短編集「つばなれまえ」

あおみなみ

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お姉ちゃんになった日~いちばん初めのプレゼント

かつお節削り節

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主人公は5歳で幼稚園児の「私(または“みーちゃん”)」。
妊娠中だった母親は前駆陣痛が始まり、入院する。
その夜、知らないはずなのに見覚えのある顔をした少年が夢に出てきた。

***

 私が幼稚園に入園する少し前ぐらいから、母は具合が悪いといって横になっているか、「かつお節削り節」の大きな袋を抱え、ガサガサ音を立てて食べているか、どちらかの姿を見ることが非常に多くなった。

 殊に削り節大量摂食の方は、そのようすの異様さもあってやたら印象に残っている。

「お母さん、どうしてそればっかり食べてんの?」
「何でかねえ。自分でもわかんないんだよ」

 私はご飯に削り節を載せて醤油を垂らしたものが大好きだったが、削り節本体をそのまま食べたことはなかった。

「私にもちょうだい」
「そんなにおいしいものでもないよ?」
「お母さんは食べてっぺしたたべてるじゃない
「食べたくはなるけど、おいしいとは思ってない」

 何だかんだ言いつつ、少しだけ分けてはもらえたのだが、なるほど、醤油もご飯もなしでは「こういう味なのか…(ノーコメント)」しか感想がなかった。
 5歳やそこらでイノシン酸がうんちゃらかんちゃらなど理解も言語化もできず、「うん、おいしくない」と言い、水でやっと飲み下した。

◆◆

 そんなふうに過ごしていた1973年9月、とある水曜日。
 朝からお腹が張るといって苦しそうだった母は、私が幼稚園から帰ってきても、まだ家にいてくれたけれど、夕飯の後、5分ごとに「いたたたた…」と、はばからず声を上げるようになり、父の車でどこかに行ってしまった。

 しばらくすると、父だけが帰ってきて、「今日からお母さんはお泊まりだ。いい子にしていたら、早く帰ってくるから、ちゃんと言うことを聞くんだぞ」と言った。

 私はいつものように4歳年上の兄と布団を並べて寝ていたが、母のことが心配で、寂しくて、なかなか寝付かれない。
 ぐずぐず泣いていたら、兄が「お前もお姉ちゃんになるんだから、いいかげん泣き虫は直せよ」と言った。

「お姉ちゃん?何で?」
「お母さんは赤ちゃんを産むために病院に行ったんだ」
「えーっ!」
「お前、知らなかったのか?」
「うん…」

 たぶん説明はされていたのだと思うが、いま一つ理解できていなかった。
 そういえばお仕事もやめたし、体の調子がいいときは編み物もよくしているし、すごく「お母さん」っぽいなと思って、そんな様子がちょっとうれしかった。
 削り節の袋にガサガサ手を突っ込んで食べているところは、一番「理想のお母さん」から遠い姿なのでやめてほしい、とも思っていた。

「とにかくもう寝ろよ。明日もちゃんと起きて幼稚園行くんだぞ」
「もちろん行くよ!」

 お兄ちゃんに偉そうに言われたのがしゃくにさわって、生意気に言い返してしまったけれど、「いい子にしていたら」お母さんは早く帰ってくる、とお父さんも言っていた。

 ちゃんと起きて、顔も歯もあらって、きらいなおかずも食べて、靴下をぴっと整えて、幼稚園に行かなくちゃ。

 滑り台を滑るときは、いつものようにケイト君が変ななぞなぞ出して、答えられないと「通っちゃダメ」とか言うのかな。
 トランポンリン室で遊んでたら、乱暴者のハル君が、自分の隣でガンガンに飛び跳ねたり、揺さぶったりするのかな…。

 お砂場、また意地悪なヤッくんやトモミちゃんが、シャベルとか砂ふるいとか、「いいもの」を独り占めするのかな。

 幼稚園の砂場遊び用のふるいは、プラスチックが硬くなって、目が破れていたりするものが多い。新しいものを使えば、サラサラときれいに砂をことができるけれど、そういうのは体が大きくて押しの強い子が大体先に取ってしまうか、私のように弱っちい園児から横取りするかなのだ。

(明日は…穴のあいていない砂ふるいが使えますように…)

 何かといじられ体質だった私は、翌日の幼稚園ライフに輝かしいビジョンを全く見いだせなかったけれど、そんなことを考えているうちに、何となく眠ってしまったようだ。

◆◆

 余談だけれど。

 小学生ぐらいになってから見ていたドラマに、「赤ちゃんができたら、〇〇ばかり食べたくなって」という人が出てきた。
 それが具体的に何だったかは忘れたけれど、そこで初めて母のあのときの奇食の意味を何となく理解した。

 さらに大きくなると、少女漫画や小説に出てくる女子高生などが「酸っぱいものがほしくなって」と言って、喫茶店サ店やフルーツパーラーでレモンスカッシュを注文し、「えー?ニンシンしてたりして」とからかわれるシーンが結構な頻度であって、友達うちでは「ニンシン=酸っぱいもの」という認識が一般的なのが見てとれたけれど、私にとっては「赤ちゃんができた=かつお節削り節」だった
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