「二度と顔を見せるな!」と私に告げた貴方は、

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17 まだ婚前

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カロルに手を引かれて、シモーヌが部屋から出てきた。
説得と、生ハムとメロンのサンドイッチが効いたようだ。
周囲は「やれやれ」と思っただけで口にはしない。

理想的な錨地にアンカーを落とした船は、凪いだ海面で停止していた。
船首傍では神父然とキャプテンが若い二人を待ち構えている。
参列者の先頭に立つリュカがさっと手を伸ばしてシモーヌを捉まえ、列に引っ張り込む。
そこでシモーヌと別れたカロルが、振り返って待つセドリックを仰ぎ見た。
踝丈の白いワンピースは清楚で、彼女によく似合っていた。
裾に花のプリントと刺繍があしらわれている。足元は華奢な白いミュールで、涼やかだがデッキ上では少し危なっかしい。

夏仕様でも堅苦しい詰襟姿のセドリックは、片手を差し出してカロルを呼ぶ。
彼女は、胸元に抱えた丸いブーケが霞んで見えるほど可憐な笑みを浮かべてセドリックの手に掴まり、そっと体を寄り添わせた。

キャプテンの前に二人で並ぶ。
神父の背後には祭壇が無い代わりにどこまでも青い海が広がっている。
神の前に立っている、と思えた。神が二人を祝福していると。

「それでは誓いの口付けを――」

指輪交換等が無かったのでメインイベントはすぐだ。
セドリックはカロルの肩に軽く手を添えると、可憐な唇、のすぐ傍の頬に掠めるような口付けを落とした。
子供らへの配慮もあるし、慎みを重んじる帝国では頬にするのが普通で、唇同士を重ねるカップルの方が稀である。
拍手と歓声が沸いた。
即席参列者となってくれたクルー達に心から礼を述べたい。



ディナーを終えて尚、シモーヌはスパークリングワインを呷っていた。
「飲み過ぎです。大して飲めないでしょうに」とカロルが窘めた傍から、シモーヌの頭がテーブルの上にゴンッと落ちた。
全くもう、とカロルが呆れ、隣の席から手を伸ばしてシモーヌ肩を叩く。
席を立ったセドリックはカロルに加勢し、酔っ払いの肩を強めに揺さぶった。

「シモーヌ嬢、自分で立って歩け」
「うううええええ」

人語を忘れている模様。手に負えないので、女性クルー達を呼び出して部屋に連れて行ってもらった。
酔っ払いを見送ったところで、リュカが「僕もそろそろ寝よっと」と言って跳ねるように椅子から下りた。

「お休みなさい、叔父上。カロル、また明日ね」

セドリックは頷き、カロルは微笑んだ。

「最低でも五分間は歯を磨いてくださいね、リュカ」
「分かってるよ。カロルこそ敬語は無しだよ。もう家族なんだから」
「分かりま、分かったわ。お休み、リュカ」
「お休みー」

八歳児の体は、またウサギのように跳ねて食堂から出て行った。
暫くセドリックは、カロルと共にデザートワインを堪能していた。ガラス張りの窓があるので、照明を落とせば室内からでも星空が見えた。
アルコールで少し頬を染めたカロルが、ぽうっと星を眺めながら口を開いた。

「今日は……」
「ん?」
「初夜……?」

セドリックはワインを噴いた。赤ワインでなかったのは不幸中の幸いだ。
ナプキンで口元を拭い、カロルを見る。ぽうっとした目でセドリックを見返したカロルは、今やっと口にした内容を自覚したという顔になって「ああ」と項垂れた。

「申し訳ありません。変な事を言いました。酔ってます私」
「いや、いいんだ」

ワイングラスを放り出したセドリックは、テーブル上に身を乗り出してカロルににじり寄った。

「君さえ良ければ、同じベッドをぜひ……」

カロルはチラリと目線を上げてセドリックを見て、そろりと逸らす。
白い頬も耳も、キャミソールで晒した肩も赤い。とても色っぽい。
密かに息を呑み、セドリックはテーブルに置かれたカロルの手にそっと触れた。

「部屋に行こう」

またチラリとセドリックを窺い見たカロルは、触れた指先をそろりと返してセドリックと掌を合わせる。それからこくりと、小さな頭を上下させた。
途端、自分の心音が大砲みたいに鳴ったのをセドリックは聞いた。



誓い合った仲ではあっても世間的には二人はまだ婚前である。
とはいえ、

「君を抱き締めて眠れれば、それで充分幸せだ」

などとは、セドリックは言わなかった。
それを言うには成熟が足りない。若い体は、老成には程遠い。
軽やかなカロルを丁重に抱えて部屋に戻ると、ベッドに下ろした彼女の上に覆い被さってメインイベントでお預けにした念願の唇に向かった。
遠慮がちに口付けたのは最初だけで、カロルが嫌がらないと分かるや右から左からしつこく吸った。
彼女の息継ぎのタイミングで濃厚さを増しながら、同時に彼女の服に手をかけた。
白い肌が露わになっていく。裾が捲れ上がり、曝け出された白い太腿が眩しい。

「カロル、可愛い。私の妻――」

呼吸を荒げ、なめらかな素肌の感触を掌でしかと確かめた後、いよいよセドリックは彼女の下の下着を脱がしにかかった。
繊細な生地を掴んだ時、カロルが「あ」とか細い声を上げた。

「あの、セドリック様」
「ああ大丈夫だ。恐い事は何もない。全て私に任せておけ」
「いえ、あの、お持ちですか?」
「この、レースというのは少し力を入れただけでも破れそうだな。慎重に脱がさねば……」
「避妊具のご準備はおありですか?」
「ああ避妊具の――」

シーツの狭間で繊細な下着と格闘していたセドリックは、顔を上げてカロルと目を合わせた。
どこか不安げに揺れる、潤んだ瞳がセドリックを窺っている。
セドリックは答えた。

「……準備は、ある」
「あるのですか? そうですか……」

カロルの声のトーンが落ちた。
今絶対何か良くない想像をされたぞ、とセドリックは慌てた。
頻繁に船室に女を連れ込んでいるから準備が良い、と勘違いされた可能性がある。

「いや違う。こんな事もあろうかと――」

いやこれも違う。最初からカロルを寝室に連れ込もうなどと目論んでいなかった。でも今の言い方ではそうとしか聞こえない。
どちらも死地でどちらも違う。偶々だ。かなり前に購入したものが偶々あるというだけ――なのだが。

――これも言えん。

言えば今度は、じゃあかなり前に一体誰相手に使ったのかという話になる。
誰って、だから商売の……。断じて船に連れ込んだりしていない。
そもそも購入日は大昔――と思い至り、セドリックは震撼した。
ゴムの経年劣化が懸念される。つまり使えない。つまり、

――出来ん。

少なくとも年末まで仕事をするカロルは、ここで身籠る訳にはいかない。
セドリックはがっくりと項垂れた。
のそのそとカロルの上から退き、懲りず項垂れ、蹲る。

「……殺してくれ」
「セドリック様? 大丈夫ですか。エスカルゴみたいです」

カロルは可愛く、優しい。
一番軽傷で済む言い訳で、セドリックはゴムの件を切り抜けた。

「あわよくば君との夜を期待し……」
「セドリック様。それは今となっては構わない事です」
「構わんのか。心が広い」
「誓い合った仲ですから。ただ私の方の準備が無く、聊か障りが」
「君の準備? ああ……」

避妊のマナーとして男性はゴムを装着し、女性はピルを服用する。
望まない妊娠のリスクは男女共に等しくある。あくまでも望まない妊娠の話だ。
セドリックは項垂れたまま上半身を起こした。

「……急ぐ事は無い。君を抱き締めて眠れれば、それで充分幸せだ」

結局、嘘でも本当でもない事を口走る羽目になった。

この後、互いに風呂を使い、言った通りセドリックはカロルを腕に抱いて眠りに付いた。
少々の切なさは伴ったが充分幸せだった。





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