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第五章 人狼の夜
パルテ・スレヴェル
しおりを挟む〈——おいカオス、起きろよ。「子供料金」が払えなくなるぞ——〉
爽やかに青く晴れた秋の早朝、12歳になる混沌の俺は叡智の声を聞き、自室のベッドで目を覚ました。夜更かしするんじゃなかったね。まだ眠いけど、起きないと仕事に遅れてしまう。
この5年でついに腰近くまで伸びた髪は父と同じ黒で、母からの遺伝で跳ねっ毛が酷い。まったく手入れしていないのもあり、黒いもみの木を背負ってるみたいだ。
俺が寝起きする子供部屋には自作した木のベッドや木のクローゼットがあり、作業用の糸くずだらけの木机がある他は、事情があって作り直した黒いアコギくらいしか無い。樹木を加工しまくったお陰で「木工」というスキルを獲得して数年になるが、せっかくなのでギター製作には少しこだわり、漆塗りのボディには「影」という漢字がペイントされている。
自分で編んだレースのカーテンを開く。ガラス窓があり、ベランダが見え、その先にはまだ薄暗い早朝の海が広がっている。建物の西側に海を持つのが我が家の残念なところだ。朝はこうして美しいのだが夕方は西日が目を刺すし、南側はマンションの壁だから洗濯物も乾きにくい。
子供部屋を出て20畳ほどのリビングに向かう。
この新地区が作られた5年前は岩肌が剥き出しだった居間には壁板や腰壁が張られ、絨毯もあり、ずいぶん暮らしやすい空間に変わっている。地球じゃないので部屋にはテレビもエアコンも無いが、代わりにレンガ造りの暖炉があり、その両サイドには俺がこの数年で両親に贈った鎧がいくつも並べられている。
金属製は父用で、革製は母用だ。ノモヒノジア迷宮は莫大な組み合わせを持つので、探索ルートに合わせて装備を変えられるよう造りまくった。
異世界の趣深い居間の一方、カウンターを挟んで居間に直結しているキッチンはかなり地球的だ。
ウトナ山脈から輸入したクロムを混ぜたステンレスのシンクは海風に耐えて今の所は美しいし、俺がいないとダメという条件付きにはなるが、我が家の台所にはレンジやトースターといった地球の科学を召喚することができる。
台所には魔法陣が刻まれた板が数枚あって、固有異能持ちの俺がMPを流し込むと、生前使い慣れた炊飯器が出現した。お米をセットした俺はトイレを済ませ(スライム式だ。常時MPが消費されてしまうのでウォシュレットの設置は諦めた)、手を洗ってサンマを焼き、おひたしと味噌汁を作る。
両親は昨日からギルドマスターらと迷宮に入っていて留守だ。〈大本営アプリ〉によるとステータスにさして変化は無いので、全員無事に迷宮を攻略していると見て良い。
食後、俺は黒のパーカーに着替え、黒のジーパンを穿いた。幼馴染のパルテが裁断というスキルを使ってデザインし、俺が裁縫スキルで縫った自作品だ。
化粧品が入ったリュックサックを背負い、腰のベルトに「シフルの懐刀」だけを下げて皮のブーツを履いた。東側にある玄関のドアを開く。
外は廊下になっていて、真正面から朝日が差し込んでくる。団地のすぐ右隣はラヴァナ家で、その奥はムサの部屋だ。逆側の角部屋は剣閃の風の集会所になっていて、外壁や廊下は白く塗られている。5年前は岩そのままの灰色だったマンションは住民の多数決で色が決められ、住民総出でペンキが塗られていた。
我が家は5階建ての最上階だが、俺は廊下の手すりを登って、飛び降りた。
俺が装備しているブーツは試作品で、やはりパルテとの合作だ。鑑定持ちの俺とパルテが街中を歩いて厳選した素材を使い、パルテが裁断し、俺が裁縫したこのブーツには裏地に〈結界〉スキルによる刺繍が施されていて、しかも俺が鍛冶スキルで鍛えまくった鉄板まで仕込んだ安全靴だ。
真下は灰色の石畳だが、試作品のブーツは落下の衝撃を問題無く受け止めてくれた。HPの壁が発動しなかったし、性能は申し分なさそうだが——素材の値段と製作に費したMPを考えると、最低でも20銀貨は取りたい。しかし、そんな値段の靴が果たして売れるかな。
建物の北側は馬小屋になっていて、住人たちの馬が休んでいる。我が家は馬を所有していないが、俺は自分の家の厩舎から自転車を引き出した。
これも自作の高級品だ。地球で乗っていたMTBをスキルで召喚し、召喚しただけでは魔法陣を出ると消えてしまうので、製法を鑑定しまくって模造した。
フレーム等の金属部分はカンストしている鍛冶スキルで解決できたが、タイヤに使うゴムの入手には難儀した。ここが港町じゃなかったら詰んでたね。南部に広がるドーフーシ帝国のさらに南東にはゴムの木が自生する国があり、舶来品を運良く入手できた。
前カゴにリュックを入れ、早朝の新市街をチャリで駆け抜ける。
住人たちが「ニケ様の奇跡」と呼ぶあの日に生まれたラーナボルカ市フェトチネ区は、岩の灰色一色だった5年前に比べてずいぶん色彩豊かになった。
各マンションは住人が好き勝手に塗ったペンキで色見本のようだったし、各窓にも木かガラスの窓がはめられている。5年前と同じ灰色は、石畳の道路と、屋上に立ち並ぶ煙突から吐き出される住人たちの朝餉の煙くらいだ。
区民の数もこの5年でニ千ほど増えた。
ウユギワ村から来た千人はもちろん、「女神が作った新しい街」の噂は港から周辺へ急速に広まり、レテアリタ帝国の市民に加え、ドーフーシ帝国やツイウス王国からも多くの移民が駆けつけた。
レテアリタの市民は手続きをすれば移住できたが、そうでない住民は不法入国になる。
おかげでポコニャさんは区長としての最初の3年を鑑定業務に忙殺された。
誰であれ、鑑定すれば出身地がわかる。
黒猫の区長は不法移民から「鬼猫」だとか「ブラック・レディ」と罵られたし、区長にバイトで雇われた俺とパルテも移民どもから多種多様な罵倒を受けた。
給与に見合わぬ辛い仕事だった。区長やパルテは道行く市民を仕方なく鑑定する日々に耐え、移民の流入がようやく収まったころ、黒猫は鑑定をレベル8にしていたし、パルテも5まで成長させた。元々鑑定がカンストしているボクだけが「鑑定カオス野郎」だの「覗き趣味の影」「混沌の変態」「こっち見るなクソ」と、ただ罵倒されて成長できなかった……。
「——鑑定」
チャリを流しながら適当に鑑定すると、慣れたもので叡智が時刻を教えてくれた。
〈石畳です——あと5分で8時だ。ワタシの予想では、子猫らは超遅刻して9時前になる〉
(マジ?)
まだ背の低い街路樹の下をチャリで駆け抜け、俺は新地区の中央通りに入った。ここは城壁に囲まれたラーナボルカの旧市街に通じる大通りで、旧市街の壁には「奇跡の日」に大穴が空き、通行できるようになっている。
通りの両側は商店が立ち並んでいて、俺は旧市街に通じる大穴のすぐ近くに建つ三階建ての店の前でチャリを停めた。
仕立屋 パルテ・スレヴェル
店の看板にはレテアリタ語でそう書かれていて、すぐ下にはこの街の第2言語たるドーフーシ語とツイウス語で同じ店名が併記されている。
前面には綺羅びやかなショーウィンドウがあり、これほどのガラス窓を持つ店はラーナボルカでもここだけだ。ショーウィンドウの中には“店長”がデザインし俺やバイトが作り上げた服に身を包んだマネキンが並んでいる。この街にはまだ時計が無いが、代わりに8時を知らせる鐘の音が聞こえた。
地球時代はクソニートだった俺が、剣と魔法の世界で「出勤」するとはね。
「偉いぞバイト、時間通りだ。さすがはおれと同じ“叡智”持ちだな」
「褒めてもなんも出ないぞ、店長。実は化粧品の補充のせいで少し寝過ごしてさ。目覚ましさんが居なきゃ危なかった」
ガラス製の両開きのドアを開いて店長が顔を出した。俺と同い年のパルテ・スレヴェルは金髪を短く切りそろえ、前髪は横に流しておでこが見えるようにしている。中性的な顔立ちで、瞳は赤く、肌は病的に白い。黒い上等な紳士服を着ているのもあってヴァンパイアみたいだ——ていうかコイツ、実際に吸血鬼なんだけど。
店長パルテは朝日に目を細め嫌そうにした。こいつの厳密な種族はコウモリの獣人で、紳士服の背中には小さな黒い羽を通すためのスリットがある。ちなみに飛ぶことはできない。他の鳥系の獣人も同じだが、小さな羽はただのお飾りだ。
金髪の左右からは兎のような細長く黒い耳が生えているが、生まれつきなのかピンと立たずに垂れている。やる気の無いバット●ンというか、蝙蝠というより黒ウサギに見える耳だ。
パルテは小洒落た青のネクタイを締めていて、鑑定すると、思った通り新作だった。
「そういや店長、アクシノの予想じゃ猫ども3匹は『超』遅れるってさ。9時前になるとか」
「はあ!? マジかよ……リーダーは最近、ギルマスたちが迷宮にいる間は必ずユエフーかブックの家に泊まるよな。今日はおれのステキな“クソお祖父様”が来るって伝えてあるのに……」
「まあカリカリするな。じいさんも服を見たいわけじゃないでしょ」
「それを言うなよ、自信を無くす……」
俺は店の裏手にチャリを停めてしっかりと鍵をかけた。自転車の製法は街の鍛冶屋に広めてあるが、製作難易度が高いしゴムも輸入になる。チャリはまだ高価な道具だ。
バイト先の開店は10時だが、やることはいくらでもあった。
俺がニ階の厨房に上がり、俺からリュックサックを受け取った吸血鬼がニヨついて化粧品(特に日焼け止め)を吟味し商品棚へ並べていると、正社員として働いている成人の女性5人が出社した。全員が裁縫や裁断、それに〈調合〉のどれかを持っていて、昨日染料に漬け込んだ布や糸の様子を確認し始める。社員さんたちはさらに店長パルテが市場で仕入れ、倉庫に入れていた素材を受け取り、忙しく仕込みを始めた。
そして9時前、叡智の予想通り3匹の小動物が重役出勤して来た。
少女3人はきゃっきゃしながらガラス戸を開き、悪びれる様子も無くドアを閉めた。全員が黒を基調とした地球風の学生服に身を包んでいる。うち2匹は13歳の冒険者で、残る1匹は俺のいとこだ。
ラーナボルカ市でも最も若い冒険者パーティ「スリー・テイルズ」を率いる12歳のリーダーは、ゼロ歳の頃から変わらない眠たげな目で胸を張った。
「にゃ。少し遅れたがギリギリセーフ☆」
「マジでクビにすんぞ、ミケ」
店長が苛ついて吐き捨てた。
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