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お迎えです
つくられた偶然
しおりを挟む俺は営業先から直帰した。
やるだけのことはやったが、気分的にはサボりに近かった。
まだ早い時間だったが、遊んで帰る気にもならず、いつもの路線に乗り、ほぼ惰性で自宅の最寄り駅でごく普通に出札した。
「あなた、お帰りなさい」
背後からそう声をかけられ、ぞくっとした。
澄んだ声質で、かすれても上ずってもいない、落ち着いた声音。
初めて聞いたならば、うっとりしてしまいそうな美声だ。
振り向かなくても分かる。俺の妻のものだ。
「え…ああ、お前か」
俺は振り返り、顔を見るともなしに見て答えた。
「今日はもうおしまいですか?」
妻は薄いほほえみを浮かべている。さりげないメイクも、かしこまってはいないが崩れてもいない服装も完璧。
「高級住宅街の多い路線の各駅停車しか停まらない駅から徒歩8分のマンションで暮らす、身なりにいつも気を配る女性」というオーダーを、その種の派遣会社に出せば、こういう女が来るであろうという風情だ。
「そうだ。偶然だな」
偶然かどうか怪しいが、そこを詮索しても仕方がない。
「ええ、本当に。何だかお迎えに来たみたいになっちゃったわね」
妻は「相手を油断させる名人」だから、つまり、俺以上にうそがうまい(はずだ)。
「コーヒーでも飲んでから帰るか?」
「あら、たまにはいいですね」
俺は駅構内にあるチェーン系のカフェを提案したが、妻は「せっかくだから、あそこに行きましょうよ」と、「珈琲の部屋」という店を提案した。
そこは新婚当時は時々行っていた、外観、内装、マスター、出されるコーヒー、そのいずれもが正統派と表現したくなるような落ち着いた店だった。
「いや…あそこは…」
「何か?」
「静かすぎて落ち着かないから」
「変な人ね。普通は静かな方が落ち着くんじゃない?」
「まあ…」
本当はもっとガチャガチャした雰囲気のところに行きたい気分だったが、仕方がない。
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