短編集『サイテー彼氏』

あおみなみ

文字の大きさ
31 / 78
最後の会話 もし次に彼に会えたら

wrong side

しおりを挟む
長年同棲しているキミエとヒロシ。
正反対とも思える性格だが、それなりにうまくいっている――と、少なくともキミエは思っていた。

***

「…でね、私、カフェモカは好きだけどココアは嫌いで…あれ…?最近こういうフレーズどっかで見たんだよなあ…小説?映画?漫画だっけかな?」
「あのさ…」
「何だっけなあ。こういうの気になりだすとモヤモヤして…」
「俺もう出るから、後でね」
「え?あ、行ってらっしゃい」
「行ってきます。君も遅刻しないようにね」

 またやってしまった――とキミエは反省した。
 といっても次の瞬間には「ま、いいか」と気持ちを切り替えたので、反省とまで言えるものではないかもしれない。

(だってヒロシはおしゃべりな私が好きだって言ってくれてるし)

 キミエとヒロシは一緒に暮らし始めて5年になる。
 キミエはスーパーで、ヒロシは書店で働いている。
 2人とも高給取りではないが、協力し合って生活していた。
 結婚はしていないが、周囲からは事実婚のようにみなされていた。

 今の時代、形式にこだわる必要はないと言う友人もいたが、キミエはヒロシと正式に結婚することに憧れていたし、ヒロシに確かめたことはないが、同じ考えだと信じていた。

 おっとりしたヒロシと快活なキミエは、お互いの自分にない部分に惹かれて結ばれた。
 それぞれ意外な部分に軽い違和感を覚えることもあるし、キミエがそれでヒロシを攻撃することもあった。
 ヒロシはそれに対して、「別の人間なんだから、全部一致するわけはないよ」と落ち着き払って言い、キミエは「ごめん、頭に血がのぼっちゃって」と謝る。
 ささいなケンカはいつもそんなふうに幕を下ろしていた。

◇◇◇

 人間どんなに公平でいようとしても、自分の意見と違うものはとみなしてしまうことがある。
 食事のときに汁から飲むか、米飯を口に入れるか、好物のおかずから攻めるか――程度のことも火種にはなり得る。ヒロシが自分の常識と違う順番で箸をつけたとき、キミエは「そんなのおかしい。マナー違反だ」と責めた。

「キミエ、英語のロングは日本語で言うと何?」
「え?えーと、“長い”?」
「あ、longじゃなくてwrongの方。ごめん」

 キミエは綴りで説明されて「そっちか!」と納得した。

「悪い、だっけ?」
「うん、“悪い”で合ってる。じゃ、wrong sideはどういう意味か知ってる?」
「悪い方、ってこと?」
「ざっくりいうとそういう意味なんだけど、紙や布地の裏側っていう意味もあるんだよ」
「え?ウラ?裏側は悪いってことなの?」
「ん、そういう慣用句イディオムとして覚えるしかないんじゃないかな」

 ヒロシは、自分の反対側にあるものを悪とみなすかのような言い方に抗議する意味で言ったのだが、回りくどいばかりで、キミエにはいま一つ伝わらなかった。

「ヒロシってさ、時々わけわかんないこと言ってけむにまこうとするよね?そういうのよくないよ」
「そういうんじゃなくて…」
「汁からが普通だっておばあちゃんが言ってたし、マナーの本にもそう書いてあったもん」
「…じゃ、それでいいよ」

 今日の夕飯は、白飯、かしわ天ぷら、もやしのピリ辛和え、豆腐とわかめの味噌汁という一汁二菜。ふりかけもおかずに入れていいのなら一汁三菜である。
 冷凍冷蔵庫のストックだけでつくったので、少し貧相だが、炊き立ての白飯が何よりごちそうだと思っているヒロシには十分な顔ぶれだった。
 (格の高い会席膳じゃあるまいし、好きに食べさせてくれ…)がヒロシの本音だったが、これ以上理屈をこねくり回しても無駄だと降参した。

◇◇◇

 キミエとヒロシは基本的には仲がよく、よく会話をするカップルだ。
 共通を含むそれぞれの友人知人には、「付き合い始めてからだと7年だっけ?長い間一緒にいて、何をそんなに話すことがあるの?」と驚かれるほどだ。

 思いついたことを突然話し始めるキミエが、大抵は会話の主導権を握った。
 ヒロシは、ここぞというときには自ら口を開くものの、丁寧に話そうとするのと、たとえ話を入れようとしがちなことで話が長くなり、気の短いキミエに「ヒロシの話はもういいよ」など、強制終了されてしまうこともあった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

✿ 私は彼のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

雪の日に

藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。 親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。 大学卒業を控えた冬。 私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ―― ※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。

処理中です...