135 / 180
135 諦める人、諦められない人
冷たかった朝霧の腕が、手が、だんだんと温かくなっていくのを感じながら、その呼吸に身を委ねている。
俺、本当に慣らされたな。
こんな風に抱き込まれる、なんて子供の頃以来だぞ。
俺は、抱き込む側だと思っていたのに。
広い胸がゆっくり膨らんで、ゆっくり沈む。
緩まない腕の中、朝霧が息を吸い込むたび、俺が窮屈になる。
ぬくぬく伝わる温かさに包まれ、力を抜いて体を預けている。
悪くないと思ってしまう自分に苦笑した。
居心地良いよ、お前。
……それを口にすることは、ないだろうけれど。
もう一度苦笑と共に、息を吐き出して。
ゆっくりまぶたを落として。
――そして、ぱちっと開けた。
「おい、もう時間切れだ。放せ放せ!」
ぺちぺち叩くと、顔を伏せたままの朝霧の腕が余計に締まった。
「……延長」
「無理! 腹減ったんだよ、お前も減ってんだろ」
「……」
結構長い逡巡の後、ようやく腕が緩み始めた。
むくれたような、不貞腐れたような、怖くない朝霧の表情。
すげえ近い距離にある、その精悍な顔。
やっと、まっすぐ俺を見たいつもの強い瞳。
……距離感、おかしいからな?
こんな距離になる時って、普通――
間近く絡んで離さなかった朝霧の視線が、わずかに、下にずれた。
ちらりと覗く、瞳の奥の炎。
ぎくり、跳ねる心臓を感じて、慌てて緩んだ腕をくぐり抜ける。
素早く距離をとって一息つくと、何事もなかったように振り返った。
「お前、何食う? 朝飯……つうか、もう昼?」
「……なんでも」
額を押さえて眉間にしわを寄せている朝霧を見て、苦笑する。
そうだよ、お前、反省しろ。
危ねえやつ。
速い鼓動を無視して冷蔵庫を覗き込む。
ついてきた朝霧が自分の席に座ったのを確認して、意識して思考を切り替えた。
「あー。年末年始用に食料買いだめしとかなきゃだな」
「年末年始?」
「まあ最近は店も結構開いてるけどさ、安いとこは閉まってたりするし。あと、俺自身買い物行きたくねえし」
考えるのが面倒なので、もうラーメンでいいかと材料を取り出しながら答える。
ふと、朝霧が黙り込んでいるのに気が付いて、振り返った。
黙って自分の指先を見ている朝霧の表情が、どこか暗い。
何か言おうとして、ぐっと唇を結んだのが分かる。
きっと、俺が見ていることに気づいていないだろう。
耳もしっぽも垂らして俯く大きな犬は、どうしたって俺の胸を揺らす。
ずるいだろ、そんな顔。
「なんだよ? デカわんこ」
つい、そうからかってわしゃわしゃと髪をかき混ぜてやった。
なんか、すげえナーバスになってんな。
お前が、そんなに揺らぐことがあるなんて。
俺がフォローできることが嬉しい……なんて思うのは、やっぱり性格が悪い。
ハッとこちらを見上げた朝霧が、むすっと視線をそらす。
「……犬じゃない」
「お前、猫派? 猫もかわいいけど、俺昔犬飼ってたからさ」
「じゃあ犬でいい。代わりに俺でいいだろ」
「誤解を招くようなこと言うなよ?!」
お前のトーンじゃ冗談にならねえからな?!
結局、何が言いたいのか分からないまま、少し気分の上向いた様子に笑って、調理に戻った。
フライパンにニンニクを香り立たせ、朝霧用と出汁代わりにぶつ切りの鶏肉をじっくり焼いて。野菜は何を入れようか。
冷蔵庫から白菜を取り出したところで、ぼそりと小さな声が聞こえた。
「……やっぱり、ダメか?」
「え、なんて? ダメ? 何が?」
まったく心当たりなく、首を傾げる。
視線の合わない朝霧が、言い淀んで口を開いたり閉じたりして。
これは思ったより深刻なことか、と椅子を引き寄せ、隣から覗き込んだ。
「何の話だよ。ちゃんと言え」
「…………旅行。無理か? 俺とは」
こちらを向いた朝霧の目が、まともに俺に突き刺さる。
諦めたような、押し殺したような、よくよく自制のきいた瞳。
ぐっと、胸が詰まった。
「旅行……って。……ああ、あれか! 雪見温泉?」
こくり、と頷いた朝霧に手を伸ばしたくなって、椅子を握りしめた。
そうか、まとまった休みがあるの、年始だもんな。
お前、そんなに楽しみにしてたの。
「なんでだよ、お前の休みは把握してるって言ったろ? 温泉入って帰るだけなら、2日あれば行けんだよ。年始に行きたかったか?」
す、と息を呑んだ朝霧が、ゆっくりそれを吐き出した。
「……いい、のか?」
「いいも何も、お前しか今のところ手札はねえんだよな。お前が行けねえなら……あ、後輩か宮城さんあたり声かけ――」
「俺と行くと言った」
途端にまなじりを険しくする朝霧がおかしくて、つい吹き出した。
あのな、俺も楽しみにしてたんだよ。
「じゃあ、年始にするか? けど、高いぞ? あと、今から宿取れるか……?」
「俺が出す。高くていい」
「俺が嫌だわ?! まー、そりゃ年始の方がイベントも多いし、楽しいのかもなあ。ここしばらく旅行なんて行ってなかったし、豪勢に行くのもアリかもな」
「旅行はずっと行ってない。遠征くらいだ」
「寂しいな?! そりゃ、パーッと行くべきだな?!」
確かに、確かに朝霧の生活スタイルからすれば、旅行とか行くはずない。
うわ、責任重大だ。
「よし、旅行雑誌でも買って計画練るか!」
「ああ」
無表情のはずだったその顔が、大きく笑み崩れた。
素直に胸の内を晒す、その光。
まともに浴びた俺は、しばらく息を止める羽目になったのだった。
俺、本当に慣らされたな。
こんな風に抱き込まれる、なんて子供の頃以来だぞ。
俺は、抱き込む側だと思っていたのに。
広い胸がゆっくり膨らんで、ゆっくり沈む。
緩まない腕の中、朝霧が息を吸い込むたび、俺が窮屈になる。
ぬくぬく伝わる温かさに包まれ、力を抜いて体を預けている。
悪くないと思ってしまう自分に苦笑した。
居心地良いよ、お前。
……それを口にすることは、ないだろうけれど。
もう一度苦笑と共に、息を吐き出して。
ゆっくりまぶたを落として。
――そして、ぱちっと開けた。
「おい、もう時間切れだ。放せ放せ!」
ぺちぺち叩くと、顔を伏せたままの朝霧の腕が余計に締まった。
「……延長」
「無理! 腹減ったんだよ、お前も減ってんだろ」
「……」
結構長い逡巡の後、ようやく腕が緩み始めた。
むくれたような、不貞腐れたような、怖くない朝霧の表情。
すげえ近い距離にある、その精悍な顔。
やっと、まっすぐ俺を見たいつもの強い瞳。
……距離感、おかしいからな?
こんな距離になる時って、普通――
間近く絡んで離さなかった朝霧の視線が、わずかに、下にずれた。
ちらりと覗く、瞳の奥の炎。
ぎくり、跳ねる心臓を感じて、慌てて緩んだ腕をくぐり抜ける。
素早く距離をとって一息つくと、何事もなかったように振り返った。
「お前、何食う? 朝飯……つうか、もう昼?」
「……なんでも」
額を押さえて眉間にしわを寄せている朝霧を見て、苦笑する。
そうだよ、お前、反省しろ。
危ねえやつ。
速い鼓動を無視して冷蔵庫を覗き込む。
ついてきた朝霧が自分の席に座ったのを確認して、意識して思考を切り替えた。
「あー。年末年始用に食料買いだめしとかなきゃだな」
「年末年始?」
「まあ最近は店も結構開いてるけどさ、安いとこは閉まってたりするし。あと、俺自身買い物行きたくねえし」
考えるのが面倒なので、もうラーメンでいいかと材料を取り出しながら答える。
ふと、朝霧が黙り込んでいるのに気が付いて、振り返った。
黙って自分の指先を見ている朝霧の表情が、どこか暗い。
何か言おうとして、ぐっと唇を結んだのが分かる。
きっと、俺が見ていることに気づいていないだろう。
耳もしっぽも垂らして俯く大きな犬は、どうしたって俺の胸を揺らす。
ずるいだろ、そんな顔。
「なんだよ? デカわんこ」
つい、そうからかってわしゃわしゃと髪をかき混ぜてやった。
なんか、すげえナーバスになってんな。
お前が、そんなに揺らぐことがあるなんて。
俺がフォローできることが嬉しい……なんて思うのは、やっぱり性格が悪い。
ハッとこちらを見上げた朝霧が、むすっと視線をそらす。
「……犬じゃない」
「お前、猫派? 猫もかわいいけど、俺昔犬飼ってたからさ」
「じゃあ犬でいい。代わりに俺でいいだろ」
「誤解を招くようなこと言うなよ?!」
お前のトーンじゃ冗談にならねえからな?!
結局、何が言いたいのか分からないまま、少し気分の上向いた様子に笑って、調理に戻った。
フライパンにニンニクを香り立たせ、朝霧用と出汁代わりにぶつ切りの鶏肉をじっくり焼いて。野菜は何を入れようか。
冷蔵庫から白菜を取り出したところで、ぼそりと小さな声が聞こえた。
「……やっぱり、ダメか?」
「え、なんて? ダメ? 何が?」
まったく心当たりなく、首を傾げる。
視線の合わない朝霧が、言い淀んで口を開いたり閉じたりして。
これは思ったより深刻なことか、と椅子を引き寄せ、隣から覗き込んだ。
「何の話だよ。ちゃんと言え」
「…………旅行。無理か? 俺とは」
こちらを向いた朝霧の目が、まともに俺に突き刺さる。
諦めたような、押し殺したような、よくよく自制のきいた瞳。
ぐっと、胸が詰まった。
「旅行……って。……ああ、あれか! 雪見温泉?」
こくり、と頷いた朝霧に手を伸ばしたくなって、椅子を握りしめた。
そうか、まとまった休みがあるの、年始だもんな。
お前、そんなに楽しみにしてたの。
「なんでだよ、お前の休みは把握してるって言ったろ? 温泉入って帰るだけなら、2日あれば行けんだよ。年始に行きたかったか?」
す、と息を呑んだ朝霧が、ゆっくりそれを吐き出した。
「……いい、のか?」
「いいも何も、お前しか今のところ手札はねえんだよな。お前が行けねえなら……あ、後輩か宮城さんあたり声かけ――」
「俺と行くと言った」
途端にまなじりを険しくする朝霧がおかしくて、つい吹き出した。
あのな、俺も楽しみにしてたんだよ。
「じゃあ、年始にするか? けど、高いぞ? あと、今から宿取れるか……?」
「俺が出す。高くていい」
「俺が嫌だわ?! まー、そりゃ年始の方がイベントも多いし、楽しいのかもなあ。ここしばらく旅行なんて行ってなかったし、豪勢に行くのもアリかもな」
「旅行はずっと行ってない。遠征くらいだ」
「寂しいな?! そりゃ、パーッと行くべきだな?!」
確かに、確かに朝霧の生活スタイルからすれば、旅行とか行くはずない。
うわ、責任重大だ。
「よし、旅行雑誌でも買って計画練るか!」
「ああ」
無表情のはずだったその顔が、大きく笑み崩れた。
素直に胸の内を晒す、その光。
まともに浴びた俺は、しばらく息を止める羽目になったのだった。
あなたにおすすめの小説
また恋人に振られたので酒に飲まれていたらゴツい騎士に求婚していた件
月衣
BL
また恋人に振られた魔導省のエリート官吏アルヴィス。失恋のショックで酒に溺れた彼は勢いのまま酒場に現れた屈強な王宮騎士ガラティスに求婚してしまう。
翌朝すべての記憶を保持したまま絶望するアルヴィスだったが当のガラティスはなぜか本気だった。
「安心しろ。俺は誠実な男だ。一度決めたことは覆さない」
逃げようとするエリート魔導師と絶対に逃がさない最強騎士
貢ぎ体質な男が捕まる強制恋愛コメディのつもりです!!
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
完結しました!ありがとうございました。
【短編】初対面の推しになぜか好意を向けられています
大河
BL
夜間学校に通いながらコンビニバイトをしている黒澤悠人には、楽しみにしていることがある。それは、たまにバイト先のコンビニに買い物に来る人気アイドル俳優・天野玲央を密かに眺めることだった。
冴えない夜間学生と人気アイドル俳優。住む世界の違う二人の恋愛模様を描いた全8話の短編小説です。箸休めにどうぞ。
※「BLove」さんの第1回BLove小説・漫画コンテストに応募中の作品です
好きな人がカッコ良すぎて俺はそろそろ天に召されるかもしれない
豆ちよこ
BL
男子校に通う棚橋学斗にはとってもとっても気になる人がいた。同じクラスの葛西宏樹。
とにかく目を惹く葛西は超絶カッコいいんだ!
神様のご褒美か、はたまた気紛れかは知らないけど、隣同士の席になっちゃったからもう大変。ついつい気になってチラチラと見てしまう。
そんな学斗に、葛西もどうやら気付いているようで……。
□チャラ王子攻め
□天然おとぼけ受け
□ほのぼのスクールBL
タイトル前に◆◇のマークが付いてるものは、飛ばし読みしても問題ありません。
◆…葛西視点
◇…てっちゃん視点
pixivで連載中の私のお気に入りCPを、アルファさんのフォントで読みたくてお引越しさせました。
所々修正と大幅な加筆を加えながら、少しづつ公開していこうと思います。転載…、というより筋書きが同じの、新しいお話になってしまったかも。支部はプロット、こちらが本編と捉えて頂けたら良いかと思います。
捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~
水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。
死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!?
「こんなところで寝られるか!」
極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く!
ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。
すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……?
「……貴様、私を堕落させる気か」
(※いいえ、ただ快適に寝たいだけです)
殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。
捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!
無口なきみの声を聞かせて ~地味で冴えない転校生の正体が大人気メンズアイドルであることを俺だけが知っている~
槿 資紀
BL
人と少し着眼点がズレていることが密かなコンプレックスである、真面目な高校生、白沢カイリは、クラスの誰も、不自然なくらい気にしない地味な転校生、久瀬瑞葵の正体が、大人気アイドルグループ「ラヴィ」のメインボーカル、ミズキであることに気付く。特徴的で魅力的な声を持つミズキは、頑ななほどに無口を貫いていて、カイリは度々、そんな彼が困っているところをそれとなく助ける毎日を送っていた。
ひょんなことから、そんなミズキに勉強を教えることになったカイリは、それをきっかけに、ミズキとの仲を深めていく。休日も遊びに行くような仲になるも、どうしても、地味な転校生・久瀬の正体に、自分だけは気付いていることが打ち明けられなくて――――。
【完結済】俺のモノだと言わない彼氏
竹柏凪紗
BL
「俺と付き合ってみねぇ?…まぁ、俺、彼氏いるけど」彼女に罵倒されフラれるのを寮部屋が隣のイケメン&遊び人・水島大和に目撃されてしまう。それだけでもショックなのに壁ドン状態で付き合ってみないかと迫られてしまった東山和馬。「ははは。いいねぇ。お前と付き合ったら、教室中の女子に刺されそう」と軽く受け流した。…つもりだったのに、翌日からグイグイと迫られるうえ束縛まではじまってしまい──?!
■青春BLに限定した「第1回青春×BL小説カップ」最終21位まで残ることができ感謝しかありません。応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?