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第45話 手紙 その2【妻】
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翌日、夫が野球の練習で不在の間に、私は封筒を開封した。
「初めまして。私は〇〇の家内です。突然のお手紙、ご容赦ください」
中は、クリーム色の横書きの便せんに、封筒と同じ筆跡で書かれたものだった。
淡々と事実だけが書かれているように見えるが、込められた感情は複雑でどろどろとしたものだったろう。
どうやらお二人が結婚したのは、私たちとそう変わらない時期だったらしい。
もともと幼馴染で付き合いは長かったが、気ままな2拠点生活をしていた「おじさん」についていけず、一度別な男性と結婚し、何年かで離縁したという。
その後、おじさんが一度こちらを引き払って戻った後に結婚したというから、離縁の原因は実はおじさんだったのかもしれない。
子供はいなかったが、猫を2匹飼い、それなりに仲よく暮らしていた――つもりだった。
しかしおじさんはある日、「やっぱり忘れられない女がいるから、別れてほしい」と言った。
女性はそれを拒絶し、おじさんだけが以前住んでいた借家を買い上げる形で移住してきた。
おじさんは「絶対に自分の家には来ないこと」を条件に、形だけ夫婦関係でいることに同意したのだという。
おじさん自身はふた月に一度くらいは女性のもとに帰っていたし、金銭的にも不自由がないようにはしていたという(そうか、今さらだけど、やっぱり結構稼いでいたのね)。
「忘れられない女というのは、きっとあなたのことだったのですね」
「私と一緒にいても、心ここにあらずなのがよく分かりました」
文面からでも、責め口調が何となく伝わる。
「彼は昔から女性にもてていましたが、幼馴染ということを割り引いても、私だけは特別だと思い上がっていたのかもしれません」
「私自身、一途な女ではありません。男にちやほやされれば調子に乗って遊ぶこともありました」
「そういう意味で、決していい妻ではなかったと思いますが、彼を心から愛していました」
次々と、思いつくままに書かれたであろう本音。
自分の身持ちの悪さは棚に上げ、おじさんが自分一筋ではなかったことを嘆いているようにも取れる。
そう考えると、私に言われたくないだろうが、とんだクズ女だ。
それでも多分おじさんにとっては「かわいいひと」だったのだろう。少なくとも結婚しようと思う程度には。
こういう厄介な人をパートナーにしていたおじさん、そりゃセックスもうまくなるわけだと妙に納得する。
いやむしろ、この女性がおじさんの超絶技のとりこだったのかもしれない。
「今さらあなたにどうこう言う気はありません。ただ、彼から預かったコレをあなたにお送りするついでに、少し愚痴らせていただきました」
◇◇◇
しっかりと糊で閉じられた長封筒は、表面に何も書いていない。
こちらは縦書きの白い便せんで、確認するまでもないおじさんの筆跡だ。
「まず、君の娘ちゃんを無断で連れ出したことを詫びたい」
挨拶もそこそこに、開口一番、こう書かれていた。
その手紙は、死のうと決心した日に奥さんに送ったらしい。
「いろいろと落ち着いたら、君の名前でこの住所に送ってほしい」と、我が家の住所を添えて。
私との関係をその手紙に書いたのかどうかは分からないけれど、奥様がいろいろと察するには十分なシチュエーションだったはずだ。
「登下校のあの子を見かけた。一目で君の子だと分かるくらい、けがれのない美しさで、まるで昔の君を見ているようだった。
「君と避妊具なしで“した”時期を考えると、あの子はひょっとして俺の子なのか?」
「何度も確かめたいと思ったが、かといって君たちの幸せそうな家庭を壊す気も毛頭ない」
「君とは長いこと会えなかったが、離れたところから様子はずっと見ていた。もうすっかり大人の奥様だね」
「ひょっとして少し太ったかな?幸せそうだし、昔と変わらずかわいい。ぽっちゃりの君も抱きたかった」
「俺は実はがんが幾つか見つかって、どうやら長くないらしい」
「この年まで子供もつくらず通してしまったことを、こうなってから後悔した」
文章自体は読みやすいが、冗長でまとまりがない。
たまたまデパートで見かけた服が、私が小学生の頃に着ていたものと似ていたので、衝動買いしたこと。
その服を買ったことで満足していたが(一体何に使うつもりだったのよ、この人…)、たまたま登校班の集合場所にひとりでいる娘を見つけ、話をしたことで、ふとあることを思いついたという。
「男親が服の洗濯タグを見ることはないだろうから、君だけに分かるようにとあのメモをつけた。もちろん確認してくれていると信じている。あれが今の俺の気持ちだ」
この「おっさん」は、自分も一人暮らしで家事をこなしていたくせに、私の夫が洗濯などの家事を引き受けている可能性を全く考えなかったのだろうか。結果的に正解だったけど。
「俺は最期に、自分の娘かもしれない子供と少しでも一緒に過ごしたかった。それだけなんだ」
「あの服を着た娘ちゃんと同じベッドで少しだけ昼寝をした。しかし、決して悪さはしていない」
学童クラブのスタッフを欺いたこと、お菓子や飲み物に何か入れた可能性、幼女の服を勝手に着替えさせたことは悪さではなかったのかな、この人の中では。
本当はそういうことで苦言を呈するため、会いにいったこともあったっけ。
「俺の生涯で君以上の女はいなかった。俺のことを忘れて幸せになってくれ」
自分が実は結婚していたということを、一言も書いていない。
最後まで独身を装っていたかったのか、全く書こうという発想がなかったのか。
あの奥様が、この中身を読んでいないであろうことが不幸中の幸いだ。
いや、一度開封したものを、別の封筒に入れ直すこともできるだろうけど、そこまで想像したら切りがない。
◇◇◇
私の手元には、奔放で身勝手で、だけどどこか憎めない「夫妻」からの手紙がある。
どちらもすぐにでも処分した方がいいのだろうが、私は少し余韻に浸りたい気持ちでもあった。
だから手に取って繰り返し読んだ。
おじさんと、私の知らないおじさんを知っている女性の肉筆。
懐かしさや悲しみとは違う何かを得たくて、手に取って繰り返し読んだ。
ニュアンスは違うけれど、どこか「怖いもの見たさ」に近かったかもしれない。
しかし、その判断は間違いだった。
私がいつだったかのタイミングで、たまたま慌てて仕舞ったのを見ていぶかしがった夫が、引き出しから見つけてしまったのだ。
「ねえ、これどういうこと?」
ある日突然、感情を抑え込んでいる様子の夫が、なぜか薄っすらした笑みを浮かべながら、2通の封筒を突き出して尋ねた。
「初めまして。私は〇〇の家内です。突然のお手紙、ご容赦ください」
中は、クリーム色の横書きの便せんに、封筒と同じ筆跡で書かれたものだった。
淡々と事実だけが書かれているように見えるが、込められた感情は複雑でどろどろとしたものだったろう。
どうやらお二人が結婚したのは、私たちとそう変わらない時期だったらしい。
もともと幼馴染で付き合いは長かったが、気ままな2拠点生活をしていた「おじさん」についていけず、一度別な男性と結婚し、何年かで離縁したという。
その後、おじさんが一度こちらを引き払って戻った後に結婚したというから、離縁の原因は実はおじさんだったのかもしれない。
子供はいなかったが、猫を2匹飼い、それなりに仲よく暮らしていた――つもりだった。
しかしおじさんはある日、「やっぱり忘れられない女がいるから、別れてほしい」と言った。
女性はそれを拒絶し、おじさんだけが以前住んでいた借家を買い上げる形で移住してきた。
おじさんは「絶対に自分の家には来ないこと」を条件に、形だけ夫婦関係でいることに同意したのだという。
おじさん自身はふた月に一度くらいは女性のもとに帰っていたし、金銭的にも不自由がないようにはしていたという(そうか、今さらだけど、やっぱり結構稼いでいたのね)。
「忘れられない女というのは、きっとあなたのことだったのですね」
「私と一緒にいても、心ここにあらずなのがよく分かりました」
文面からでも、責め口調が何となく伝わる。
「彼は昔から女性にもてていましたが、幼馴染ということを割り引いても、私だけは特別だと思い上がっていたのかもしれません」
「私自身、一途な女ではありません。男にちやほやされれば調子に乗って遊ぶこともありました」
「そういう意味で、決していい妻ではなかったと思いますが、彼を心から愛していました」
次々と、思いつくままに書かれたであろう本音。
自分の身持ちの悪さは棚に上げ、おじさんが自分一筋ではなかったことを嘆いているようにも取れる。
そう考えると、私に言われたくないだろうが、とんだクズ女だ。
それでも多分おじさんにとっては「かわいいひと」だったのだろう。少なくとも結婚しようと思う程度には。
こういう厄介な人をパートナーにしていたおじさん、そりゃセックスもうまくなるわけだと妙に納得する。
いやむしろ、この女性がおじさんの超絶技のとりこだったのかもしれない。
「今さらあなたにどうこう言う気はありません。ただ、彼から預かったコレをあなたにお送りするついでに、少し愚痴らせていただきました」
◇◇◇
しっかりと糊で閉じられた長封筒は、表面に何も書いていない。
こちらは縦書きの白い便せんで、確認するまでもないおじさんの筆跡だ。
「まず、君の娘ちゃんを無断で連れ出したことを詫びたい」
挨拶もそこそこに、開口一番、こう書かれていた。
その手紙は、死のうと決心した日に奥さんに送ったらしい。
「いろいろと落ち着いたら、君の名前でこの住所に送ってほしい」と、我が家の住所を添えて。
私との関係をその手紙に書いたのかどうかは分からないけれど、奥様がいろいろと察するには十分なシチュエーションだったはずだ。
「登下校のあの子を見かけた。一目で君の子だと分かるくらい、けがれのない美しさで、まるで昔の君を見ているようだった。
「君と避妊具なしで“した”時期を考えると、あの子はひょっとして俺の子なのか?」
「何度も確かめたいと思ったが、かといって君たちの幸せそうな家庭を壊す気も毛頭ない」
「君とは長いこと会えなかったが、離れたところから様子はずっと見ていた。もうすっかり大人の奥様だね」
「ひょっとして少し太ったかな?幸せそうだし、昔と変わらずかわいい。ぽっちゃりの君も抱きたかった」
「俺は実はがんが幾つか見つかって、どうやら長くないらしい」
「この年まで子供もつくらず通してしまったことを、こうなってから後悔した」
文章自体は読みやすいが、冗長でまとまりがない。
たまたまデパートで見かけた服が、私が小学生の頃に着ていたものと似ていたので、衝動買いしたこと。
その服を買ったことで満足していたが(一体何に使うつもりだったのよ、この人…)、たまたま登校班の集合場所にひとりでいる娘を見つけ、話をしたことで、ふとあることを思いついたという。
「男親が服の洗濯タグを見ることはないだろうから、君だけに分かるようにとあのメモをつけた。もちろん確認してくれていると信じている。あれが今の俺の気持ちだ」
この「おっさん」は、自分も一人暮らしで家事をこなしていたくせに、私の夫が洗濯などの家事を引き受けている可能性を全く考えなかったのだろうか。結果的に正解だったけど。
「俺は最期に、自分の娘かもしれない子供と少しでも一緒に過ごしたかった。それだけなんだ」
「あの服を着た娘ちゃんと同じベッドで少しだけ昼寝をした。しかし、決して悪さはしていない」
学童クラブのスタッフを欺いたこと、お菓子や飲み物に何か入れた可能性、幼女の服を勝手に着替えさせたことは悪さではなかったのかな、この人の中では。
本当はそういうことで苦言を呈するため、会いにいったこともあったっけ。
「俺の生涯で君以上の女はいなかった。俺のことを忘れて幸せになってくれ」
自分が実は結婚していたということを、一言も書いていない。
最後まで独身を装っていたかったのか、全く書こうという発想がなかったのか。
あの奥様が、この中身を読んでいないであろうことが不幸中の幸いだ。
いや、一度開封したものを、別の封筒に入れ直すこともできるだろうけど、そこまで想像したら切りがない。
◇◇◇
私の手元には、奔放で身勝手で、だけどどこか憎めない「夫妻」からの手紙がある。
どちらもすぐにでも処分した方がいいのだろうが、私は少し余韻に浸りたい気持ちでもあった。
だから手に取って繰り返し読んだ。
おじさんと、私の知らないおじさんを知っている女性の肉筆。
懐かしさや悲しみとは違う何かを得たくて、手に取って繰り返し読んだ。
ニュアンスは違うけれど、どこか「怖いもの見たさ」に近かったかもしれない。
しかし、その判断は間違いだった。
私がいつだったかのタイミングで、たまたま慌てて仕舞ったのを見ていぶかしがった夫が、引き出しから見つけてしまったのだ。
「ねえ、これどういうこと?」
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