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第6話:砂上の楼閣
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レオナルドとの関係は、徐々に、しかし確実に、変化していった。
彼は、私の言葉を理解するために、そして、私の好きなものを知るために、貪欲に知識を吸収した。
私は、彼が不器用な誠意で、貴族の教養を学ぼうとする姿に、心惹かれていった。
それは、私の周囲では決して見ることのできなかった、純粋で、真摯な努力にみえた。
私は、彼に、絵画やオペラ、文学について語るのが、楽しくなっていた。
彼の瞳は、私の言葉を受け取るたびに、まるで、初めて見つけた星の名を聞くように、瑞々しく輝いた。
私は、まるで、よく育つ庭木に毎日水遣りをすることが、楽しみで仕方ない庭師のような、不思議な気持ちになっていた。
そして、このまま、この穏やかな時間が続けば良い、そう私は、密かに願っていた。
今まで、貴族令嬢としての自らの在り方にしか、関心を持ってこなかった私は、確実に変化していた。
その変化は私の内面のみならず、行動にまで及び、いつしか、レオナルドが行きつけだという、下町にある庶民的な店に共に連れ立って、出かけるようにまでなっていた。
これは以前の私には、決して考えられないような事だった。
ある日の午後、レオナルドが連れてきてくれた、街中にある紅茶専門店で、私達は紅茶を楽しんでいた。
私の好きな、香り高いアールグレイの茶葉の芳香が店内に広がっている。
家族や、以前の婚約者と出掛けたような、豪奢で気取った内装ではなかったが、それとは正反対の、どこか素朴な佇まいに、心が穏やかになるような感じがして、かえって今の私は惹かれた。
そして、初めて訪れたこの店を、すっかり気に入ってしまったのだった。
「気に入ってくれたようで、良かったです」
カップを手にしてた彼は、微笑んだ。
リーゼロッテは、視界の端に少し傷んだ茶褐色の髪を無造作に結んだ、健康的な色の肌をした少女が映り込むのを認めた。
その少女は、レオナルドを目にとめると、彼に親しげに話しかけた。
「あら、レオじゃないの!
久しぶり、最近めっきり見かけないから、どうしているのかと思っていたわ」
「リンダ、久しぶりだな」
彼は、リンダと呼んだ少女に、優しく微笑んだ。
それは私に向ける笑顔とは少しだけ異なる、砕けた笑み。
その時、私は少しだけ、心の中がザラついたような感覚を覚えた。
少女は会話を続けた。
「それにしても、レオはどうして紅茶なんて飲んでいるの?この店で会うなんて、驚いたわ。しかも、香りが強いアールグレイだなんて…あなた紅茶が嫌いだったんじゃ…」
「リンダ!今は大切な話をしているから、また今度にしてくれないか」
話を遮るように、彼女の声に被せるように、彼は珍しく声を荒げて言った。
「紅茶が嫌いって…どういう」
私は、リンダという少女の言葉の内容が理解できず、思わず聞き返してしまった。
「あなたはレオと一緒に居るくせに、彼のことを何も知らないのね。そもそも、あなたは彼の何なの?」
彼女は私を嘲笑するような口調で問うた。
「わたくしは、…彼の婚約者です」
彼女は、私を上から下まで舐め回すように、じっくりと観察した。
「良いところのお嬢さんみたいね。どうせ、身分を笠に着て、彼を跪かせただけでしょう?レオは優しいから、あなたが偉そうな貴族だから合わせてあげているだけよ!」
「……」
私は、彼女の言葉に、何の反応も出来ないでいた。
すると、彼が横から口を挟んだ。
「やめるんだ、リンダ!失礼だろう」
***
その日は、散々だった。
知らなかった、レオナルドが紅茶を嫌いだったなんて...。
彼は私のことを知ろうと努力してくれたのに、私は彼のことを何一つと言っていいほど知らなかった。
私は自分の知識をひけらかしたり、好きなものばかりを語ったり、彼が楽しそうに話を聴いてくれることに甘え、ひとり悦に浸っていたが、彼が何を考えているのか、知ろうともしなかった。
あのリンダという少女の言葉で、この関係はひとえに、彼の努力と誠意だけで成り立っていた関係だと、思い知らされたような気がした。
彼は、私のために、自分自身は興味も何もない紅茶の専門店を丹念に調べ、私に不愉快な思いをさせない為に、微笑みすら浮かべて、好きでもない紅茶を無理に飲み干していたのだ。
それに、妙に親しげに見えた彼と彼女の関係も気になった。私に対しては決して口にしないような、ぶっきらぼうな言葉が、かえって親密さを感じさせるようで、思い出す度に胸が掻き乱された。
没落したとはいえ、私の方が身分が上なのだから、私が彼を棄てることはあっても、逆などあり得ない、と無意識のうちに思い込んでいたのだ。
それは私の愚かな傲慢だった。
彼の気持ちが変われば、この関係は一瞬で砂の城のように簡単に崩れ去ってしまうだろう。
それは、急に足元が覚束なくなるような、とても恐ろしいことのように思われた。
彼は私にたくさんの優しさと思いやりを呉れた。
けれど、私はそんな彼に対して、何を与えられるのだろう。
その晩から、幾度も考えてみたが、そう簡単に答えは出そうになかった。
彼は、私の言葉を理解するために、そして、私の好きなものを知るために、貪欲に知識を吸収した。
私は、彼が不器用な誠意で、貴族の教養を学ぼうとする姿に、心惹かれていった。
それは、私の周囲では決して見ることのできなかった、純粋で、真摯な努力にみえた。
私は、彼に、絵画やオペラ、文学について語るのが、楽しくなっていた。
彼の瞳は、私の言葉を受け取るたびに、まるで、初めて見つけた星の名を聞くように、瑞々しく輝いた。
私は、まるで、よく育つ庭木に毎日水遣りをすることが、楽しみで仕方ない庭師のような、不思議な気持ちになっていた。
そして、このまま、この穏やかな時間が続けば良い、そう私は、密かに願っていた。
今まで、貴族令嬢としての自らの在り方にしか、関心を持ってこなかった私は、確実に変化していた。
その変化は私の内面のみならず、行動にまで及び、いつしか、レオナルドが行きつけだという、下町にある庶民的な店に共に連れ立って、出かけるようにまでなっていた。
これは以前の私には、決して考えられないような事だった。
ある日の午後、レオナルドが連れてきてくれた、街中にある紅茶専門店で、私達は紅茶を楽しんでいた。
私の好きな、香り高いアールグレイの茶葉の芳香が店内に広がっている。
家族や、以前の婚約者と出掛けたような、豪奢で気取った内装ではなかったが、それとは正反対の、どこか素朴な佇まいに、心が穏やかになるような感じがして、かえって今の私は惹かれた。
そして、初めて訪れたこの店を、すっかり気に入ってしまったのだった。
「気に入ってくれたようで、良かったです」
カップを手にしてた彼は、微笑んだ。
リーゼロッテは、視界の端に少し傷んだ茶褐色の髪を無造作に結んだ、健康的な色の肌をした少女が映り込むのを認めた。
その少女は、レオナルドを目にとめると、彼に親しげに話しかけた。
「あら、レオじゃないの!
久しぶり、最近めっきり見かけないから、どうしているのかと思っていたわ」
「リンダ、久しぶりだな」
彼は、リンダと呼んだ少女に、優しく微笑んだ。
それは私に向ける笑顔とは少しだけ異なる、砕けた笑み。
その時、私は少しだけ、心の中がザラついたような感覚を覚えた。
少女は会話を続けた。
「それにしても、レオはどうして紅茶なんて飲んでいるの?この店で会うなんて、驚いたわ。しかも、香りが強いアールグレイだなんて…あなた紅茶が嫌いだったんじゃ…」
「リンダ!今は大切な話をしているから、また今度にしてくれないか」
話を遮るように、彼女の声に被せるように、彼は珍しく声を荒げて言った。
「紅茶が嫌いって…どういう」
私は、リンダという少女の言葉の内容が理解できず、思わず聞き返してしまった。
「あなたはレオと一緒に居るくせに、彼のことを何も知らないのね。そもそも、あなたは彼の何なの?」
彼女は私を嘲笑するような口調で問うた。
「わたくしは、…彼の婚約者です」
彼女は、私を上から下まで舐め回すように、じっくりと観察した。
「良いところのお嬢さんみたいね。どうせ、身分を笠に着て、彼を跪かせただけでしょう?レオは優しいから、あなたが偉そうな貴族だから合わせてあげているだけよ!」
「……」
私は、彼女の言葉に、何の反応も出来ないでいた。
すると、彼が横から口を挟んだ。
「やめるんだ、リンダ!失礼だろう」
***
その日は、散々だった。
知らなかった、レオナルドが紅茶を嫌いだったなんて...。
彼は私のことを知ろうと努力してくれたのに、私は彼のことを何一つと言っていいほど知らなかった。
私は自分の知識をひけらかしたり、好きなものばかりを語ったり、彼が楽しそうに話を聴いてくれることに甘え、ひとり悦に浸っていたが、彼が何を考えているのか、知ろうともしなかった。
あのリンダという少女の言葉で、この関係はひとえに、彼の努力と誠意だけで成り立っていた関係だと、思い知らされたような気がした。
彼は、私のために、自分自身は興味も何もない紅茶の専門店を丹念に調べ、私に不愉快な思いをさせない為に、微笑みすら浮かべて、好きでもない紅茶を無理に飲み干していたのだ。
それに、妙に親しげに見えた彼と彼女の関係も気になった。私に対しては決して口にしないような、ぶっきらぼうな言葉が、かえって親密さを感じさせるようで、思い出す度に胸が掻き乱された。
没落したとはいえ、私の方が身分が上なのだから、私が彼を棄てることはあっても、逆などあり得ない、と無意識のうちに思い込んでいたのだ。
それは私の愚かな傲慢だった。
彼の気持ちが変われば、この関係は一瞬で砂の城のように簡単に崩れ去ってしまうだろう。
それは、急に足元が覚束なくなるような、とても恐ろしいことのように思われた。
彼は私にたくさんの優しさと思いやりを呉れた。
けれど、私はそんな彼に対して、何を与えられるのだろう。
その晩から、幾度も考えてみたが、そう簡単に答えは出そうになかった。
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