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第7話 聖女の涙
しおりを挟む鐘の音が、王都のすべての屋根に響き渡った。
“神託裁判”――女神の名を冠した、宗教院による公的審問。
それは、誰の罪も、誰の真実も、“神の意思”ひとつで覆せる危険な儀式だった。
大聖堂の前には群衆が集まり、石畳にひざまずく民が祈りの言葉を唱えている。
「神よ、悪を裁きたまえ」
その声が、私の名を呪うように耳の奥で反響する。
私は白い礼服を纏い、鎖のように重いティアラを戴いた。
これが“被告の装束”――聖なる裁きの場に立たされる者の印。
その前方に立つのは、聖女として崇められる妹・エレノア。
そして、その背後で口を歪めるヴァルナー枢機卿。
「神託により、姉セレス・アドラー殿下は“女神の敵”と見なされました」
エレノアの声が、大聖堂の天井に響いた。
「彼女は婚約者ミカエル殿下の命を脅かし、帝国を混乱に導く存在です」
群衆の間から、ざわめきが広がる。
“悪女”――その言葉が、私の前世を呼び覚ます。
あのときも、こうして人々は石を投げた。
そして、誰も真実を見ようとしなかった。
アレクシスが私のすぐ傍に立っていた。
彼の手は剣の柄にかけられている。
護るためか、それとも再び――?
「セレス・アドラー殿下。女神の御名に誓い、貴女の罪を告白なさい」
ヴァルナーの低い声。
私は静かに顔を上げる。
「罪、ですか」
「そうです。神託は言いました。“悪女は二度死ぬ”。
殿下、貴女こそがその“二度目の悪女”なのです」
「……神託を語るのは容易いことですね、猊下」
「神が語るのです、我らは伝えるのみ」
「では問います」
私は一歩前に出た。
「もしその神が、無実の者をも罪と呼ぶなら――
それは果たして“神”でしょうか」
群衆が息を呑む。
ヴァルナーの顔に一瞬だけ怒気が走る。
「女神を侮辱するか!」
「いいえ。私は、女神の沈黙を信じています。
神は叫ばない。人が叫ぶのです」
その瞬間、鐘楼の鐘が低く鳴った。
天井のステンドグラスが揺れ、光が私の頭上に落ちる。
まるで、沈黙の女神がこちらを見ているようだった。
「姉上……」
エレノアの声が震えた。
「どうして、そんなことを言うの? 神の声を信じて……!」
「神の声、ね」
私はゆっくりと彼女に歩み寄る。
「それは、本当に“神”のもの? それとも――ヴァルナーの声?」
「違う! 神は私に告げたの。『姉は悪女、赦されぬ』と!」
「それを聞いて、あなたは悲しかった?」
「……え?」
「ねえ、エレノア。あなたの目を見せて」
私は妹の頬に手を伸ばした。
その瞳の奥には、怯えと疲労が宿っていた。
夜も眠れず、祈りに縛られた少女の瞳。
「本当に神の声なら、こんなにあなたを泣かせたりしないわ」
「……姉上……」
「神は罰しない。人が罰するのよ。
そして人が、あなたを利用している」
その言葉に、彼女の頬を一筋の涙が伝った。
「姉上……怖いの。もし神の声が嘘なら、私は何を信じればいいの?」
私は抱きしめた。
「信じるものは、自分の中にあるわ。
あなたが“間違いだ”と感じたら、それが真実なの」
エレノアの体が震え、次の瞬間――
「姉上……ごめんなさい……」
彼女は嗚咽した。
その涙が、聖堂の床に落ちると、青白い光が広がった。
それはまるで、女神の涙が流れ出したように。
「……芝居はもういい」
ヴァルナーが立ち上がり、声を張り上げた。
「聖女が涙を流そうと、神の意志は変わらぬ!」
「いいえ。神は沈黙している。
変わらぬのは、あなたの欲だけよ」
私は静かに言い放った。
ヴァルナーの手が法衣の中から聖印を取り出す。
「ならば証を見せよう! 神の裁きの炎を!」
瞬間、床の魔法陣が輝いた。
青い光が天井を貫き、群衆が悲鳴を上げる。
魔法ではない――それは、宗教院が秘匿していた古代の“神器”。
罪人を焼き尽くす“神罰”と呼ばれる装置だった。
「セレス・アドラー、ここで女神の名のもとに――」
「やめろ!!」
その声が、大聖堂を裂いた。
アレクシスだ。
剣を抜き、炎の柱に飛び込む。
「殿下に指一本触れさせはしない!」
光が弾け、炎が吹き飛ぶ。
瓦礫の中で、アレクシスの肩が血に染まっていた。
私は駆け寄る。
「アレクシス……!」
「ご無事で……よかった……」
彼の手が、私の頬をなぞる。
「殿下……神の声なんて、どこにもありません。
聞こえるのは、あなたの息と……私の鼓動だけです」
私は涙を堪えきれず、彼の胸に顔を埋めた。
その時、ヴァルナーが倒れた祭壇の奥から叫ぶ。
「愚か者ども! お前たちも、女神の裁きから逃れられぬ!」
しかし――その瞬間、鐘楼がひとりでに鳴り出した。
低く、ゆっくりと。
風が吹き、青い炎が消える。
まるで“誰か”が、その裁きを止めたかのように。
炎の消えた聖堂の中で、私は天井を見上げた。
ステンドグラスの女神像が、穏やかな微笑を浮かべていた。
沈黙――それは、怒りでも罰でもなく、赦し。
「……女神は、泣いているのね」
「え?」
「罰を与えるためじゃない。
人が、自分で罰を作ってしまうことに……」
アレクシスが私を見つめた。
「殿下は、信じるんですか? 神を」
「信じない。けれど――“神に似た何か”が、人の中にあるのだと思う」
風が吹き抜け、鈴の音が一つ、響いた。
その音が止むと同時に、エレノアが膝をつき、祈りの言葉を紡ぐ。
「神よ、私の声ではなく、姉の心をお聞きください」
その祈りの中で、聖堂に光が差し込んだ。
雨上がりのような柔らかい光。
そして、エレノアの頬に残る涙が、まるで聖水のように輝いていた。
裁判は中止となり、ヴァルナーは“神罰暴走”の責任を問われ、一時拘束された。
だが、彼の背後にいる宗教派閥の勢力は、まだ帝都の至るところに根を張っている。
“宗教院の影”は消えていない。
夜、私はバルコニーで風を感じていた。
アレクシスが隣に立つ。
「殿下、宗教院の粛清が始まります」
「戦になる?」
「……恐らく」
私は夜空を見上げた。
星が曇りに隠れている。
「アレクシス。
もしまた、私が“悪女”と呼ばれる時が来たら……あなたはどうする?」
彼はわずかに笑った。
「そのときは、あなたのために剣を抜きます」
「たとえ神を敵に回しても?」
「ええ。女神などより、あなたのほうがずっと現実的ですから」
その答えに、私は思わず笑ってしまった。
夜風が頬を撫で、鈴の音が再び鳴る。
――それはまるで、沈黙の女神が笑っているようだった。
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