シンクの卵

名前も知らない兵士

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第ニ夜

13. 純喫茶ナウシャイン

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「一体これは誰のだろう?」

 アンテナが手帳の中を隅々まで調べている。

 手帳には色々な言語でメモ書きや図形、挿し絵などが書かれている。メモ書きのほとんどは汚い走り書きで、ミミズがはったような字だった。これなら不意に手帳を落としたって、内容が何なのか誰にもわからないだろう。図形や絵もなんだかよくわからない。

「なんか昨日のことが夢みたいだよね……」

 アンテナが言った。
 閣下が抑えきれず口を開いた。

「パルコ、お父さんの手帳なんだろ?」

「……多分。手紙の筆跡とよく似てるし」

 パルコは昨日の一件で疲れていた。もう、すぐにでも家に帰って眠りたかった。

「だろうな。パルコの親父さんは、パルコにカードの暗号を解読させて、廃工場に行かせたかったんだ。昨日の、奥の奥のあの部屋に……」

「何でだろうね……僕、絶対に一人で行けやしないよ」

 アンテナが言った。
 パルコは自分もそうだと思った。父親の万年筆さえ置き忘れなければ、昨日一人きりで廃工場に戻らなかっただろう。そして、あのユニコーンの帽子の青年にも会わなかったはずだ。

「ファーブルもここにいたら良かったのになあ。彼の意見は貴重だよね」

 唐突にアンテナがポツリとこぼした。

「だな。週末の塾帰りにアンテナは会えるだろ? 昨日約束したんだから」

「パルコの出来事も含めて伝えとくね」

 四人は改めて彼を正式な秘密メンバーに迎えたことを喜んだ。
 昼放課の終了を告げるチャイムが鳴った。校庭の生徒は一斉に昇降口に向かっている。

「そういえば、あの部屋、お父さんの匂いがした……」

 ふとパルコは思い出した。確かにそうだった。口に出さなかったけれど、かすかに本当にかすかに、パルコはそう感じたのだった。




 学校の帰り道、昨日から時間が過ぎれば過ぎるほど昨夜の探索は本当にあったことなのだろうかとパルコは思ってしまう。今思い出しても、あの青年は実在したのか? と疑問に思うくらいだ。

 パルコは手帳を取り出した。一体これには何が書いてあるのだろう? 大方全てのページは文や絵などで埋まっていたが、最後のページの下半分は余白がある。上半分の読めない文章の中にカタカナらしきものが記されている。かろうじて「シャイン」と読めるだろうか?

 昼間は気づかなかったが、裏表紙の内側にピッタリ閉じたポケットがあった。パルコはハッとして中を探った。

 一枚のレシートが入っていた。
 レシートには『純喫茶ナウシャイン』の印字がされていた。ナウシャイン? 先ほどのシャインはこれか。改めて、手帳の最後の文章をまじまじと見ると「純喫茶ナウシャイン」と走り書きがしてあった。

 それを見た瞬間、パルコは「ナウシャイン!」と心の中で叫び、とある夏の日を思い出した。 

 昔、といっても小学生に上がる前だろうか、それとも低学年の時だろうか。
 一度だけ、父の行きつけの喫茶店に連れていってもらったことがある。車で連れて行ってもらったので、地理感がさっぱりわからなかったが、覚えているのは隣り町だということ。その喫茶店がここなのではないのだろうか? 

 あの日、クリームソーダを入れたグラスは結露して水滴がついていた。店内には古い柱時計がある。レジカウンターの小箱には黄色いマッチ箱がある。箱に書かれたカリグラフィーの文字「ナウシャイン」。それがやけに鮮烈だったのを覚えている。


 歩行者用の信号が青に変わった瞬間に、パルコは走り出していた。 

「きっとあるはずだ! お父さんからもらった物は、いつも引き出しに入れてたから!」


 勢いよく玄関のドアを開けて、二階へとつながる階段を一つ飛ばしで駆け上がっていった。後ろから、遅れてお母さんの声が聞こえてくる。

「ハル? 帰ったのー?」

「ただいま!」

 まっすぐ自分の部屋に入って、ドアを閉めた。
 それから、机の一番上の引き出しを抜いて、そのままカーペットの上にひっくり返した。それはパルコの予想に反して、すぐに発見された。

「黄色いマッチだ!」

 パルコは、それをダウンベストのポケットに入れて、自転車にまたがり家を飛び出した。



 パルコは自分の気持ちを抑えきれなかった。
 この喫茶店に何があるのだろうと考えると、いてもたってもいられなかった。こんなにワクワクするのは、お父さんが自分に向けて「何か」を残しているからだ。


 マッチ箱に書かれていた住所は、隣り町の『戸ヶ崎町五丁目』だ。近くの橋を越えればすぐだから、行けば何とかなるだろうとパルコは思った。

 市境を越えた隣り町に行き着いた時、すでに夕方近くになっていた。

 やがて見覚えのある交差点が目に入り、自転車を止めた。近くの電信柱に住所が書いてある。「戸ヶ崎町四丁目」とある。この近くに喫茶店があるはずだ。店が潰れてなければの話だけど……。

 近くに保育園があり、同じ通り沿いに教会風の建物で喫茶店らしきお店が見えた。お店の周りは急に田んぼが開けていて、見る角度によっては、田園風景の中にぽつんと喫茶店があるという感じだった。「あそこかもしれない」とパルコは期待した。


 喫茶店は営業していた。小さい黄色い看板に『純喫茶ナウシャイン』と書かれている。

「ここだ!」

 何年か前に父親と来た喫茶店は、ここで間違いなさそうだ。自転車を建物沿いに停めてから、身なりを整えた。パルコは入店するのをためらった。

 よくよく考えてみると、小学生一人が喫茶店に入って受け入れてくれるものだろうか? ナップサックを背負い、隣り町から来たと話したら、家出少年に間違われないだろうか。で、警察に連絡されて母親を呼び出されて、ここに来た理由を問われでもしたら、かなりややこしくなるのは目に見えている。

 しかし、ここまで来て手ぶらで帰るのもパルコは嫌だった。案外、父親の名前を出せば見逃してくれるかもしれない。そうだ、前向きに考えよう。

 パルコはダウンベストのポケットに手を突っ込んで小銭を取り出した。五百円玉が一枚と百円玉が三枚入っている。たまにお母さんの家事を代行して稼いだお金を、ベストのポケットに入れている。こんな時のために使うのだ。(カードゲームに使わなくて良かった)

「コーヒー一杯なら余裕だよね? ダメならお父さんのことだけでも聞いて帰ろう」

 パルコは勇気を出して、店内に入っていった。
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