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最終章 永遠の翼
episode781
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フェンリルとフローズヴィトニルを床に置くと、キュッリッキはベルトルドの傍らまでゆっくりと歩いた。
メルヴィンやライオン傭兵団のみなも、慌てて駆けつける。
「ベルトルドさん…」
ピクリとも動かず、白い軍服の上半身は己の血で赤く染まり、片翼の黒い翼は無残にもあちこち羽根がむしり取られた状態になっていた。
あまりにも痛々しい姿に、キュッリッキは泣きそうにって顔を歪めた。
キュッリッキは傍らに座り込むと、そっと身を乗り出す。
ほどなくして瞼が小さく震えると、ベルトルドが目を覚ました。
「ベルトルドさん」
「……リッキー、か?」
「うん」
顔は動かず、目も薄く開いたまま、高い天井を茫洋と見ているだけのような、力のない表情だった。
「どこに、いるのかな?」
「え?」
「声は聞こえるのだが、何も見えないんだ…」
フッと情けなさを滲ませ、ベルトルドは小さく笑んだ。
「あ、アタシそばにいるよ、隣にいるの」
力なく置かれたベルトルドの手を、キュッリッキは握ろうと手を伸ばしたが、咄嗟にその動きを止めてしまう。
この大きな手で、何をされたのか一瞬にして頭を過ぎり、怖くてそれ以上動かせなかった。
「すまない、リッキー…」
躊躇うキュッリッキの気配を感じ、弱々しい声でベルトルドが言う。
「傷つけたくはなかった、本当に。……だが、俺はどうしても、約束を破ることは、できなかった…」
31年前、リューディアの墓の前で、リューディアとアルカネットにした約束。
復讐、神を殺すという約束。
生半可な気持ちで、一時の激情にまかせてした約束ではない。自分の一生と命をかけてした約束だ。
「神に復讐することは、アルカネットにとって生き続ける意味でもあった。リューディアの死は、それ程までに大きく、重かったんだ…。アルカネットを弟のように思っていた。だから、何としてでも叶えてやりたかった」
神へ復讐を遂げるまで、死ぬに死ねなかったアルカネット。リューディアの死を自分の責任のように思い、多重人格に己を支配されながら、それでもなお、復讐心だけがアルカネットの存在をつなぎ止めていた。
己を保つために、屋敷の使用人の女たちをはけ口にしていた。性欲を満たすために犯し、殺意を鎮めるために殺していたこともある。許しがたいことだと判っていても、ベルトルドは黙認してきた。しかし、最愛の少女を犯す役目だけは、自分がせねばとアルカネットには触らせなかった。アルカネットの残虐性を見てきたから、とてもじゃないが任せられない。傷つける行いに方法の善悪などありはしないが、それでも、アルカネットの心に僅かに残されていた、キュッリッキを大切に思う人格のためにも、嫌われ憎まれるのは自分の役目だと思った。
「リッキーの尊厳を傷つけることと、アルカネットの願いを叶えること、それを天秤にかけていいことではないと、判っていた。だが、俺はアルカネットの願いをとった。その中には、俺の願いも含まれていたからだ」
「ベルトルドさんの、願い?」
キュッリッキは困惑して、小さく首を傾げる。
「俺は、リューディアが好きだった。アルカネットに遠慮して、自分の心を押し込めはしたが、それでも好きだという気持ちは抑えきれない。だから俺は、俺なりの方法で、リューディアの想いに報いようと考えたんだ」
アルカネットのために身を引いて、リューディアの想いも拒否し、彼女を深く傷つけた。それなのに、死したリューディアの中には、ベルトルドへの恋心が溢れんばかりに遺っていた。拒否されても、諦めきれなかったリューディアの切ない恋心。
そのことは、一生の後悔となったのだ。
「リューディアの恋心を拒否した、そのことはもう取り返しがつかない。でも、もうひとつのリューディアの夢は、絶対に叶えたいと思った。それがリッキーを傷つけることだと判っていても、叶えなければと、俺自身に誓ったことだった」
「リューディアの……夢」
「そうだ。技術の力で空を飛ぶこと、それが、彼女の夢だった」
ベルトルドの記憶で見たリューディアは、いつも大きなスケッチブックを抱えていて、思いついた発明のアイデアを書き込んでいた。機械工学のスキル〈才能〉を持っていた彼女は、自分で発明した空飛ぶ乗り物で、空を自由に翔けたいと、そう願っていた。
「一万年前の世界では、人は技術の力で自由に空や宇宙を飛び、駆け巡っていた。くだらない発端で戦争が絶えず、やがて愚かな王の誕生とともに、世界は半壊し、神々は人間たちを造り変え、飛行技術や閃きを消し去ってしまった。痕跡を残さず消し去り、人が空に憧れることはあっても、スキル〈才能〉ナシには飛べないと、諦めがよくなってしまっていた。全てはユリディスの身に起こった不幸を、今後生まれてくる巫女たちに起こらないようにするために。――一人の男の愚かな欲のために、後世は自由に空を飛ぶことすら、できなくなってしまったんだ」
ユリディスの記憶で見せられた、クレメッティ王の顔を思い出し、キュッリッキは渋面を作った。卑猥なショーの見世物で、ユリディスを辱めた愚昧なる王。全てはクレメッティ王が元凶なのだ。
「だが人間は進化していく。リューディアのように、突然閃く者も出てくるだろう。アイデアが浮かんだだけで神罰が飛んでくるようでは、たまったものではない。それに、地下深くには、神でも気付かなかったフリングホルニが遺ったりしていた。そうしたものを掘り出し、俺のように使う者も現れる」
ベルトルドは眉を寄せ、天井を睨むように目を眇めた。
「だから、返してもらうのさ、人間たちから奪ったものを。リューディアから奪ったもの、全ての人間たちから摘み取った、飛行技術を」
メルヴィンやライオン傭兵団のみなも、慌てて駆けつける。
「ベルトルドさん…」
ピクリとも動かず、白い軍服の上半身は己の血で赤く染まり、片翼の黒い翼は無残にもあちこち羽根がむしり取られた状態になっていた。
あまりにも痛々しい姿に、キュッリッキは泣きそうにって顔を歪めた。
キュッリッキは傍らに座り込むと、そっと身を乗り出す。
ほどなくして瞼が小さく震えると、ベルトルドが目を覚ました。
「ベルトルドさん」
「……リッキー、か?」
「うん」
顔は動かず、目も薄く開いたまま、高い天井を茫洋と見ているだけのような、力のない表情だった。
「どこに、いるのかな?」
「え?」
「声は聞こえるのだが、何も見えないんだ…」
フッと情けなさを滲ませ、ベルトルドは小さく笑んだ。
「あ、アタシそばにいるよ、隣にいるの」
力なく置かれたベルトルドの手を、キュッリッキは握ろうと手を伸ばしたが、咄嗟にその動きを止めてしまう。
この大きな手で、何をされたのか一瞬にして頭を過ぎり、怖くてそれ以上動かせなかった。
「すまない、リッキー…」
躊躇うキュッリッキの気配を感じ、弱々しい声でベルトルドが言う。
「傷つけたくはなかった、本当に。……だが、俺はどうしても、約束を破ることは、できなかった…」
31年前、リューディアの墓の前で、リューディアとアルカネットにした約束。
復讐、神を殺すという約束。
生半可な気持ちで、一時の激情にまかせてした約束ではない。自分の一生と命をかけてした約束だ。
「神に復讐することは、アルカネットにとって生き続ける意味でもあった。リューディアの死は、それ程までに大きく、重かったんだ…。アルカネットを弟のように思っていた。だから、何としてでも叶えてやりたかった」
神へ復讐を遂げるまで、死ぬに死ねなかったアルカネット。リューディアの死を自分の責任のように思い、多重人格に己を支配されながら、それでもなお、復讐心だけがアルカネットの存在をつなぎ止めていた。
己を保つために、屋敷の使用人の女たちをはけ口にしていた。性欲を満たすために犯し、殺意を鎮めるために殺していたこともある。許しがたいことだと判っていても、ベルトルドは黙認してきた。しかし、最愛の少女を犯す役目だけは、自分がせねばとアルカネットには触らせなかった。アルカネットの残虐性を見てきたから、とてもじゃないが任せられない。傷つける行いに方法の善悪などありはしないが、それでも、アルカネットの心に僅かに残されていた、キュッリッキを大切に思う人格のためにも、嫌われ憎まれるのは自分の役目だと思った。
「リッキーの尊厳を傷つけることと、アルカネットの願いを叶えること、それを天秤にかけていいことではないと、判っていた。だが、俺はアルカネットの願いをとった。その中には、俺の願いも含まれていたからだ」
「ベルトルドさんの、願い?」
キュッリッキは困惑して、小さく首を傾げる。
「俺は、リューディアが好きだった。アルカネットに遠慮して、自分の心を押し込めはしたが、それでも好きだという気持ちは抑えきれない。だから俺は、俺なりの方法で、リューディアの想いに報いようと考えたんだ」
アルカネットのために身を引いて、リューディアの想いも拒否し、彼女を深く傷つけた。それなのに、死したリューディアの中には、ベルトルドへの恋心が溢れんばかりに遺っていた。拒否されても、諦めきれなかったリューディアの切ない恋心。
そのことは、一生の後悔となったのだ。
「リューディアの恋心を拒否した、そのことはもう取り返しがつかない。でも、もうひとつのリューディアの夢は、絶対に叶えたいと思った。それがリッキーを傷つけることだと判っていても、叶えなければと、俺自身に誓ったことだった」
「リューディアの……夢」
「そうだ。技術の力で空を飛ぶこと、それが、彼女の夢だった」
ベルトルドの記憶で見たリューディアは、いつも大きなスケッチブックを抱えていて、思いついた発明のアイデアを書き込んでいた。機械工学のスキル〈才能〉を持っていた彼女は、自分で発明した空飛ぶ乗り物で、空を自由に翔けたいと、そう願っていた。
「一万年前の世界では、人は技術の力で自由に空や宇宙を飛び、駆け巡っていた。くだらない発端で戦争が絶えず、やがて愚かな王の誕生とともに、世界は半壊し、神々は人間たちを造り変え、飛行技術や閃きを消し去ってしまった。痕跡を残さず消し去り、人が空に憧れることはあっても、スキル〈才能〉ナシには飛べないと、諦めがよくなってしまっていた。全てはユリディスの身に起こった不幸を、今後生まれてくる巫女たちに起こらないようにするために。――一人の男の愚かな欲のために、後世は自由に空を飛ぶことすら、できなくなってしまったんだ」
ユリディスの記憶で見せられた、クレメッティ王の顔を思い出し、キュッリッキは渋面を作った。卑猥なショーの見世物で、ユリディスを辱めた愚昧なる王。全てはクレメッティ王が元凶なのだ。
「だが人間は進化していく。リューディアのように、突然閃く者も出てくるだろう。アイデアが浮かんだだけで神罰が飛んでくるようでは、たまったものではない。それに、地下深くには、神でも気付かなかったフリングホルニが遺ったりしていた。そうしたものを掘り出し、俺のように使う者も現れる」
ベルトルドは眉を寄せ、天井を睨むように目を眇めた。
「だから、返してもらうのさ、人間たちから奪ったものを。リューディアから奪ったもの、全ての人間たちから摘み取った、飛行技術を」
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