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静かな波乱──『煙に巻かれた陰謀』
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──私たちが見ている現実の裏には、いつももう一つの真実が静かに息づいている。
それが今、何かを伝えようとしているようだった。
バリガ氏が深い沈黙のあと、落ち着いた声で口を開く。
「……これは、引き分けだ」
その短い一言が、広間の緊張をふっと緩めた。伯爵はゆっくりと頷き、バリガ氏の判定に納得の表情を浮かべていた。
「双方とも甲乙つけ難い素晴らしいマリアージュだった。まさに芸術と呼ぶにふさわしい」
「なるほど……確かに、どちらも見事だった。納得のいく判定です」
「うんうん、よくやったなクロード!見事な……」
横で男爵様が嬉しそうに口を開きかけるが、ちらりとティタ嬢と伯爵の静かな表情を見てすぐに言葉を呑み込んだ。アトラもまた、穏やかな微笑みで私を見守っていたが、場の空気を敏感に感じ取ったのか、余計な言葉は発さなかった。
男爵様は、気まずそうに椅子の背に寄りかかり直した。私はその顔を横目で見ながら、小さく微笑む。褒められるのはありがたいが、今この場で誇られるのは少しばかり苦い。
その時、沈黙を破ったのはやはりこの男だった。
「おいおい、引き分けかよ。随分と面白くねぇ結末だな。拳で殴り合って決めたらどうだ?」
アポロが冗談めいた調子で声を上げる。
だがその笑みの奥にある何かが、誰の目にも引っかかっていた。少なくとも、私の胸の奥には妙な予感が静かに波紋を広げていた。
そしてその直感は、すぐに形となって現れる。
広間の扉が唐突に開かれた。軽やかだが、迷いのない足音。その主は、騎士団長ウィルだった。普段の穏やかな表情はなく、引き連れた部下たちとともに彼はただ、まっすぐアポロに視線を向けていた。
「失礼。公務でお邪魔させていただきます」
口調は硬いが、無礼ではない。しかし明らかに厳しい色を帯びていた。ウィルは、まるで無数の糸を見極めるような瞳で、広間をゆっくりと見渡す。
「アポロ。君の経営するサロンで、違法薬物が見つかった。また、王都内にて複数の女性の行方が分からなくなっている。君に、その件で事情を伺いたい」
誰も声を出さなかった。空気が一瞬にして凍りついたように思えた。
しかし。
「ほう。そりゃまた……大ごとだな」
アポロは、どこまでも飄々としていた。ポケットから煙草を取り出し、丁寧に火をつける。その仕草は緩やかで、一分の迷いもない。立ち昇る煙は、どこか涼しげで、薄笑いを纏っていた。
「濡れ衣だぜ、ウィル。俺がそんなマヌケに見えるか?」
ウィルの表情は動かない。ただ、淡々と視線を落としたまま一言。
「見えるかどうかではなく、見つかったのです。証拠があります」
バリガ氏がその隣から進み出る。
「亞片という証拠があるにも関わらず、ずいぶんと図々しい態度だな」
アポロの口元から煙がふっと抜ける。その表情に焦りはなかった。むしろ、どこか愉快そうにすら見える。
「怖い話だな。まあ、俺としては、心当たりは一切ないが」
その言葉に、バリガ氏が鋭く言い放つ。
「王都の平和のためだ。徹底的に尋問をしてほしい。吐かなければ殺しても構わない」
伯爵の表情が厳しくなり、ティタ嬢は顔を背ける。その中で、アポロだけがまるで他人事のように笑っていた。
「おいおい、怖いこと言うじゃねえか、名士サマ。まあいいさ、やれるもんならやってみな」
アポロは余裕の表情を崩さず、ゆっくりと私の方に視線を向けた。その瞳が私を捕らえる。
「後はよろしく頼むぜ、クロード」
そう言って、軽くウィンクをしてみせた。
その瞬間、私の中に奇妙な確信が生まれる。
──彼は、計算している。
これは偶然ではない。全てを分かった上で、自ら炎の中に足を踏み入れている。そうでなければ、あの余裕は説明がつかない。
ウィルが指示を出し、部下たちがアポロの両腕を掴む。アポロはそれを拒まない。ただ、煙草を咥えたまま軽く笑う。
「丁寧に扱ってくれよ。俺、意外と繊細なんだから」
その冗談めいた言葉とともに、彼は連行されていった。扉の向こうへと消えるその背中は、不思議と大きく見えた。
残された私は、その背中に託された言葉の意味を静かに反芻していた。
アポロの行動、バリガ氏の態度、ウィルの言葉。その全てが絡まり合い、複雑な糸を織りなしている。
今、その糸を解く役目が、他ならぬ私自身に託されたのかもしれない
──後はよろしく頼むぜ、クロード。
まるで物語の主人公が、次章を私に委ねていったかのような響きだった。
それが今、何かを伝えようとしているようだった。
バリガ氏が深い沈黙のあと、落ち着いた声で口を開く。
「……これは、引き分けだ」
その短い一言が、広間の緊張をふっと緩めた。伯爵はゆっくりと頷き、バリガ氏の判定に納得の表情を浮かべていた。
「双方とも甲乙つけ難い素晴らしいマリアージュだった。まさに芸術と呼ぶにふさわしい」
「なるほど……確かに、どちらも見事だった。納得のいく判定です」
「うんうん、よくやったなクロード!見事な……」
横で男爵様が嬉しそうに口を開きかけるが、ちらりとティタ嬢と伯爵の静かな表情を見てすぐに言葉を呑み込んだ。アトラもまた、穏やかな微笑みで私を見守っていたが、場の空気を敏感に感じ取ったのか、余計な言葉は発さなかった。
男爵様は、気まずそうに椅子の背に寄りかかり直した。私はその顔を横目で見ながら、小さく微笑む。褒められるのはありがたいが、今この場で誇られるのは少しばかり苦い。
その時、沈黙を破ったのはやはりこの男だった。
「おいおい、引き分けかよ。随分と面白くねぇ結末だな。拳で殴り合って決めたらどうだ?」
アポロが冗談めいた調子で声を上げる。
だがその笑みの奥にある何かが、誰の目にも引っかかっていた。少なくとも、私の胸の奥には妙な予感が静かに波紋を広げていた。
そしてその直感は、すぐに形となって現れる。
広間の扉が唐突に開かれた。軽やかだが、迷いのない足音。その主は、騎士団長ウィルだった。普段の穏やかな表情はなく、引き連れた部下たちとともに彼はただ、まっすぐアポロに視線を向けていた。
「失礼。公務でお邪魔させていただきます」
口調は硬いが、無礼ではない。しかし明らかに厳しい色を帯びていた。ウィルは、まるで無数の糸を見極めるような瞳で、広間をゆっくりと見渡す。
「アポロ。君の経営するサロンで、違法薬物が見つかった。また、王都内にて複数の女性の行方が分からなくなっている。君に、その件で事情を伺いたい」
誰も声を出さなかった。空気が一瞬にして凍りついたように思えた。
しかし。
「ほう。そりゃまた……大ごとだな」
アポロは、どこまでも飄々としていた。ポケットから煙草を取り出し、丁寧に火をつける。その仕草は緩やかで、一分の迷いもない。立ち昇る煙は、どこか涼しげで、薄笑いを纏っていた。
「濡れ衣だぜ、ウィル。俺がそんなマヌケに見えるか?」
ウィルの表情は動かない。ただ、淡々と視線を落としたまま一言。
「見えるかどうかではなく、見つかったのです。証拠があります」
バリガ氏がその隣から進み出る。
「亞片という証拠があるにも関わらず、ずいぶんと図々しい態度だな」
アポロの口元から煙がふっと抜ける。その表情に焦りはなかった。むしろ、どこか愉快そうにすら見える。
「怖い話だな。まあ、俺としては、心当たりは一切ないが」
その言葉に、バリガ氏が鋭く言い放つ。
「王都の平和のためだ。徹底的に尋問をしてほしい。吐かなければ殺しても構わない」
伯爵の表情が厳しくなり、ティタ嬢は顔を背ける。その中で、アポロだけがまるで他人事のように笑っていた。
「おいおい、怖いこと言うじゃねえか、名士サマ。まあいいさ、やれるもんならやってみな」
アポロは余裕の表情を崩さず、ゆっくりと私の方に視線を向けた。その瞳が私を捕らえる。
「後はよろしく頼むぜ、クロード」
そう言って、軽くウィンクをしてみせた。
その瞬間、私の中に奇妙な確信が生まれる。
──彼は、計算している。
これは偶然ではない。全てを分かった上で、自ら炎の中に足を踏み入れている。そうでなければ、あの余裕は説明がつかない。
ウィルが指示を出し、部下たちがアポロの両腕を掴む。アポロはそれを拒まない。ただ、煙草を咥えたまま軽く笑う。
「丁寧に扱ってくれよ。俺、意外と繊細なんだから」
その冗談めいた言葉とともに、彼は連行されていった。扉の向こうへと消えるその背中は、不思議と大きく見えた。
残された私は、その背中に託された言葉の意味を静かに反芻していた。
アポロの行動、バリガ氏の態度、ウィルの言葉。その全てが絡まり合い、複雑な糸を織りなしている。
今、その糸を解く役目が、他ならぬ私自身に託されたのかもしれない
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