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わたしだって恋をする。
拾壱
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乾杯の声を皮切りに始まった宴会は夕飯へと雪崩れ込んだ。次々と供されるケンちゃんの手料理はどれも絶品。
みんなの大好物であるザンギにもケンちゃんならではの一工夫がすばらしい。これはもう、プロの味だ——じゃなくて、当たり前ですっかり忘れていたけれど、ケンちゃんは市内でカフェを営む料理人なのでした。
ビールも進み、我が家の冷蔵庫の中身でよくもまあここまで、と感心するほどハイカラな家庭料理の数々に心ゆくまで舌鼓を打ちまくった。
宴も酣となり、父は既に撃沈、ケンちゃんに担がれて夫婦の寝室へ放り込み済み。残された私たちの議題は、すっかり眠り込んでいる専務を何処へ寝かせるか、の一点に尽きる。
我が家は所詮、一般庶民。広いお屋敷に住んでいるわけではない。二階の三室はそれぞれ三姉妹の個室、一階は居間と水回りを除けば、父母の寝室があるのみだ。
男手はケンちゃんひとり。力自慢の私が手伝ったところで、二階にある私の部屋まで意識のない大の男を運ぶなんてどだい無理な話で。必然的に狭い居間に布団を敷いてそこで一晩過ごしてもらうこととなる。
「優香、本当に起こさなくていいの?」
「無理。飲んで寝たらなにやっても起きないわよ」
「そうよね、これだけ騒いでも起きないんだから……」
「食事はいいの? お腹空かないのかしら?」
「寝てるんだから関係無いんじゃない?」
「じゃあ、お風呂とか……」
「起きたら入れればいいでしょう?」
宴会の残骸を片し、部屋の端に座卓を立てかけ布団を敷きながら、心配そうに母が問う。
「薄掛け一枚で大丈夫かしら? 風邪引いたりしない?」
「大丈夫でしょう? この人、そんな柔じゃないし、ばかは風邪引かないって言うし」
「あら、夏風邪は、ばかが引くって言うわよ?」
「そう言えばそうね……」
ちょっと心配になってきた。
ケンちゃんとふたりがかりですぐ隣へ敷いた布団へと専務を転がす。周囲がどれほど騒がしかろうと乱暴に転がされようと目を覚ますほんの少しの気配すらないとは。人に手間をかけさせて。飲んだらどうなるかわかっているのに懲りないんだから、まったく好い気なものだ。
「お母さん、ケンちゃん、お姉ちゃんも、ありがとう。あとはわたしがやるからもう大丈夫だよ」
本人の知らないところで下着と生足を皆に晒されるのは、男性でも好い気のする物ではないだろうと、手伝ってくれた皆に解散を促した。
きっとは日帰り予定だったのだろう。専務の持ち物は財布と携帯電話、マンションの鍵のみで、着替えの下着一枚も持っていない。
ジャケットはハンガーに掛けて鴨居に引っかけてあるから無事だが、ズボンは脱がせてアイロンを当てて、シャツとパンツと靴下は適当なもので間に合わせ——明日の朝、風呂に突っ込んでいる間にでもコンビニへひとっ走りすればいいだろう。
「専務ってば……ちょっとは協力してくださいよ」
力に任せ強引に両膝を立てさせ、開いた股の間に体を割り込ませる。
「腰上げてくれないかな……ううっ、重いっ」
ベルトを外してファスナーを下ろし、必死になってズボンを脱がせながら、仕事どころかプライベートまですっかり専務の世話をするのに慣れた自分に、苦笑するしかなかった。
久々に入る我が家の風呂は、専務宅の豪華ジャグジーに慣れた身には些か窮屈に感じる。それでも、慌ただしい一日の最後に味わう風呂はやはり格別だ。
気の重い帰郷だったけれど、蓋を開けてみれば専務にまさかの先回りをされており——わたしの予定外の行動をあいつが知る由もないから追いかけてきただけなのかも知れないが——帰宅してみれば根回し済みで。
こいつとの結婚は、父も母も諸手を挙げて大賛成。そりゃそうだ。西園寺グループの御曹司に見初められるなんて希に見る玉の輿だもの。ウチの社長もやっと捕まえたのかと喜んでいた。お姉さま方も大喜び。親会社の社長夫妻と会長の考えは未知だが、こいつのあの様子を見ていたらとてもじゃないが反対されるとは思えない。
姉の言葉は正しい。これで外堀は完璧に埋められてしまったわけだ。
でも。
専務が日々戯れ言のように繰り返す愛の言葉に嘘偽りがないだけではなく、本気でわたしと結婚しようと思っているだなんて、さすがにそこまで信じろと言われるのはきびしいものがあるけれど。
もしも、本当に本気だったら、わたしはどう返事をするんだろう。と、その前に、だ。外堀を埋め尽くすのはいいけれど、そもそもプロポーズなんてされた記憶はありませんが!
やっぱりなにかよからぬことを企んでいるだけなんじゃ……と、思い至ったところではたと思い出す。もうひとり、なにか企みそうな女がいたことを。
「あの清香がなにもせずにこのまま引き下がるわけがないわ」
ここはひとつ、万全を期して敵を迎え撃たなければならない。
風呂から上がったわたしは、姉に不要となった口紅をもらい受け、早々準備に取りかかった。
細工は流流仕上げをご覧じろ、だわ。
これは、清香はもちろん、ついでに専務にも? ちょっといい警告になるだろう。
みんなの大好物であるザンギにもケンちゃんならではの一工夫がすばらしい。これはもう、プロの味だ——じゃなくて、当たり前ですっかり忘れていたけれど、ケンちゃんは市内でカフェを営む料理人なのでした。
ビールも進み、我が家の冷蔵庫の中身でよくもまあここまで、と感心するほどハイカラな家庭料理の数々に心ゆくまで舌鼓を打ちまくった。
宴も酣となり、父は既に撃沈、ケンちゃんに担がれて夫婦の寝室へ放り込み済み。残された私たちの議題は、すっかり眠り込んでいる専務を何処へ寝かせるか、の一点に尽きる。
我が家は所詮、一般庶民。広いお屋敷に住んでいるわけではない。二階の三室はそれぞれ三姉妹の個室、一階は居間と水回りを除けば、父母の寝室があるのみだ。
男手はケンちゃんひとり。力自慢の私が手伝ったところで、二階にある私の部屋まで意識のない大の男を運ぶなんてどだい無理な話で。必然的に狭い居間に布団を敷いてそこで一晩過ごしてもらうこととなる。
「優香、本当に起こさなくていいの?」
「無理。飲んで寝たらなにやっても起きないわよ」
「そうよね、これだけ騒いでも起きないんだから……」
「食事はいいの? お腹空かないのかしら?」
「寝てるんだから関係無いんじゃない?」
「じゃあ、お風呂とか……」
「起きたら入れればいいでしょう?」
宴会の残骸を片し、部屋の端に座卓を立てかけ布団を敷きながら、心配そうに母が問う。
「薄掛け一枚で大丈夫かしら? 風邪引いたりしない?」
「大丈夫でしょう? この人、そんな柔じゃないし、ばかは風邪引かないって言うし」
「あら、夏風邪は、ばかが引くって言うわよ?」
「そう言えばそうね……」
ちょっと心配になってきた。
ケンちゃんとふたりがかりですぐ隣へ敷いた布団へと専務を転がす。周囲がどれほど騒がしかろうと乱暴に転がされようと目を覚ますほんの少しの気配すらないとは。人に手間をかけさせて。飲んだらどうなるかわかっているのに懲りないんだから、まったく好い気なものだ。
「お母さん、ケンちゃん、お姉ちゃんも、ありがとう。あとはわたしがやるからもう大丈夫だよ」
本人の知らないところで下着と生足を皆に晒されるのは、男性でも好い気のする物ではないだろうと、手伝ってくれた皆に解散を促した。
きっとは日帰り予定だったのだろう。専務の持ち物は財布と携帯電話、マンションの鍵のみで、着替えの下着一枚も持っていない。
ジャケットはハンガーに掛けて鴨居に引っかけてあるから無事だが、ズボンは脱がせてアイロンを当てて、シャツとパンツと靴下は適当なもので間に合わせ——明日の朝、風呂に突っ込んでいる間にでもコンビニへひとっ走りすればいいだろう。
「専務ってば……ちょっとは協力してくださいよ」
力に任せ強引に両膝を立てさせ、開いた股の間に体を割り込ませる。
「腰上げてくれないかな……ううっ、重いっ」
ベルトを外してファスナーを下ろし、必死になってズボンを脱がせながら、仕事どころかプライベートまですっかり専務の世話をするのに慣れた自分に、苦笑するしかなかった。
久々に入る我が家の風呂は、専務宅の豪華ジャグジーに慣れた身には些か窮屈に感じる。それでも、慌ただしい一日の最後に味わう風呂はやはり格別だ。
気の重い帰郷だったけれど、蓋を開けてみれば専務にまさかの先回りをされており——わたしの予定外の行動をあいつが知る由もないから追いかけてきただけなのかも知れないが——帰宅してみれば根回し済みで。
こいつとの結婚は、父も母も諸手を挙げて大賛成。そりゃそうだ。西園寺グループの御曹司に見初められるなんて希に見る玉の輿だもの。ウチの社長もやっと捕まえたのかと喜んでいた。お姉さま方も大喜び。親会社の社長夫妻と会長の考えは未知だが、こいつのあの様子を見ていたらとてもじゃないが反対されるとは思えない。
姉の言葉は正しい。これで外堀は完璧に埋められてしまったわけだ。
でも。
専務が日々戯れ言のように繰り返す愛の言葉に嘘偽りがないだけではなく、本気でわたしと結婚しようと思っているだなんて、さすがにそこまで信じろと言われるのはきびしいものがあるけれど。
もしも、本当に本気だったら、わたしはどう返事をするんだろう。と、その前に、だ。外堀を埋め尽くすのはいいけれど、そもそもプロポーズなんてされた記憶はありませんが!
やっぱりなにかよからぬことを企んでいるだけなんじゃ……と、思い至ったところではたと思い出す。もうひとり、なにか企みそうな女がいたことを。
「あの清香がなにもせずにこのまま引き下がるわけがないわ」
ここはひとつ、万全を期して敵を迎え撃たなければならない。
風呂から上がったわたしは、姉に不要となった口紅をもらい受け、早々準備に取りかかった。
細工は流流仕上げをご覧じろ、だわ。
これは、清香はもちろん、ついでに専務にも? ちょっといい警告になるだろう。
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