現実的な愛の妄想

タロウ

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休みの日は、どうしてこうも時間が重たいんだろう。
 午前中に洗濯機を回し、スーパーで買い物を済ませ、昼過ぎに帰宅した。それだけで、やることが尽きてしまった。
 ベランダに干したシャツが風に揺れているのを眺めながら、私はスマホを握りしめる。
 机の上には、先日受け取った小さなカード。
 白地に数字とアルファベットが一行だけ。――彼の連絡先。

 あの夜から、ずっと胸の奥が落ち着かない。
 目を閉じれば、彼の手が浮かぶ。境目を撫で、焦らすように逸らし、甘い波を連続で引き起こしたあの感覚。
 「たった二度」しか会っていないのに、私の体はもう知ってしまっている。
 仕事上の関係。絶対に越えてはいけない線。分かってる。分かってるのに――。

 昼食を作る気も起きず、カップスープで済ませる。
 飲み干したあとも、頭に残るのはあの低い声。
 “そのままでいいですか”。
 ただの確認のはずなのに、どうしてあんなに身体の奥に残っているのか。

 ソファに寝転がり、スマホを顔の上に掲げる。
 メモに打ち込む。
 『先日はありがとうございました。また機会があれば』
 ……送信ボタンの赤がやけに鮮やかに見える。
 指先が近づいて――慌てて消す。

 何度も繰り返す。
 『こんにちは』『ご迷惑でなければ』『連絡してみました』
 全部、消す。
 消しては打ち、打っては消し。
 指先が震える。

 時計を見ると、午後三時半。
 昼下がりの光が部屋を斜めに照らし、カーテンの影が揺れている。
 たった一行の数字に、どうして私はこんなに怯えているんだろう。

 「迷惑かも」
 「嫌がられるかも」
 「既読スルーされたらどうしよう」
 考えれば考えるほど、動けなくなる。

 でも――。

 心の奥で、別の声が囁く。
 「このまま黙ってたら、きっと一生後悔する」
 あの夜みたいな感覚は、他の誰とも共有できなかった。
 “あの人だから”だった気がする。
 いや、違う。そう思いたいだけかもしれない。
 でも、もし本当にそうなら――。

 夕方になって、部屋の隅が薄暗くなり始めたころ。
 私はついにカードを取り上げた。
 スマホに文字を打ち込む。
 『先日はありがとうございました。ご迷惑でなければ、少しお話できたら嬉しいです』

 見直す。
 当たり障りのない文面。媚びすぎてもいない。踏み込みすぎてもいない。
 でも、私がここまで打つのに、丸一日かかっている。

 指先が震える。
 もう何度目か分からない深呼吸をして、送信を押した。

 ピコン、と軽い音。
 心臓が大きく跳ねる。後悔が喉を締め上げる。
 「やっぱりやめればよかった」
 「どうしよう、既読すらつかないかも」

 スマホを伏せる。
 数秒。数十秒。耐えられずに画面を点ける。

 ――既読。

 その二文字が、光った。
 返事はない。けれど、彼が見た。確かに見た。
 たったそれだけで、胸の奥がじわじわ熱くなる。
 「既読になった」という事実に、こんなに救われるなんて。
 私はスマホを抱きしめ、シーツに顔を埋めた。

 これが愚かさだと分かっている。
 でも、既読だけで満たされてしまうくらい、私はもう惹かれている。
 “客とセラピスト”として二度会っただけの相手に。
 笑えるほど簡単に、心も体も傾いている。

 画面は無言のまま。
 けれど私は、既読の文字に頬を染め、微かに笑ってしまう。
 「……バカみたい」
 そう呟いて、またスマホを胸に抱き締めた。
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