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第5話 婚約と運命の再演
しおりを挟む朝議の鐘が鳴り、白の大理石の間に緊張が走った。
皇帝アドラー陛下は高座に座り、諸侯の視線を一身に集めていた。
そしてその中央、私は静かに立っていた。
「本日をもって――我が娘、セレス・アドラーを、皇子ミカエル・ルーヴェリアの婚約者とする」
玉座の間に響いた父の声は、よく通るが冷たかった。
拍手が起こり、礼拝の合唱が混じる。
それは祝福のはずなのに、私には処刑の鐘の音のように聞こえた。
前世でも、私は王太子と婚約していた。
あの時と同じ構図。
玉座の上の権力者、周囲に笑う貴族、そして静かに見守る騎士。
アレクシスの視線が、一瞬だけこちらを掠める。
まるで“また同じ結末を迎えるのか”と問うように。
私は微笑んだ。
それしかできなかった。
夜、婚約発表の宴が開かれた。
宮廷の広間には金糸のカーテンが揺れ、笑い声と香が満ちている。
ミカエル皇子は白衣に赤い刺繍をまとい、誰もが見惚れるような美貌だった。
彼は私の手を取って、礼儀正しく口づけをする。
「美しい。まるで女神の化身のようだ」
「お上手ね、皇子殿下」
「本心だとも。セレス、君となら帝国を変えられる」
彼の言葉は甘く、だが底が見えなかった。
笑顔の裏で、計算と焦燥が光っている。
その瞳に映っているのは私ではなく、“地位”だ。
ワインを口に含むと、微かな苦味が舌を刺した。
――この味、覚えている。
前世でも、婚約発表の夜に同じ味がした。
あの時は、毒が混ざっていた。
「殿下、少しお顔色が……」
アレクシスが耳元で囁く。
「……平気。大丈夫よ」
「ワインはお控えを。侍医の警告が」
「ふふ、また護衛らしい忠告ね」
その時、広間の扉が音を立てて開いた。
聖女と呼ばれる妹――エレノアが入ってきたのだ。
白いドレスに光の刺繍。
人々が膝をつき、聖なる歌を口ずさむ。
「姉上……おめでとうございます」
「ありがとう、エレノア」
けれどその声の奥に、どこか不自然な震えを感じた。
まるで、何かに縛られているような。
宴が終わるころ、私は廊下に出た。
窓の外には霧が立ちこめ、鈴のような風が吹いている。
アレクシスが静かに背後に立った。
「殿下、やはりワインに異常がありました」
「やっぱり」
「幸い、毒性は弱く、摂取量もわずかです」
「誰が?」
「特定はできません。しかし……前と同じ構図です」
“前と同じ”。
彼のその言葉に、胸が締めつけられる。
「どうして、こうも同じ道を辿るのかしら」
「運命かもしれません」
「もし運命だとしたら、抗えると思う?」
「……剣が、理を斬ることもあります」
「あなたは、またその剣を振るうの?」
アレクシスは沈黙した。
その沈黙が、答えだった。
翌朝、聖堂に呼ばれた。
エレノアが白い祭服をまとい、祭壇の前で祈っている。
私は妹の背に声をかけた。
「昨日の夜、何かあった?」
「……いいえ。ただ、女神が夢で言いました」
「女神が?」
「“姉は悪女に堕ちる”と」
その言葉に、心臓が止まりそうになった。
「誰がそんなことを?」
「女神よ。私の祈りに応えてくださった」
彼女の瞳は濁っていた。
信仰ではなく、操られている者の目。
枢機卿ヴァルナーの影が、背後にちらつく。
「エレノア……私は悪女じゃない」
「でも、姉上。前世でもそうだったでしょう?」
――“前世でも”。
その一言が、胸の奥を抉る。
「あなた、覚えているの?」
「覚えてはいません。ただ、夢で見ました」
「……夢」
私は呆然とした。
まるで女神自身が、この“再演”を仕組んでいるかのように。
夜、夢の中。
霧の処刑台に、再び立っていた。
群衆の中にエレノアとアレクシスがいる。
女神イリュシアの声が響いた。
――「再び裁かれるか、再び赦すか。選べ」
「選べって……なにを?」
――「愛を取るか、宿命を取るか」
目の前に、刃を持つアレクシスが現れる。
けれどその瞳は涙で濡れていた。
「殿下……どうか命じてください。
私は、またあなたを――」
「いいえ、もういらない」
私は首を振った。
「もう誰にも殺させない。
私の運命は、私が裁く」
風が吹き荒れ、鈴の音が鳴り響く。
女神の声が遠ざかる。
――「ならば見せよ。抗う力の意味を」
夢が終わる瞬間、私の手の中には一本の剣が握られていた。
目を開くと、掌に冷たい感触。
現実の寝台の上――そこに、実物の短剣があった。
銀色の刃、鷲の紋章。帝国近衛の正式な武具。
アレクシスの剣。
彼がいつの間にか、私の部屋に置いていったのだろうか?
それとも――夢の女神の仕業か。
ナタリアが扉を叩いた。
「殿下、朝議のお支度を」
「……ええ、今行くわ」
私は短剣を見つめたまま、静かに微笑んだ。
夢と現実の境が溶けていく。
“悪役令嬢”として再び裁かれる前に、今度は私が剣を取る番だ。
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