トゥナの手作りの国

藍条森也

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三章

合成生物の森(2)

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 「あ、キオ、見て」
 森のなかの小さな獣道。そのなかを歩いてるさなか、トゥナが足を止めてキオに呼びかけた。トゥナの視線の先、こんもり茂ったキイチゴの葉の上、そこに一体の小さな生き物がいた。大きさは手のひらに乗るほどで全体としてはカエルに似ている。でも、カエルではない。目が四つ、脚が六本あって、虹の七色に染めあげられた肉の膨らみが体中にあるカエルなどいるはずがなかった。まちがいなく、バイオハッカーによって作られた人造生物だ。
 「キオ、確認して。この生き物、リストのなかに載ってる?」
 言われてキオはネットにアクセスし、リストを検索した。膨大なリストが機械の脳のなかを流れ、目の前の小さな生き物と比較していく。検索は文字通り一瞬で終了した。数秒どころではない。それこそ、瞬きひとつ分の時間。それだけの時間で無数と言っていいリストをすべて調べ、比較することができるのだから、この辺りはさすがにロボットの能力というものだった。もっとも、かつてキオ自身が言ったとおり、脳のなかにネットと直結するちっぽけなチップを埋め込みさえすれば人間にもできることなのだが。
 「いや、リストにはないな」
 「そう。それじゃ新種と思っていいわね」
 『無責任な飼い主』による捨て子か、あるいは、『自然の多様性を増す』という使命感にあふれた確信犯の手になるものか、はたまた単なる不注意から逃げ出したのか。いずれにせよ、新しく自然のなかに解き放たれた新しい人造生物。そう思ってまちがいないだろう。
 トゥナはその小さな生き物にそっと手を伸ばした。
 「だいじょうぶだからね。逃げないで」
 優しくそう話しかけながら、トゥナは壊れやすい大切な宝物を包み込むようにしてその生き物を手に乗せた。もちろん、バイオハッカーの端くれとして未確認の人造生物の危険さは熟知している。素手でさわるような真似はしない。合成DNAから培養した人造皮膚による手袋を付けている。この人造皮膚はDNAをいじることによってウイルスに対する完全な耐性をもっている。この人造皮膚を身につけている限り、あらゆる感染症を防ぐことができる。
 ……当の人造生物にその耐性すらも打ち破る特殊なトラップが仕掛けられていない限りは、だが。
 トゥナはそのカエルに似た生き物をそっと両手で包み込んだ。生まれたときから農場の生き物たちとふれあって暮らしてきたためか、それとも、トゥナ自身の資質によるものか、トゥナは他の生き物に怖れられたり、逃げられたりと言ったことがほとんどなかった。普通なら人間を見るなり逃げ出すような警戒心の強い生き物でも、トゥナ相手ならおとなしくしているのだ。
 このカエルに似た生き物もそうだった。逃げ出すどころか、まるで母親に抱かれる赤ん坊のようにおとなしくトゥナの手のなかに収まっている。トゥナはそんな生き物にニッコリと微笑んだ。それはとても優しく慈愛にあふれた笑顔であって、キオに向ける苛立った表情とはきれいな対照をなしていた。
 ――おれにはそんな笑顔、向けないくせに……。
 キオがそう拗ねるのも無理のないちがいなのだった。
 トゥナは手順通り採集キットを取り出すとカエルに似た生き物の血液と皮膚の一部とを採取した。もちろん、きちんと治療することも忘れない。
 「キオ、この子の写真を撮って。それと、発見場所と日付の記憶を」
 「うん」
 キオは言われてカエルに似た生き物に目を向けた。ロボットなので眼球にカメラ機能ぐらいは付いている。いくつもの方向から写真を撮り、コンピュータ上で3Dモデルによる再現が可能にしておく。
 それから、言われたとおり、発見場所と日付び時刻とをメモリに刻み込んだ。この辺りはやはりロボットの便利さで、キオがいてくれるおかげで、トゥナはいちいち機材を持ち運んで自分の手で記録作業をしなくてすむ。
 無責任な飼い主による捨て子、自然の多様性を増すという使命感に燃える確信犯、単なる不注意、理由は様々だが日々、新しい人造生物が自然のなかに解き放たれている。本来、それらを取り締まるべきは治安維持を担当する騎士団なのだが、しかし、騎士団は人の世の治安維持にいそがしく、そんなことに構っているだけの予算も人員もない。だから、トゥナのような有志が日々、家の回りを調査し、新種の人造生物やその生態をリストに追加し、全地球的な人造生物マップを作っている。
 これらはすべてボランティア活動なので一銭の得にもなるわけではないが、全世界何百万というバイオハッカーが自分たちの責務として自発的に行っている。
 「ごめんね、ありがとう」
 トゥナはそう言ってカエルに似た生き物を放した。カエルに似た生き物はやはりカエルのようにピョンピョン飛びはねながら森の奥に消えていった。
 「できることなら長生きしてね」
 トゥナはそう口にしようとして呑み込んだ。自然に解き放たれた人造生物が長生きすることがいいことかどうか、トゥナにはいまだにわからなかった。人造生物が増えると言うことはそれだけ、もともとの生物の住める場所が減ると言うことなのだから。
 ――もし、あたしが多様性信者ならこんな悩みとも無縁でいられるんだけど。
 そう思い、ため息をつく。
 「あの子、カエルのDNAをもとに作られた人造生物よね?」
 トゥナはキオに尋ねた。いかに技術が進歩した現代でもDNAをゼロから作りあげることはできない。合成DNAとは言え、それはすでに自然のなかにあるDNAを切り取り、貼り付け、新しく繋ぎ合わせることで作られる。つまり、どんな人造生物にも必ずその元となる自然のDNAはあるわけだ。
 もし、自然のなかに存在しない純粋な人造DNAが誕生したら……そのときはまさに地球生命の歴史に革命が起こる瞬間だ。かつてなく、しかも、決して後戻りすることのできない大革命が……。
 トゥナの問いにキオはうなずいた。
 「そうだね。そう思ってまちがいないと思う」
 キオはトゥナに拾われてからバイオハッキングに関するデータも丸ごと自分のメモリに入れてある。おかげで知識だけならトゥナ以上。推論もお手の物だ。
 この辺りはやはり便利だと思う。いちいち学び、知らないことを知るのは好きだし、楽しいけど、効率という点ではやっぱり、この方がずっといい。
 ――あたしもやっぱり脳にチップを埋め込もうかな。
 おばあちゃんの意には反することになるけど……そう思うトゥナだった。
 「これで、この森で発見された人造生物は何種目?」
 「過去五〇年からのデータによると、二八五三三種、個体数にして二九八八二体。明確な繁殖が確認された人造生物はゼロ。この一年で生存が確認された個体は三二五体」
 キオはスラスラと淀みなく答える。自分で調べる手間隙なしに簡単に答えが得られるのはやはり便利だ。
 トゥナはキオを見直した。同時に『さっきはちょっと言い過ぎたかな』と反省した。臆病でときにうんざりするほどの心配性だけど、キオはやはり頼りになるパートナーだ。
 二九八八二体中、生き残っているのは三二五体。とすれば、人造生物の生存率は極めて低いと言える。しかも、繁殖が確認された例はゼロ。これだけを見れば『人造生物が自然の生態系を乱すことはない』というバイオハッカーたちの言い分が正しいように見える。
 『しょせん、研究室で作られた人造生物は何十億年という時の試練をくぐり抜けてきた自然生物に比べてずっとひ弱だ。生存競争に勝ち抜いて自然生物を滅ぼすなんてできやしない。そんな心配は無意味だ』
 しかし、この個体数が実際のものであるはずがない。キオがトゥナと共に人造生物の調査に参加するようになってまだ一年。過去のデータこそトゥナやトゥナの祖母が集めてきたデータを読み込むことで充実しているが、自ら調査している日数は少ない。実際に死亡していると言うより、単に出会えていないだけというのが正解だろう。
 何しろ、人造生物のほとんどは手のひらサイズよりも小さい。細菌やウイルスであることもめずらしくない。奥深い森のなかなら隠れる場所はいくらでもある。いまだ見つかっていない木のうろや穴のなかで、いまだ見つけていない未知の人造生物が繁殖していたとしてもまったくおかしくはない。そして、それは、世界を滅ぼしうる凶悪なウイルスかも知れないし、昔のマンガによく出てくるような、体こそ小さいけれど人間以上の知力と超能力をもち、人類征服を目指す怪物であるかも知れない……。
 背筋を寒いものが走り抜けた。ブルッと身を震わせた。トゥナはかぶりを振ってそのSF染みた妄想を振り払った。
 ――バカバカしい。そんなことがあるわけないじゃない。
 昆虫サイズの脳に人間以上の知力をもたせたり、生物に超能力を付け加えたり、そんなことは実現はおろか、可能性のとば口さえ見えていない。もし、ほんのわずかでも可能性を見出していたら今頃、大威張りでネットにあげられている。それを目指して研究しているバイオハッカーが大勢いるのだから。
 「さあ、キオ。調査をつづけるわよ」
 「ええ、まだ⁉ もう二時間は歩いたじゃないか。早く帰ろうよ、エネルギーが……」
 「たったの二時間でしょ! まだ片脚分のエネルギーも使ってないじゃない」
 「でも……」
 「ああ、もういい!」
 ――やっぱり、こいつヘタレ!
 トゥナは頭から湯気を立ててズンズン森の奥深くに進んでいくのだった。
 「トゥナ、もう四時間だよ。片方のエネルギーボンベはもう空っぽだ。早く帰ろう」
 「交換すればいいでしょ。何のために山ほど予備のボンベをもってきてるのよ」
 「そんなこと言ったって、いつもはせいぜい三時間じゃないか。早く、ブリュンヒルト号を呼んで帰ろう」
 確かに、いつもよりずいぶんと遠出してしまっている。キオのあまりに情けない態度に腹が立ったのでついつい引きずり回してしまった。奥深い森のなか。肉食動物だって当然いる。解き放たれた人造生物のなかにはどんな野生生物よりも危険なものもいる。女ひとりとロボット一体――それも、役立たずで心配性のヘタレロボット――のふたりだけで何時間も歩きまわるのは避けた方がいいのはまちがいない。
 ――確かに、今日はちょっとムキになっちやったわね。もちろん、ヘタレのキオが悪いんであってあたしのせいじゃないけど。
 そう思うトゥナだった。
 ――でも、そろそろ夕方だし、夜中の森を歩くのは危険が大きすぎる。そろそろ、ブリュンヒルト号を呼んで帰る頃合いかもね。
 端末をちょっと操作すればブリュンヒルト号とはいつでも連絡が付く。ブリュンヒルト号のなかには詳細な森の地図が記録されているので、どこにいてもすぐに迎えにきてくれる。
 もし、この場でブリュンヒルト号を呼び寄せ、帰っていたら、トゥナの日常は何の変わりもなくつづいていた。ところが、トゥナはどうしたわけか、もうしばらく進んでみることにした。いままで行ったことのない遠くへと。それがトゥナの人生を変えることになるとはもちろん、本人にもまったくわかっていなかった。
 先にそれを見つけたのはキオだった。すでに夕暮れ時。背の高い木々に囲まれた森のなかは暗くなるのも早い。その薄暗いなかでは人間の目よりロボットの目の方が役に立つ。
 それは最初、こんもりした茂みのように見えた。うっそうとした木立に囲まれ、下生えひとつない森のなかに突如として現れた灌木の茂み……。
 そうではなかかった。下生えと言うには、それはあまりにカラフルすぎた。前半分はオレンジ色で後ろ半分は白い。こんな茂みがあるわけがない。と言って、自然の生物にもこまでカラフルなものは存在しないはず。とすると、また新しい人造生物か?
 キオは目の機能をズームにしてそれを確かめた。驚きの声をあげた。
 「人間だ!」
 言われてトゥナもキオの視線の先を見た。そこには確かに人間がいた。それもまだ小さい。小さい子供がひとり、森のなかに倒れているのだ。ピクリともしている様子がない。
 「大変!」
 トゥナは叫んだ。走った。倒れている小さな人影に駆けよった。
 「ま、まってよ、トゥナ!」
 キオはあわてて後を追った。あわてて後を追いながらもへっぴり腰なのがキオらしい。
 トゥナは倒れている人影の側にしゃがみ込んだ。両手で助け起こした。その途端――。
 ドクン。
 心臓の奥で高い音が鳴った。一瞬、着ているものを引きはがし、むしゃぶりつきたい衝動に駆られた。
 そこに倒れていたのはそれほど美しい女の子だった。歳の頃は一〇歳ぐらい。艶のある黒髪に陶器のような白い肌。手も足も折れるように細く、それでいて貧弱と言うことはない。そのバランスは奇跡と言う他ない。オレンジ色のシャツをまとい、白いパンツをはいている。気を失っているらしく目は閉じたままだったが、それでも、『人間の顔とはここまで美しく造形できるものなのか』と感嘆させる美貌はハッキリとわかった。もし、これで目を開けたらどんなに魅力的だろう……。
 ――〝美しいヒト〟だわ。
 その磁場めいた魅力にトゥナは確信した。
 ――〝美しいヒト〟。
 『美を極める』という目的のために合成されたDNAから作られた人造人間。トゥナはそのことを知っていた。そして、〝美しいヒト〟が何の目的のために作られるかと言うことも……。
 「キオ!」
 トゥナは叫んだ。
 「すぐにブリュンヒルト号を呼んで! それから、一馬に連絡して。すぐにうちにくるようにって」
 「えっ? 一馬ってあの騎士団の?」
 「そうよ、早く!」
 「ちょ、ちょっとまってくれよ! まさか、その子をうちに連れて帰るつもりなのか?」
 「当たり前でしょ!」
 「や、やめようよ、その子は〝美しいヒト〟じゃないか。〝美しいヒト〟が何の目的で作られるか知ってるだろ? その子ひとりのはずがない。絶対、追ってる奴がいる。連れ帰ったりしたら揉め事に巻き込まれる……」
 キッ、と、トゥナはキオを睨み付けた。生気に富んだ大きな瞳が本気の怒りを宿している。
 「ふざけないで! その目的を知っていて見捨てようって言うの⁉ それも、こんな小さな女の子を。捕まったらどんな目に遭わされるかぐらいわかるでしょ、それを見捨てようなんて、それでも人の心をもっているの⁉」
 「で、でも……」
 キオは睨まれて、見るからにオタオタしていた。反対したいけどトゥナの怒りに気圧されてまともに答えることもできない。
 その態度がさらにトゥナの怒りに火を注いだ。
 ――自分が正しいと思ったら貫けばいいでしょ! それなのに、まともに言い返すこともできないなんて。このヘタレ!
 「ああ、もういい! あなたには頼らないわ」
 トゥナは吐き捨てると自分でブリュンヒルト号を呼び、騎士団に連絡した。このとき、トゥナはまだ知らなかった。自分が後戻りできない世界へと足を踏み入れたことに。
 これが、トゥナとアネモネの出会いだった。
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