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第五章 人狼の夜

裁判のあと

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 眼の前に顕現した邪神アクシノの神託を聞きながらハッセは大きく息を吐いた。彼の脳内では叡智ジビカが勝利の雄叫びを上げていて、ハッセは偉大な叡智様に念じた。

(予想したうちで最悪よりはましな結果に終わりましたね……)
〈実に間抜けな判決だ。あの鹿は用意せずとも良かったかもしれん!〉

 月の種族たる〈鬼〉を裁判に出すのは危険なため、ハッセらは実行犯のバラキに代わって鹿の獣人を用意していた。たこ焼き屋の店主は金貨をやると命令に従い、被告人席では目を泳がせたが役目を果たした。

 シレーナのほうは見た目がこの星の吸血鬼に似ているため、叡智様のコインによる鑑定偽装効果を信じ、吸血鬼に特有の〈血脈の加護〉があると見せかけてみたが、こちらもうまく行ったらしい。アホのアクシノは彼女を「羽が大きい吸血鬼」と呼び、

『シレーナ……羽が大きい吸血鬼よ。貴族のあなたがどうして盗みに入ったのですか。理由はわかりませんが、もう泥棒はダメですよ? あなたがただの市民なら犯罪奴隷になっていました』

 シレーナは呼びかけにビクついたが、佞智アホの警告に黙って頷いた。

 そんな裁判の中、最も堂々としていたのは義妹だろう。

 妹が会議を抜け出したと気づいたハッセは激怒して部下に調査させ、子犬はラーナボルカ様のお屋敷の自室で「シェイク」という謎の液体を飲んでいるのを発見された。奪おうとすると「おおー!?」と唸って野太刀に手をかけるので諦めたが、アホの妹は会議が退屈で、街のお菓子屋で飲み物を入手していたらしい。

 妹は裁判中も幼子がおしゃぶりを愛するようにシェイクを手放さず、麦わらのストローでうまそうにシェイクを吸っていた。

 ハッセは念の為羊皮紙に邪神の判決をメモし、邪神が消えて居なくなると叡智ジビカに問いかけた。

(しかし、あの子猫が騎士団に……)
〈アクシノも、我らの企みを薄々は感じておるのだろうよ。しかし確たる証拠が無いのだ——子猫は邪神のスパイだと思え。しかし邪険には扱わず、高待遇でもてなして無意味な雑用をさせるのが良かろう。我々についてなにも教えないことだ。3日耐えれば去る子猫なのだから〉

 ジビカ様は少し間を置いて続けた。

〈しかし、あの小賢しい服屋のガキが騎士団全員の鑑定阻害を解除するよう求めなかったのは幸運だな。その場合は全員が常世の眷属なのだと苦しい嘘を付くことになったが……ふむ、その幸運に作為めいたものを感じる。いくらアクシノがアホだとはいえ、あれはお前らが強盗したときも、裁判所に降臨した瞬間も、騎士団全員に鑑定阻害があることを知ったはずだ。どうして裁判でそれを話題にしないのか……?〉

 自分たちを泳がせ、騎士団を庇護しているラーナボルカ様を含め一網打尽にするつもりなのだろうか。

 ハッセはそう考えたが、叡智様の予想は違った。

〈——あのアホ、おそらくニョキシーについて知っているのだろうな。胸の足りないあの女神の狙いは子犬に違いない……そうはさせるか。私はそもそも、そのリスクを承知で騎士団を前に進めているのだ〉

 話題の義妹は容器の隅をストローでこそいでわずかに残ったシェイクを吸おうと努力していた。貴族らしからぬ浅ましい音が耳に障る。

 子犬はシェイクの容器を見つめ、ついに諦めて、義兄に覚悟の表情を見せた。

「兄上っ! わたしはもう一杯ほど悪魔の飲み物を買いに——いえ、成敗しに行こうと思います!」
「ざけんな」

 タスパ語の丁寧な申し入れを即座に却下してハッセは法廷を去った。


  ◇


 マガウルが倉庫に戻ると、お嬢様の寝室にはカレーの皿が転がり、おびただしい量のシェイクの容器が転がっていた。一応アンを先に帰らせたのだが、あのメイドはまだ掃除をすることができない。

 少女2人は寝室におらず、老人は引き返して1階に戻り、研究室になっている客間をノックした。

「マグじい……どうしてお姉ちゃんが怪我してるのです!?」
「おおー!? 気をつけろマグっ! 鬼は怒ると腕力が跳ね上がるぞ!?」

 港から先に帰還させたアンはお嬢様から修繕を受けていて、投石でえぐられた腕はすでに氷で塞がれていた。

「き……きき、きんにく、マッスル……!」

 なにが言いたいのかよくわからないアンの言葉を無視し、殺人鬼は深々と頭を下げて理由の説明に入ろうとした。

〈——マグ、フィウ、すごい情報があるよ。アクシノがさっき教えてくれた……「ドリルアーム」と「おっぱいミサイル」を知ってる? なにより朗報。アクシノによると、アンは“ロボ”なんだって。500年前の勇者が使ってた言葉で、ロボット……!〉

 唐突な神託は何年ぶりだろう。常世の女神が眷属に声を聞かせてくれたが、老執事には言葉の意味がまるで理解できなかった。子犬がいることに気を使い、常世様が「マグ」と呼んでくださったことだけは理解できたが。

「ろろろ、ろぼ、ろッ……?」

 フィウお嬢様が神託を伝言すると、アン=シュコニはいつもの通り耳慣れない概念に混乱した。


  ◇


 裁判を見物し終えたファレシラは鳩の姿で一仕事終えたカラスと合流した。夕焼けの秋空を2羽そろって飛ぶ。

「楽しそうね、アクシノ」
「今の所はすべて順調ですし、最近生意気なカオスの裏をかいてやりましたからね。あいつ迷宮でワタシの姿を見て以来、なにかと胸を話題に出しやがる……そもそも、パルテたちは証拠があれば皮を取り戻せると信じていましたが、そんなわけないでしょ。仮にワタシが犯人なら、追い詰められたら証拠になる皮なんて処分しますよ」

 ファレシラは談話室でカオス()が気絶した件について聞こうとしたが、聞く前にカラスは自分から喋った。無駄にお喋りなのがコイツの欠点だ。

「それよりロボです! 歌様はロボって知ってます?」
「なにそれ」
「アンのことです。アンは“ロボ”です! カオスにさっき教えてもらった! ——改めてむかつきますよ、勇者のやつ。さっきカオスから聞き出したばかりの単語で言えば、あいつは『SF』というジャンルについてまったく関心が無かったらしい……!」

 ファレシラは急に出てきた「勇者」に面食らったが、アクシノは大興奮でロボとやらの魅力を語り、ゴーレムもどきの両胸が飛ぶロマンについて喋るのをやめなかった。

「夕飯はラーメンの気分かな」
「今日はパルテは営業してませんよ。そもそも我々は食べる必要がありません。しかしラーメンといえば、地球には食べたものを胃袋にそのまま保っているロボがいるそうで……」

 話題を変えることにもしくじり、ファレシラは7年ごとに来る「バカンス」の時間が残り少ないのを残念に思った。

 あと約1年——カオスが14になれば平和な時間はお終いで、嫌な連星がまたこの惑星に近寄って来る。

 月の侵略の最前線たる迷宮はもちろん、彼女の星に隠れている多くの裏切り者たちも活動を活発にするだろう。日食や月食の確率が増し、世界各地で星辰祭が開かれる……。

 叡智の女神が「ロボ」に夢中になれるのも、すべて我らが休暇中だからだ。


  ◇


 ギルドの地下に用意された裁判所から出たムサは、廊下で女と目が合った。

「……あら、こんにちわ。わたしはハッセ様の騎士・シレーナ。今回はたまたま勝ったけど、判決は不当そのものだったし、くだらない冒険者風情が増長するのは許さない。身分をわきまえることね」

 ずっと好きだったマキリンは変な口調で偽名を語り、その隣には青い髪をしたいけ好かない男がいた。

 男はムサなど眼中に無いといった態度で右耳に手を当て、どこぞの神から神託を受けているふうだった。

「……そいつ誰すか、マキ——」
「わたしはハッセ様の騎士で、シレーナ」

 マキリンは遮るように言うと青髪の男の腕を取り、つま先立ちになって、男になにか耳打ちした。

 ハッセという男は腕にしがみつくマキリンを振り払うでもなく、知らない言葉でマキリンに尋ね、マキリンは、やはりムサが知らない言葉でハッセに答えた。ムサはダラサ語を知らない。

 ムサがずっと好きだった女は、そうして青髪のハッセに抱きついたまま去って行った。


  ◇


 裁判を終えた俺はとりあえず一眼レフを召喚し、裁判所から堂々と出てきたミケを撮影した。必要なのか疑問に思うほどフラッシュを焚きまくるのも忘れない。

 子猫は毛筆の漢字で「無罪」と大書した紙を掲げていて、厳密には無罪じゃないのだが、謎の王国ジャパンに伝わるパフォーマンスをとても気に入ってくれた。

 その夜はラヴァナ夫妻が奢ると宣言したためパルテ一家を含め焼き肉パーティになり、旧市街で黒豚を含むオーク肉を買い込んだミケは、早ければ明日から始まる3日間の騎士生活について先輩冒険者から多くの指導を受けることになった。

「にゃ。もういい。わかったので」
「わかっておらんぞ、ミケ。お前は騎士をわかっておらん!」

 一番しつこく忠告したのはエプノメじいさんだった。じいさんは昔、レテアリタ皇帝アニザラの下で騎士をしていた。

「正しい王の下で働くなら、騎士というのは素晴らしい使命だ。我がスレヴェル家は代々レテアリタに仕えて来た。一族はそれを誇りにしていたし、若かったわたしも、遠い先祖と同じくこの国の発展のために尽くそうと思ったものだ……冒険者のお前らに“騎士の道”はわからぬかもしれんが、貴族にとって、歴史と伝統を受け継ぐことほど大切なものはない」

 じいさんは酒もあってか饒舌だった。

「しかし不正な王の下につく時、この伝統は呪いのように感じられる。わたしはある日、レテアリタの王宮深くでアニザラが竜を飼っているのを見てしまった。あやつは月の眷属だったのだ!
 秘密を知られた邪帝はわたしを殺そうとしたが、わたしも男爵だ。貴族が死ねば調査があるし、裁判になるし、場合によっては“神明しんめい裁判”になるやもしれぬ……そこでアニザラは、卑劣にもわたしが脱税をしていると噂を流し、偽の書類まで用意して地位を奪おうとした。わたしをただの市民にしてしまえば、もはや殺す必要すら無くなるからだ。わたしは脱税容疑で捕まり、裁判が開かれた……」

 それは神明裁判ではなく、普通の裁判だった。

「陪審員はすべてアニザラの手駒であった。わたしは潔白を主張したし、レテアリタの騎士として、国家のために竜についても告発した。このままでは星辰様からこの国に天罰が下されると警告した! しかしわたしの告発は、王を侮辱する嘘だと激しく非難され……今日、孫が受けた裁判が“神明”なのは幸いだった。そうでなければどれほど不当な判決を受けただろう……」

 エプノメさんはいよいよ酒が回って静かに泣き始め、「人に歴史あり」という定型句を思い出しつつ、俺はずっと落ち込んでいるムサに近寄った。

「……俺は冒険者で、迷宮に入るのが仕事すけど」

 近づくとムサは言った。手には顔写真が握られたままだ。

「この街では、迷宮よりもその外側で色んなことが起きてる気がします。ポコニャさんやあんたは叡智持ちですから、俺より色々と秘密を聞くんでしょうね」
「……ですね。例のコンテストもそのひとつでしょう」
「そんで、叡智様はマキリンが死んでないのを秘密にしてた。ポコニャさんが言うには、黙っていろと神託されたとか」
「あの叡智さん、嘘と謀略が大好きですからね」
「マジすか」
「マジすよ」
〈断固抗議する〉

 黙れ貧乳。無意味に俺を不安にさせやがって。

「……ムサさんは、ポコニャさんからどの程度聞きましたか?」

 俺は少し同情的な気分になって、5年前のウユギワ村で、俺がどんな神託を受けたのか話してやった。

 マキリンの背中について叡智が語ったことを含め知っていることを教えると、ムサは黙り込み、焼き肉も食べず、ただ酒だけを呷ってその日は沈黙を貫いた。


  ◇


 その日パルテ一家は俺の家に泊まり、翌朝、俺とパルテが出勤しようとドアを開けると、すぐ隣の部屋の前にギルドの職員さんがいた。小太りのおじさんで、法廷に居た鑑定持ちだ。

「また強盗が……人狼だ! 今度は死人も出た。マスターを起こしに来たのに、ノックしても出なくて……飲み過ぎて寝てんのかな」

 ムサの言う通り、この街では迷宮よりも外のほうが騒がしいようだ。


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