【本編完結】海辺の街のリバイアサン ~わたせなかったプロポーズリングの行方~

礼(ゆき)

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第五章 海の泡

36.

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「君たちは、僕が船を出さないわけがないと踏んでいたな」
「出していただけますわね。お兄様」

 この状況では承服するしかないだろう。
 タイラーは女の子達のしたたかさに感心し、その計略にはめられたと改めて思い知る。

「出さないわけにはいかないだろう。すぐに向かおう。歩きながらでいい、僕にもきちんと事情を説明してくれ。もう、隠し事はなしで頼む」

 妹にはとことん弱いとみえるシーザーは、余裕を欠いた表情で拝む。

「お兄様にも、きちんと説明して差し上げますわ。ただ、私は歩きながら話すことは困難です。まずは私の話が終ったら、出立しましょうね。
 記憶が戻ったと私にばれましたらね。アンリは同化に至る状況を教えてくれましたのよ」

 タイラーがアンリから聞いたリバイアサンと同化するまでの経緯をロビンは語る。シーザーは神妙な顔つきで妹の話に耳を傾ける。老女が語った、泡玉から人魚姫を助け出す件まで、滑らかに語り切った。
 初めて耳にするシーザーは驚きを禁じ得ない。

「アンリは同化したリバイアサンと対話をし、約束を交わしたの」

 この言葉以降、タイラーの知らない内容が語られる。

「通常、リバイアサンは一度同化した者と途中で分離することはしません。それは分離する必要がないからです。

 リバイアサンの話からアンリは自身がすでに回復していることを理解します。同化し続けなければいけないのは、リバイアサン側の事情のみと知ったアンリは、彼女との交渉を行ったのです。

 リバイアサンは知性ある竜種で、アンリの意向を飲み込みました。それでも、説得には数か月要していましたので、知性ある者との対話とは押したり引いたりと難しい面があるようですわ。彼女がリバイアサンの研究者であり、詳しかったことも功を奏したと言っていました。

 リバイアサンはアンリとの分離を了承します。その上で、依り代の代替に私を推したのです。途中で依り代を変えるなど、通常あることではないでしょう。

 自分だけ打ち捨てられるのではないかなど、リバイアサンも怖がっていたようですわ。島の娘ならそのような発想にはいたらないでしょうね。突飛な提案に戸惑っていたらしいです。

 分離と依り代の変更には海中での準備期間が必要であり、少なくとも前日の夜には海に入りたいというリバイアサンの条件提示を受け入れ、アンリは先んじて海へと身を投じたのです」

 ロビンは微笑して、肩をすくめる。

「アクロバティックな発想や行動は、アンリらしいと笑ってあげてくださいな」

 アンリをよく知るタイラーとシーザーは目を見張り、顔を見合わせ、ため息交じりに苦笑した。

「島で出会ったおばあさんが、最初に人魚姫になった理由が不治の病だったそうなの。私が弱いことを把握している彼女ですもの。助けたいと思ってくれたのね。

 お兄様が、私のことをアンリに相談し、気にかけてくれた結果でもあるわ。お兄様が久しぶりにアンリと会ったことも無駄ではなかったのね。
 それが私とリバイアサンをだしにしてのことでも……ねっ」

 拳を寄せて再び妹が笑えば、兄は「そこまで言うか」と、きまりが悪るそうにそっぽを向く。わしゃわしゃと頭を無造作にかいてから、「そうだよ」と居直る。
 
「三年前、リバイアサンの不死伝説を貴族の末裔からききおよび、アンリとコンタクトをとった。彼女も、ただ誘うだけでは会ってくれない。ロビンのこともあるから、話ぐらいは聞いてくれたんだ。
 まったく、兄の醜態をどれだけさらさせれば気が済むんだ。この妹は……」

「あら、こんなことは醜態とは言わないわ。その後に取った行動まで言及すれば、そこは大人げないと一蹴してしまうところですけど」
「その後とは……」

 タイラーは話を促す。

「アンリに、出張に行かざる得ない状況を作られたでしょう」
「やめてくれ……」
「結果として、生きていたわけです。明かしても問題ないわ」
「アンリの出張にも、シーザーがかかわっているんですか」

 タイラーは身を乗り出す。シーザーとアンリの因縁が深すぎて、驚くばかりだ。

「研究所に多額の寄付を差し上げてね。仕事の依頼も一緒にお願いしていたのよ」
「ああ……、なるほど」

 資産家なら手段としてはありえると、タイラーは腑に落ちた。上司の命令で、彼女も準備不十分でいかざるをえなかったのだろう。

「アンリが生きていたからいいようなものの。これで死んでいたら、誰にも合わす顔もないわよね。久しぶりにお会いしたアンリのご家族にも顔向けできなかったわよね」

「まったく……」
 シーザーは忌々し気に呟く。

「アンリに関しては、先走りすぎるのです」
 ピシャリと妹は兄を諫めた。

「お兄様は島の伝承と聞いていたようですけど、不死伝説はどうも貴族側に残っていた言い伝えにすぎなかったようよ。伝説の真相は宿泊先のおばあさんから聞いた内容そのままに、アンリは体験した。

 アンリはね。自分を泡玉から救いあげてくれる人を求めていて、どうしてもそれが、タイラーでいてほしかったのよ」

 ロビンは目を閉じて、背もたれにしなだれかかる。

「さすがにこれだけしゃべると負担がかかるわ」
「部屋で休むか。ここで休むか。僕とタイラーは旅支度を始める。その間、休むといい」
「ありがとう。お兄様、私はしばらくここでじっとしているわ」

 ロビンは猫のようにまるまった。
 小さくなった少女を見届けて、タイラーは立ち上がった。持ち帰った荷物を片づけ、新たな船出の準備をする。 
 寝ていたはずのロビンがかっと目を開いた。

「大事なことを忘れていたわ! 人魚島にある洞窟の出入り口がよく見える海上に船を泊めてほしいの。アンリがそう言っていたわ。
 洞窟ってどこかしらね……、そこまでは分からないわ……」

 そのまますうっと目を閉じたロビンの寝息が聞こえてきた。
 男二人、寝息をたてる小さな少女を見下ろして、しばし沈黙した。

「……タイラー、洞窟とは、どこか、わかるか」
「……昨日、アンリに連れて行ってもらいました。沖側にありますから、島を超えて船で沖に出て、振り返れば洞窟の出口が見えると思います」

 シーザーは、首を左右にふった。

「僕はとことん蚊帳の外だな。この子達になにもかも仕組まれて、まるでピエロじゃないか」
「それを言えば、俺だって……」

 ソニアを愛し、アンリを忘れようとした。そのソニアがアンリであると気づけば、ささやいた言葉すべてが、ただ一人の女性へ贈る言葉となっていたのだ。思い起こしても、実に恥ずかしい。タイラーは、口元を覆い隠しても、照れてしまいそうになる。表情が崩れないように必死で抑え込んだ。

「僕は、とことんアンリに嫌われた気がしてならないよ」
 踵を返し、「船の準備をする」と寂しそうな背を向けてシーザーは居間を出た。

 黒髪に濃い紫の瞳を持つミステリアスな美青年。歩けば人目を惹きつけ、潤沢な資産をもつ経営者でもある。妹思いで、こんな小さな海辺の街の長とも将来について会談する。立ち位置は逐一うらやましい。生まれ持って何もかも持っているという人間が、本当に存在すると示している。

 アンリは、そんなシーザーをふっている。

(なぜ、俺を選んだ……)

 タイラーはアンリの選択が信じがたい。

 なにもかもすべて生まれもって備えている男と比べられれば、勇気もなく臆病で、甘えてばかりいる男のどこに勝ち目があったのか、心底理解が及ばなかった。
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