 スクールにいた時にも役者側にされそうになったけれど、練習段階で無理だとわかって、下ろされたことだってある。それなら、迷惑をかける前に、最初から辞退したほうがいい。

 大道具係は、粗方セッティングしてしまえば、開演までは僕たちの手を離れる。
 中心者数人残ればいいということで、手持ち無沙汰になった。
 特に僕のような非力な人間には、これ以上役に立てることはない。
 先輩方は祭りを見に行っていいと言っていたが、午後には開演なのに、遊んでもいられない。

 そうして、舞台の裏側で待ちぼうけを喰らうしかなくなっていると、廊下側でぼそぼそと声がした。どうやら何か問題が起きているようだと感じて、何の気なしに傍に行ってみる。
 すると、数人が固まって話し合っていた。
 僕を見かけると、先輩が振り返って肩を竦める。

「バルーン配りの手が足りないらしい」
「そんなの、前もってわかっていたこったろ」

 着ぐるみを着て、子供たちにバルーンを渡す。
 どうやらそういう役どころらしい。
 すぐにでも見つかりそうに思えるが、秋とはいえ着ぐるみの中は暑いらしく、誰もがその役をやりたがらないというのが実際のところのようだ。

「僕がやります」
「やるって……君、プリフェクトのノアだよな?」

 プリフェクトだとやってはいけないのかと思ったが、そういうことでもないらしい。

「ここは手が足りています。やらせてください」

 集まっていた人たちは顔を見合わせていたが、結局着ぐるみのところまで案内してくれた。

「これだよ。頭が大きいから、バランスが取りにくいんだ。気を付けてくれ」
「わかりました」

 着ぐるみ自体はうさぎの形をしていて可愛いが、確かに耳がある分、頭が重い。
 僕はよろよろしながら歩き、言われた通りに学校の外に出た。

 そこには既に来場者の姿があり、僕を見ると子供たちが駆け寄ってくる。
 僕はその子供たちにバルーンとプログラムを手渡す役らしい。

「うさぎさん、ありがとう」
「握手して~」

 中には抱き着いてくる子もいて、確かにこれは重労働だ。
 着ぐるみの中で汗を掻きながら対応に追われていると、不意に正門の辺りに見知った顔が現れた。

 ブラウンのくせ毛。昔からいつも好んで着ている臙脂色のスーツ。
 見間違いようがない。──僕の兄だ。
 隣にいるのは、元はファグだった兄の後輩の一人で、2人は寄り添って歩いている。
 仲睦まじい様子に、今更ながら二人の関係を知った。

 もしかしたらと思っていたが、やはりそういう関係だったのか。
 在学時代からか、それとも卒業してからそうなったのかはわからない。
 オールドボーイでもないこのデクスター・カレッジに、なぜ二人で揃って来たのかは知らないが、僕は衝撃でバルーンを渡すことも忘れてしまった。

「そろそろ交代するよ。暑いだろ?」

 着ぐるみを着た人がもう一人現れて、僕はその持ち場を離れた。
 暑くはない。むしろ指先から冷えていっている。

 どうして僕は、こんなに衝撃を受けているのか。
 これまでだって、先輩とファグが付き合っているところなんていくらでも見て来た。
 兄だからって、例外とは限らない。
 何がこんなに僕にとってショックなのか。

 なんとか休憩所に行って、僕は頭を取った。
 椅子に座ってぼんやりしていると、再び周りを囲まれた。

「君は、着ぐるみ姿でも可愛いね」

 そんなわけがない。
 髪だって乱れているし、今は笑顔になる元気もない。
 受け答えもできずにいると、背後から抱き着かれた。

「駄目駄目、この子は僕のファグだから。モーションをかけても無駄だよ」

 声の主は、ジョシュアだ。
 いつからそこにいたのか。
 ふわりと香水の匂いがして、その甘い香りが余計に僕を追い詰める。
 今すぐにでも振り払いたいと思ったが、身体に上手く力が入らない。

「僕のファグになりなよ。大切にするから」

 鼓膜に吹き込むように囁いたせいで、その拍子に耳朶に唇が当たる。
 ぞくりと背筋に何かが走り、身体が震えた。

「ジョシュア、何をしているんだ」

 誰かが止めに入り、僕からジョシュアを引き剥がす。
 ようやく熱が離れてホッとしていると、ジョシュアは言った。

「あなたもノア君のことが好きなんでしょう? 可愛い子がいたって喜んでいたしね」

 振り返った先にいたのは、マシュー先輩だった。
 焦ったような顔をして、ジョシュアの言葉を否定している。

「私のことは今はいい。それより、ノアの顔色が悪い」
「あ、ほんとだ。何か冷たいものでも飲んだ方がいい」

 ジョシュアは僕の腕を掴んで立たせようとしてきて、それにすらも怖気が立つ。

「僕のことはもう、放っておいてください」

 自分の声が情けなく上擦って、周囲に気付かれないかと頭を過ぎる。
 こんな時でも保身に走るなんて、自分でも自分が笑えてくる。

「放っておけないよ。このままだと、いつか君は餌食になる。──マックスたちのような人間は、まだまだいるんだから」

 後半は声を潜めてジョシュアは言う。
 その言葉に、僕はジョシュアを振り返った。

 この人は、知っているんだ。あの夜のことを。
 マックスが何をしたのか知っていて、匂わせているのだ。

 まさか、僕を助けてくれた人が、ジョシュアなのか?
 匂いが、香水のせいでわからないだけで、実際はジョシュアということもあり得るのか?

 息が苦しくなり、僕はジョシュアから一歩引いて、動けずにいた。
 すると、マシューが近付き、僕と目線を合わせる。

「ノア、酷い汗だ」
「……っ触らないで!」

 マシューが差し伸べてきた手を、僕はつい払い除けた。
 驚いたように見開かれたグレーの瞳。
 だが、僕にはもう取り繕うことはできなかった。

 着ぐるみの頭を手に、僕は休憩所から走って逃げた。
 途中でよろけたが、追いつかれたくなくて必死だった。
 振り返れば、誰も後ろをついては来ていない。

 僕はホッとして、立ち止まって頭を被った。
 校舎の周りには、僕意外にも着ぐるみを着ている人はいる。
 今のうちに頭を被れば、誰も僕だとはわからなくなる。

 僕は、気持ちを落ち着けて、もう一度持ち場へ戻った。

「交代します」
「ああ、頼むよ」

 僕はバルーンとプログラムを受け取り、再び子供たちに配り始める。

「僕にもちょうだい」
「わたしにもー」

 無言のまま手渡しているうちに、気持ちが落ち着いて来て、僕は自分のしでかしたことが気になった。
 あんなこと言うつもりもなかったし、僕の振る舞いはあまりに酷過ぎた。
 あとでマシュー先輩に謝らなくては。

 どう言えばいいのかと考えているうちに、自嘲の笑みが溢れた。
 もうこのまま、着ぐるみの中で過ごしていたい。

 すべて配り終え、とぼとぼと歩いていると、いつの間にか学校の裏手まで来てしまっていた。
 ルイと共に前に来た、あの林のあたりだ。
 こんなところにいたって仕方がないと思うのに、僕は小川のせせらぎを見ながらぼんやりと立ち尽くしてしまう。

 どう考えても、僕の態度は褒められたものじゃない。
 さっきのことは、着ぐるみのせいってことにすれば何とかなる。
 暑くて取り乱したのだと説明して、納得してもらおう。

 そうして、ようやく自分を取り戻して、再び校舎の中に戻ろうとしたところで、突然頭が木の枝にぶつかった。

「うわあっ」

 僕は仰け反ってしまい、慌てて体勢を立て直そうとして、今度は重みで前のめりになった。
 そのまま僕は前に倒れ、被っていた着ぐるみの頭はコロコロと転がっていってしまう。
 土に塗れ、痛みと情けなさに、ぽたぽたと涙が零れた。

 僕は一体、何をしているんだろう。
 自分を憐れんで泣くなんてと、涙を腕で拭うと土が目に入って余計に痛い。
 何度も瞬きを繰り返し、目の中から汚れを出そうとした、その時だ。

「大丈夫か」

 僕に声を掛け、そっと頭を撫でる手。

「目にゴミが入ったのか?」

 問いかけてくる、深みのある柔らかな声。
 衣擦れの音がして、僕の顎を指先が捉えた。
 その長い指先の、滑らかな感触。
 僕の顔を拭いてくれる、ハンカチの香り。
 拭き終えて離れていく手を、僕は思わず掴んだ。

 間違いない、この人だ。

 僕は何度か瞬きをしてから、相手を仰ぎ見た。
 木漏れ日に映えるハニーブロンド、どこまでも澄んだ蒼い瞳。
 僕の顔を見て、一瞬その目を瞠る。
 だが、すぐにいつもの落ち着いた表情に戻った。

 僕はその人を認めて、息を呑む。

 フェリル・オースティン。
 デクスター・カレッジの生徒代表が、そこにいた。
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