1 / 9
1 キャバクラで用心棒
しおりを挟む
キャバクラの事務室で防犯カメラを睨んでいた。
自慢の体のラインを見せつけるドレスを纏い、キャバ嬢たちは金魚のようにテーブルの間を泳ぎ回る。華金の夜はスーツ姿のサラリーマンが多い。照明の落とされた店内で、シャンデリアだけが下品に光っていた。
毎月のみかじめ料の代わりにこうして用心棒を請け負っているのだが、実際カタギとのトラブルで黒川蓮(くろかわれん)がこの事務室を出て行ったことはない。今日も退屈というつまみを食べながら、硬いパイプ椅子の上で晩酌をする。防犯カメラの端で、ガタイのいい男がキャバ嬢の腕を引っ張っていても、ボーイが事を収めるのを見守るだけだ。
薄いレモンサワーを呷る。洒落たワインもシャンパンも、蓮の口には合わない。ジョッキの中身は、猫が水を舐めるくらいの速さで減っていく。
アルコールが滲みこむ前に、カメラに映っていた嬢と男の姿が見えなくなっていることに気付いた。代わりに近くにいたボーイがうろうろと彷徨っている。暫く状況の確認をしていたが、嬢は戻らない。膝を叩いて、裏口から外へ出た。
酔っぱらいの合間を縫って、店の周囲に目を凝らす。微かだが、蓮の耳には不穏な物音が聞こえた。
音を辿って、キャバクラから何軒も先のコンセプトバーとスナックの間に辿り着く。濃い暗闇の中で、細かな流れ星が散っていた。
「やめてってば!」
女の引き攣った声が、建物の間に反響した。目を凝らすと、探していた嬢のドレスのビジューがチラチラと輝いていた。
「他の男んとこに行くなんて許さねえからな!」
「やだ!痛い!痛い!」
大ぶりの和太鼓を叩いたような男の怒鳴り声が続いた。
「二度と浮気なんてふざけたことできねえように顔潰してやる!」
「いや!誰か!」
蓮の爪先から二十歩ほど進んだ先で、サンドバッグを殴るような音が響く。静かに目を慣らしていた蓮は、通りの喧騒を背に浴びて、シャツの袖を捲りながらゆっくりと歩を進めた。
建物の影の中で、男は一回りも小さい嬢に馬乗りになり、丁寧に化粧を施した顔に拳骨を落としていた。蓮はわざと、傍にあった空き缶を蹴る。
「助けて!」
瞼も頬も腫らした嬢が、蓮に気付いて濡れた瞳を向けた。
男の剥き出しの腕からは、和彫りが覗いていた。
蓮は男の胸ぐらに手を伸ばし、嬢から引き剥がして、その巨体を力いっぱい壁に叩きつけた。
虚を突かれた男が、喉から呻き声を上げる。蓮は男が体勢を立て直す間に、握った拳を更に強く握り込んだ。前腕で、満月の縁をかたどっただけの黒い刺青が膨れ上がる。
「クソがよっ!」
男は吠えながら、蓮に掴みかかってきた。
蓮の顔に、男が撒き散らす唾が飛んでくる。
蓮は男の顎に掌底を打ち込んだ。
彼は甲高い悲鳴を上げながら、地面に崩れ落ちた。近づくと、靴底が柔らかいものに乗り上げた。蓮はしゃがみ込み、アリの巣を観察するように、それをじっと見つめる。小指ほどの大きさの、赤黒いのなまこのようなものが血液を染み出しながら横たわっていた。
「ああっああっ舌がっ俺のっ」
男が芋虫のように体をくねらせて悶えている。その姿を、蓮は冷ややかな目で見ていた。
十代から組に入り、もう十年が経つ。この界隈の掟やしきたりは若造の頃に叩きこまれ、闇の常識の基礎を作っていた。他人から金を巻き上げることも、殴ることも、日常動作と同じくらい簡単で面倒なことだった。蓮の世界には、ぬくもりも良心もない。鮮やかな血液に、体温の残滓が残っていることすら忘れてしまった。
蓮は芋虫を見飽きて、男の顔に唾を吐きかけた。
明るいところで放心している嬢の腕を掴み、人の流れに混じって歩く。女の泣きそうに歪めた顔は、どこもかしこも山のように腫れていた。
店に戻り、事務室に嬢を置いてボーイを呼びに行った。蓮の姿を見て、ボーイは怯えたような顔をしたが、すぐに状況を察しホールを出て行った。ふと、周囲の視線を感じて、嫌な予感と共に自分の姿を見下ろすと、鳩尾あたりに鮮血が染み付いていた。
またクリーニング屋のババアに変な目で見られるじゃねぇか。
蓮は、男を見逃してやったことを後悔した。
縄張(シマ)を荒らした奴にヤキ入れてやるのは当然だが、先程の男はそういったことすら知らないただのチンピラだった。仕置きが過ぎたとは思わないが、万が一殺してしまったら面倒だ。
飛んだ舌がくっつかどうかは知らなかったが、人通りが多いところに出ればどうにかなるだろう。
蓮は溜息をつきながら、事務室に戻ってワイシャツを脱いだ。
自慢の体のラインを見せつけるドレスを纏い、キャバ嬢たちは金魚のようにテーブルの間を泳ぎ回る。華金の夜はスーツ姿のサラリーマンが多い。照明の落とされた店内で、シャンデリアだけが下品に光っていた。
毎月のみかじめ料の代わりにこうして用心棒を請け負っているのだが、実際カタギとのトラブルで黒川蓮(くろかわれん)がこの事務室を出て行ったことはない。今日も退屈というつまみを食べながら、硬いパイプ椅子の上で晩酌をする。防犯カメラの端で、ガタイのいい男がキャバ嬢の腕を引っ張っていても、ボーイが事を収めるのを見守るだけだ。
薄いレモンサワーを呷る。洒落たワインもシャンパンも、蓮の口には合わない。ジョッキの中身は、猫が水を舐めるくらいの速さで減っていく。
アルコールが滲みこむ前に、カメラに映っていた嬢と男の姿が見えなくなっていることに気付いた。代わりに近くにいたボーイがうろうろと彷徨っている。暫く状況の確認をしていたが、嬢は戻らない。膝を叩いて、裏口から外へ出た。
酔っぱらいの合間を縫って、店の周囲に目を凝らす。微かだが、蓮の耳には不穏な物音が聞こえた。
音を辿って、キャバクラから何軒も先のコンセプトバーとスナックの間に辿り着く。濃い暗闇の中で、細かな流れ星が散っていた。
「やめてってば!」
女の引き攣った声が、建物の間に反響した。目を凝らすと、探していた嬢のドレスのビジューがチラチラと輝いていた。
「他の男んとこに行くなんて許さねえからな!」
「やだ!痛い!痛い!」
大ぶりの和太鼓を叩いたような男の怒鳴り声が続いた。
「二度と浮気なんてふざけたことできねえように顔潰してやる!」
「いや!誰か!」
蓮の爪先から二十歩ほど進んだ先で、サンドバッグを殴るような音が響く。静かに目を慣らしていた蓮は、通りの喧騒を背に浴びて、シャツの袖を捲りながらゆっくりと歩を進めた。
建物の影の中で、男は一回りも小さい嬢に馬乗りになり、丁寧に化粧を施した顔に拳骨を落としていた。蓮はわざと、傍にあった空き缶を蹴る。
「助けて!」
瞼も頬も腫らした嬢が、蓮に気付いて濡れた瞳を向けた。
男の剥き出しの腕からは、和彫りが覗いていた。
蓮は男の胸ぐらに手を伸ばし、嬢から引き剥がして、その巨体を力いっぱい壁に叩きつけた。
虚を突かれた男が、喉から呻き声を上げる。蓮は男が体勢を立て直す間に、握った拳を更に強く握り込んだ。前腕で、満月の縁をかたどっただけの黒い刺青が膨れ上がる。
「クソがよっ!」
男は吠えながら、蓮に掴みかかってきた。
蓮の顔に、男が撒き散らす唾が飛んでくる。
蓮は男の顎に掌底を打ち込んだ。
彼は甲高い悲鳴を上げながら、地面に崩れ落ちた。近づくと、靴底が柔らかいものに乗り上げた。蓮はしゃがみ込み、アリの巣を観察するように、それをじっと見つめる。小指ほどの大きさの、赤黒いのなまこのようなものが血液を染み出しながら横たわっていた。
「ああっああっ舌がっ俺のっ」
男が芋虫のように体をくねらせて悶えている。その姿を、蓮は冷ややかな目で見ていた。
十代から組に入り、もう十年が経つ。この界隈の掟やしきたりは若造の頃に叩きこまれ、闇の常識の基礎を作っていた。他人から金を巻き上げることも、殴ることも、日常動作と同じくらい簡単で面倒なことだった。蓮の世界には、ぬくもりも良心もない。鮮やかな血液に、体温の残滓が残っていることすら忘れてしまった。
蓮は芋虫を見飽きて、男の顔に唾を吐きかけた。
明るいところで放心している嬢の腕を掴み、人の流れに混じって歩く。女の泣きそうに歪めた顔は、どこもかしこも山のように腫れていた。
店に戻り、事務室に嬢を置いてボーイを呼びに行った。蓮の姿を見て、ボーイは怯えたような顔をしたが、すぐに状況を察しホールを出て行った。ふと、周囲の視線を感じて、嫌な予感と共に自分の姿を見下ろすと、鳩尾あたりに鮮血が染み付いていた。
またクリーニング屋のババアに変な目で見られるじゃねぇか。
蓮は、男を見逃してやったことを後悔した。
縄張(シマ)を荒らした奴にヤキ入れてやるのは当然だが、先程の男はそういったことすら知らないただのチンピラだった。仕置きが過ぎたとは思わないが、万が一殺してしまったら面倒だ。
飛んだ舌がくっつかどうかは知らなかったが、人通りが多いところに出ればどうにかなるだろう。
蓮は溜息をつきながら、事務室に戻ってワイシャツを脱いだ。
2
あなたにおすすめの小説
ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない
絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。
旦那様の愛が重い
おきょう
恋愛
マリーナの旦那様は愛情表現がはげしい。
毎朝毎晩「愛してる」と耳元でささやき、隣にいれば腰を抱き寄せてくる。
他人は大切にされていて羨ましいと言うけれど、マリーナには怖いばかり。
甘いばかりの言葉も、優しい視線も、どうにも嘘くさいと思ってしまう。
本心の分からない人の心を、一体どうやって信じればいいのだろう。
ヤクザの組長は随分と暇らしい
海野 月
恋愛
キャバクラでバイトするリカ
店に来たヤクザの組長である中井律希のテーブルにつかされた
目当ての女の接客じゃないことに面倒くさそうな態度だったこの男。それがどうして――
「リカちゃん。俺の女になって」
初めての彼氏がヤクザなんて絶対にごめんだ!
汚い手も使いながらあの手この手で迫ってくる中井を躱し、平和な日常を取り戻そうとあがくストーリー
お隣さんはヤのつくご職業
古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。
残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。
元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。
……え、ちゃんとしたもん食え?
ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!!
ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ
建築基準法と物理法則なんて知りません
登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。
2020/5/26 完結
義弟と一夜の過ちを犯したら過ちじゃなくなった
無色
恋愛
義理の姉弟として出会ったミレイアとラルフは、時を重ねる中で禁断の恋に落ちる。
貴族社会のしがらみを乗り越えて駆け落ちし、共に新しい人生を築く物語。
虚弱なヤクザの駆け込み寺
菅井群青
恋愛
突然ドアが開いたとおもったらヤクザが抱えられてやってきた。
「今すぐ立てるようにしろ、さもなければ──」
「脅してる場合ですか?」
ギックリ腰ばかりを繰り返すヤクザの組長と、治療の相性が良かったために気に入られ、ヤクザ御用達の鍼灸院と化してしまった院に軟禁されてしまった女の話。
※なろう、カクヨムでも投稿
6年分の遠回り~いまなら好きって言えるかも~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
私の身体を揺らす彼を、下から見ていた。
まさかあの彼と、こんな関係になるなんて思いもしない。
今日は同期飲み会だった。
後輩のミスで行けたのは本当に最後。
飲み足りないという私に彼は付き合ってくれた。
彼とは入社当時、部署は違ったが同じ仕事に携わっていた。
きっとあの頃のわたしは、彼が好きだったんだと思う。
けれど仕事で負けたくないなんて私のちっぽけなプライドのせいで、その一線は越えられなかった。
でも、あれから変わった私なら……。
******
2021/05/29 公開
******
表紙 いもこは妹pixivID:11163077
【完結】深く青く消えゆく
ここ
恋愛
ミッシェルは騎士を目指している。魔法が得意なため、魔法騎士が第一希望だ。日々父親に男らしくあれ、と鍛えられている。ミッシェルは真っ青な長い髪をしていて、顔立ちはかなり可愛らしい。背も高くない。そのことをからかわれることもある。そういうときは親友レオが助けてくれる。ミッシェルは親友の彼が大好きだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる