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終章 赤裸の戀

7.

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 これ以上、ヴァンフリーを傷つけるなど許さない。そんな意を持って心底から叫んだとき、凪乃羽は腹部の奥に火がともったような感触を覚えた。小さな熱は血流に乗って、瞬く間に躰中を巡る。それは、きっかけは抱かれたり口づけだったり、その幾度か経験した熱と同じだった。
「凪乃羽」
 熱は体温としてヴァンフリーに伝わっているのか、気遣わしげな声が凪乃羽を呼ぶ。
「熱い、の……」
 視界が潤んでいるのは熱のせいか、かすかにうなずいたヴァンフリーの向こうに、伸しかかるように身をかがめてくるローエンの影が映りこむ。
 ローエンは手に力を込める。そうすれば剣はヴァンフリーの躰にのめり込んでいくはずが、思うようにはならなかった。そこに頑丈な盾があるかのように痞えている。
 ぬ……。
 ローエンが唸ったとき――
 だめ!
 三度めは熱に囚われて言葉にならず、そのかわりに内心の叫びが解放の合図であったかのように熱が外へと迸った。
「ふ――」
 ローエンの口から、思いも寄らないといった面食らった吐息が漏れる。
 ローエンは剣から手を放し、かがめた身を起こして後ずさる。動いているのはローエンの意思ではなかった。凪乃羽とヴァンフリーには見えなかったが、その他の立会人たちの目には、さながら操人形と化して身のこなしはぎこちなく映っていた。
 そうして見えたものはもう一つ。
「凪乃羽……」
「フィリル!」
 ヴァンフリーの呼びかけは、多数の声に、さらには同じ名を発してさえぎられた。
「どなたか、ヴァンフリー皇子から剣を抜いてあげて」
 夢で聞いた声は、驚きの残響のなかいたわり深く響いた。
「デスティ」
 呆然と時間が止まったような気配のなか、鋭く発したのはハングだった。
「御意」
 足音が近づいてきてほんの傍で止まる。
 ヴァンフリーの肩越しに見ると、名を呼ぶだけでハングの命を理解し従ったデスティがそびえるように立っていた。
「ヴァンフリー皇子、よいか」
「ヴァン!」
「凪乃羽、大丈夫、だ……話しただろう、デスティは、闘いの達人、だ。急所を、知悉《ちしつ》している、ぶん……痛みを、軽減できる」
 ヴァンフリーは問うようにかすかに首をひねり、凪乃羽がうなずくのを待って、「デスティ、やって、くれ」と促した。
 いくら軽減できるとはいえ、痛覚が麻痺するわけではない。早速、デスティは実行したのだろう、ヴァンフリーは顔を引きつらせてかすかに呻いた。
 その痛みが伝染したように凪乃羽は顔をしかめた。痛みを取り去ることはできなくても、和らげることくらいできたらいいのに――と、そう思うよりもさきに凪乃羽は手を差し伸べていた。
 ヴァンフリーを貫いていた剣が徐々に引っこんで、剣先が短くなっていく。傷をかばうように腹部に当てていたヴァンフリーの手に手を重ねた。剣を握りしめていたその手は赤く濡れている。
 そうして、熱を帯びたと感じたのは気のせいか、重ねただけでわかった手の甲のこわばりが、ふと消えた。呻き声もしなくなり、凪乃羽の手の下からするりと抜けだした手は逆に凪乃羽の手の甲をくるんだ。
 伏せていた目を上向けてヴァンフリーを見上げると、どこか驚いたような眼差しが凪乃羽を見下ろしていた。
「ヴァン、ケガは……」
 大丈夫かと云いかけた凪乃羽をさえぎったのは、驚きから一転、可笑しそうにしたヴァンフリーの笑みだった。
「少なくとも、痛みはなくなった」
 ほかに何かあるのか、ヴァンフリーは『少なくとも』と前置きをした。痛みがないという言葉どおりに、先刻までの途切れ途切れの云い方はなくなり、話し方は至ってなめらかだ。
「もう少しだ」
 なんのことか、ヴァンフリーの言葉が理解できたのは――
「いいぞ」
 と、デスティが告げたときだ。慎重に引き抜かれていた剣がヴァンフリーの躰から取り去られたのだ。
 ヴァンフリーは大きく息をついた。ゆっくりと上体を起こしていきながら、繋いだ手を引いて凪乃羽の躰を引っ張りあげていく。すると、凪乃羽の腹部から、はらりと何かが落ちた。ヴァンフリーは空いた手でそれ――カードを拾う。
 ふたりは頭を突き合わせ、覗きこんでみる。予想したとおりタロットカードで、絵柄は運命の輪だった。裏返すと、凪乃羽が夢で見たカードと同じで真っ青の巨大な星が描かれている。ただ、夢にはなかった、引っ掻いたような傷が真ん中にある。
 ヴァンフリーはハッとして振り返った。
「フィリル?」
「ヴァンフリー皇子、ごきげんよう。そのとおり、それはわたしのカードよ。赤ん坊を守れたかしら」
「赤ん坊?」
「そう、凪乃羽のおなかにいる赤ん坊よ」
 怪訝そうにしたヴァンフリーの問いに、ともすれば無邪気そうにも見えるようなしぐさでフィリルは首をかしげた。
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