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第8話 夏至の夜・前編
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アンジェリーンから衝撃の秘密を打ち明けられてから、インドラは毎日毎日思い悩んでいた。
伯爵家を救うために、犠牲となる運命を背負わされたアンジェリーン。
緑豊かな森林に囲まれた白いエルド城も、青くて広い空も、銀砂のような煌く星空も、全てが灰色に見えているという。
そして、短い間でも、自分と一緒に居たいと言ってくれた。
今のインドラの心の殆どは、アンジェリーンへの想いでいっぱいだった。何とかして彼の運命を変えてあげたい。犠牲などと悲しいことにならないように、魔女に嘆願できれば。
メイズリーク伯爵家を救ってくれた魔女に対し、等価を支払うのは当たり前のことだ。でも、それでアンジェリーンの一生を犠牲にして良いわけがない。
普段通り、毎日レッスンや勉強は続いている。インドラが正式に伯爵家の養女となったことで、身につけなければならないことや、覚えることなどがどんどん増えていく。それらのことに真剣に取り組みながらも、インドラは必死に考えた。アンジェリーンを救う方法を。
でも、容易に答えが見つかるわけでもなく、焦りばかりが募るだけだった。
庭の森の四阿で、毎晩アンジェリーンと短い時間一緒に過ごしている。ディナーが終わって、眠るまでの2時間ほどを。魔女が眠りにつくという夏至の夜まで、この場所で会って欲しいと乞われたのだ。
「イザークは3年前にこの城に来たんだ。まだ手のひらに乗るくらいちっさいこいつを、町の片隅で見つけてね」
「もしかして、捨てられていたの?」
「うん。ボクと目があったら、途端に後ろをくっついてきたんだ。絶対離れるもんか! と言わんばかりに頑張るものだから、こっちが根負けして連れて帰った」
「まあ」
二人はイザークを見ながら、可笑しそうに笑った。イザークは尖った耳を萎れさせて、そっぽを向いている。
「それ以来、イザークはボクの友達になった」
「そう、素敵ね」
インドラがにっこり微笑むと、アンジェリーンも優しい笑顔になった。
――アンジェリーンの笑顔こそ、天使のような微笑みだと思うわ。
父である伯爵と同じ青い瞳をしていて、女性的とも言える線の細い整った顔立ち。こんなに優しい笑顔が出来る人なのに、心は諦めと絶望に満ちているなんて。
刻一刻と夏至の夜は近づいている。インドラの心は焦るばかりなのに、アンジェリーンは少しも動揺していない。それがかえって悲しい。
インドラはアンジェリーンの手に、自分の両手を重ねると、自身に言い聞かせるように言った。
「必ずあなたを助けるわ。助ける方法を見つける。あなただけを犠牲になんてさせない」
真剣な表情で言うインドラに、アンジェリーンは温かな表情で微笑んだ。こんなにも想ってくれることが、何よりも嬉しい。
「ねえインドラ、キスをしてもいい?」
いつものように、手の甲にするキスだと思って、インドラは頷いた。
「ありがとう」
アンジェリーンは悪戯っぽい笑みを浮かべ、インドラの細い顎をつまむようにして手を添えると、無防備なその唇に、そっとくちづけた。
――え……
アンジェリーンの顔がとても間近にある。そして唇に触れたこの柔らかな感触は――。
インドラの頭の中が、一瞬で真っ白になった。
名残惜しそうにアンジェリーンが唇を離すと、インドラがほうけたような顔をしているので、思わず吹き出してしまった。
「いくらなんでも、早すぎたか」
困ったように、でも可笑しそうに笑いをかみ殺しながら、アンジェリーンは立ち上がった。
「ボクは先に戻るよ。おやすみ、インドラ、イザーク」
頬をちょっと紅潮させ、アンジェリーンは足早に立ち去っていった。
その場に残されたインドラは、おずおずと両手で頬を覆うと、火でも噴き上がりそうに真っ赤になってしまった。
結局、打開策も解決策も見つけ出せないまま、とうとう夏至の日を迎えてしまった。
使用人たちは何も知らされていないのか、いつもと変わりのない一日を送っている。バトラーのドラホスラフも、ハウスキーパーのアネシュカも、ガヴァネスのパヴリーナも、誰も何も様子に変わりはない。もし知っていれば、少なからず動揺を浮かべるはず。
当のアンジェリーンも変わらない。いつも通りに、優雅にワルツの手ほどきをしている。
――こうして一緒に踊れるのも、今日が最後なのかもしれない……。
そう思う反面、
――まだ魔女は現れていない。絶対何か、助ける方法があるのよ。
最後まで諦めてはいけない、希望を捨ててはいけないと、インドラは強く強く心に念じた。
さすがに今日は勉強に身が入らず、何度かパヴリーナから注意や叱責が飛んできた。アンジェリーンを助けたい一心で、他のことなど頭に入らないし考えられない。
食欲もなくロクに何も食べないままのディナーが終わると、心配するパヴリーナやクローデットを振り払って、インドラは庭の森の四阿へ急いだ。しかし、アンジェリーンは来ていなかった。
イザークと共に暫く待ってみたが、アンジェリーンが来ることはなく、仕方なくインドラは部屋へ戻った。
寝支度を済ませないと、レディーズ・メイドのクローデットが下がれないからだ。
ベッドへ入り、眠ったふりをした。クローデットが部屋を下がると、インドラは起きてベッドから出る。そしてガウンを羽織って部屋を出た。
あらかじめ聞いていたアンジェリーンの部屋へ小走りに向かってみる。
途中幾人かの使用人たちに見つかりそうになって、インドラはドキドキしながら、隠れ隠れアンジェリーンの部屋の前に到達した。
「アンジェリーン、インドラです、起きていますか?」
扉をノックしながら呼びかける。しかし返事がない。
何度か繰り返すが反応がないので、インドラは少しためらったあと、そっと扉を開けて中を覗き込んだ。部屋の中はテーブルにランプがついているだけで薄暗い。人の気配はなかった。
「いないわ……、どこへ行ったのかしら」
使用人たちに聞くわけにもいかず、インドラは途方にくれてしまった。
「えっ」
突然、身体を何かが撫でていったような不快な感触がして、インドラは咄嗟に辺りを見回した。しかし、誰もおらず、風も吹いていない。
「何かしら、今の。なんだかとても気持ち悪かったわ」
両手で腕を掴んで顔をしかめていると、ドサッという音がして、インドラはびっくりして音の方へと走った。
アンジェリーンの部屋から少し離れたところに、メイドが一人うつ伏せに倒れていた。
「まあ、たいへん、だいじょうぶ!?」
慌ててメイドに駆け寄り傍らに跪くと、また離れたところでドサッと音がした。
駆けつけてみると、やはりメイドが倒れている。
「一体どういうことなのかしら……」
どちらのメイドも意識を失っている。
助けを呼ぼうと立ち上がったとき、インドラは強烈な何かを感じてそそけだった。
「これは、もしかして……」
第8話 夏至の夜・前編 つづく
伯爵家を救うために、犠牲となる運命を背負わされたアンジェリーン。
緑豊かな森林に囲まれた白いエルド城も、青くて広い空も、銀砂のような煌く星空も、全てが灰色に見えているという。
そして、短い間でも、自分と一緒に居たいと言ってくれた。
今のインドラの心の殆どは、アンジェリーンへの想いでいっぱいだった。何とかして彼の運命を変えてあげたい。犠牲などと悲しいことにならないように、魔女に嘆願できれば。
メイズリーク伯爵家を救ってくれた魔女に対し、等価を支払うのは当たり前のことだ。でも、それでアンジェリーンの一生を犠牲にして良いわけがない。
普段通り、毎日レッスンや勉強は続いている。インドラが正式に伯爵家の養女となったことで、身につけなければならないことや、覚えることなどがどんどん増えていく。それらのことに真剣に取り組みながらも、インドラは必死に考えた。アンジェリーンを救う方法を。
でも、容易に答えが見つかるわけでもなく、焦りばかりが募るだけだった。
庭の森の四阿で、毎晩アンジェリーンと短い時間一緒に過ごしている。ディナーが終わって、眠るまでの2時間ほどを。魔女が眠りにつくという夏至の夜まで、この場所で会って欲しいと乞われたのだ。
「イザークは3年前にこの城に来たんだ。まだ手のひらに乗るくらいちっさいこいつを、町の片隅で見つけてね」
「もしかして、捨てられていたの?」
「うん。ボクと目があったら、途端に後ろをくっついてきたんだ。絶対離れるもんか! と言わんばかりに頑張るものだから、こっちが根負けして連れて帰った」
「まあ」
二人はイザークを見ながら、可笑しそうに笑った。イザークは尖った耳を萎れさせて、そっぽを向いている。
「それ以来、イザークはボクの友達になった」
「そう、素敵ね」
インドラがにっこり微笑むと、アンジェリーンも優しい笑顔になった。
――アンジェリーンの笑顔こそ、天使のような微笑みだと思うわ。
父である伯爵と同じ青い瞳をしていて、女性的とも言える線の細い整った顔立ち。こんなに優しい笑顔が出来る人なのに、心は諦めと絶望に満ちているなんて。
刻一刻と夏至の夜は近づいている。インドラの心は焦るばかりなのに、アンジェリーンは少しも動揺していない。それがかえって悲しい。
インドラはアンジェリーンの手に、自分の両手を重ねると、自身に言い聞かせるように言った。
「必ずあなたを助けるわ。助ける方法を見つける。あなただけを犠牲になんてさせない」
真剣な表情で言うインドラに、アンジェリーンは温かな表情で微笑んだ。こんなにも想ってくれることが、何よりも嬉しい。
「ねえインドラ、キスをしてもいい?」
いつものように、手の甲にするキスだと思って、インドラは頷いた。
「ありがとう」
アンジェリーンは悪戯っぽい笑みを浮かべ、インドラの細い顎をつまむようにして手を添えると、無防備なその唇に、そっとくちづけた。
――え……
アンジェリーンの顔がとても間近にある。そして唇に触れたこの柔らかな感触は――。
インドラの頭の中が、一瞬で真っ白になった。
名残惜しそうにアンジェリーンが唇を離すと、インドラがほうけたような顔をしているので、思わず吹き出してしまった。
「いくらなんでも、早すぎたか」
困ったように、でも可笑しそうに笑いをかみ殺しながら、アンジェリーンは立ち上がった。
「ボクは先に戻るよ。おやすみ、インドラ、イザーク」
頬をちょっと紅潮させ、アンジェリーンは足早に立ち去っていった。
その場に残されたインドラは、おずおずと両手で頬を覆うと、火でも噴き上がりそうに真っ赤になってしまった。
結局、打開策も解決策も見つけ出せないまま、とうとう夏至の日を迎えてしまった。
使用人たちは何も知らされていないのか、いつもと変わりのない一日を送っている。バトラーのドラホスラフも、ハウスキーパーのアネシュカも、ガヴァネスのパヴリーナも、誰も何も様子に変わりはない。もし知っていれば、少なからず動揺を浮かべるはず。
当のアンジェリーンも変わらない。いつも通りに、優雅にワルツの手ほどきをしている。
――こうして一緒に踊れるのも、今日が最後なのかもしれない……。
そう思う反面、
――まだ魔女は現れていない。絶対何か、助ける方法があるのよ。
最後まで諦めてはいけない、希望を捨ててはいけないと、インドラは強く強く心に念じた。
さすがに今日は勉強に身が入らず、何度かパヴリーナから注意や叱責が飛んできた。アンジェリーンを助けたい一心で、他のことなど頭に入らないし考えられない。
食欲もなくロクに何も食べないままのディナーが終わると、心配するパヴリーナやクローデットを振り払って、インドラは庭の森の四阿へ急いだ。しかし、アンジェリーンは来ていなかった。
イザークと共に暫く待ってみたが、アンジェリーンが来ることはなく、仕方なくインドラは部屋へ戻った。
寝支度を済ませないと、レディーズ・メイドのクローデットが下がれないからだ。
ベッドへ入り、眠ったふりをした。クローデットが部屋を下がると、インドラは起きてベッドから出る。そしてガウンを羽織って部屋を出た。
あらかじめ聞いていたアンジェリーンの部屋へ小走りに向かってみる。
途中幾人かの使用人たちに見つかりそうになって、インドラはドキドキしながら、隠れ隠れアンジェリーンの部屋の前に到達した。
「アンジェリーン、インドラです、起きていますか?」
扉をノックしながら呼びかける。しかし返事がない。
何度か繰り返すが反応がないので、インドラは少しためらったあと、そっと扉を開けて中を覗き込んだ。部屋の中はテーブルにランプがついているだけで薄暗い。人の気配はなかった。
「いないわ……、どこへ行ったのかしら」
使用人たちに聞くわけにもいかず、インドラは途方にくれてしまった。
「えっ」
突然、身体を何かが撫でていったような不快な感触がして、インドラは咄嗟に辺りを見回した。しかし、誰もおらず、風も吹いていない。
「何かしら、今の。なんだかとても気持ち悪かったわ」
両手で腕を掴んで顔をしかめていると、ドサッという音がして、インドラはびっくりして音の方へと走った。
アンジェリーンの部屋から少し離れたところに、メイドが一人うつ伏せに倒れていた。
「まあ、たいへん、だいじょうぶ!?」
慌ててメイドに駆け寄り傍らに跪くと、また離れたところでドサッと音がした。
駆けつけてみると、やはりメイドが倒れている。
「一体どういうことなのかしら……」
どちらのメイドも意識を失っている。
助けを呼ぼうと立ち上がったとき、インドラは強烈な何かを感じてそそけだった。
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